31話 転。
31話 転。
日本のワンルーム。
トコはまぶたの裏でスイッチを入れた。
糸みたいな感覚がピンと張り、視界は、海の向こう――サン・クエンティンの房へ滑っていく。
砂の匂い。コンクリの冷たさ。
『ヒッキエス』という囚人に、センエースが力を与えていた。
トコは見えたままを、一気にテキストに落とす。
いつもどおり、ブラインドタッチで、比喩は短く、テンポ重視で。
流れのまま、簡素な推敲を終えて投稿ボタンを押す。
通知の音が、また連打に変わる。
タイムラインが泡立ち、コメント欄の文字列が白く瞬いた。
『センエースは転生する側じゃなくて【チートを与える側】かw』
『ヒッキエスくん、これは偉大な魔法使いになる流れ』
『魔法って普通に使えるものなの? 条件は?』
いつも通りの流れ。
まとめサイトが拾い、海外勢が流れ込む。
英語とアラビア語と、見慣れない文字列。
翻訳ボタンが追いつかない。
★
――夕暮れ過ぎ。
トコはひたすら、パソコンの前で文章を紡いでいた。
カメラが入っていない刑務所の中のセンエース物語は、
情報に飢えている読者を大いに沸かせた。
ヒッキエスの物語に続いて、チャーリーの章も投入。
ヤードでの踏みつけ、侮蔑、そして『犬のベン』が猫として戻るシーン。
指を鳴らした瞬間の空気の反転。
現実に起こった、ファンタジーの連鎖。
投稿。
数秒で感想欄が爆発。
『犬が転生して猫になるって、さすがにジョークでは?』
『人間は? 人間も転生するの? 犬だけ?』
『センエース自身が【転生】しているって書いてあっただろ。読め、バカ』
『お前がバカ』
『これ、どこまでが本当なんだ?』
感想欄もSNSも大いに荒れた。
いつもの大騒ぎに加えて、
学者アカウントが実験提案を出し、
宗教家が長文スレを立て、
投資家が『再生ビジネス』とかいう不穏な単語を投げる。
賛否とケンカの渦。
賛が潮を押し、否が引き波を作り、その渦潮の中でケンカが勃発する。
トコはただ見守る。
世界の反応に一喜一憂するのはやめた。
キリがないから。
画面隅で『経験点(EXP)』の数字が跳ねた。
桁が繰り上がる。
〈小説家になろう マイページ〉
PV:7,302,055,032
ブクマ:3,211,115
EXP:10,200,029,020
「……EXPが……ついに、100億を超えたな。けど、遠景を見るにはまだまだ――」
その瞬間、トコに電流走る。
「え……なに?!」
視界の端が白くパチパチと裂け、耳鳴りが細い金属音に変わる。
後頭部の芯から前頭葉へ、熱い帯がゆっくり移動し、
言葉になる前の思考が一斉に点灯した。
呼吸は浅いのに、胸の奥は逆に静かで、世界のノイズだけが遠のいていく。
脳のギアが一段上がって、五感がクリアになった。
バチバチと、脳内で、『可能性の火花』が激しくまたたく。




