10話 高血糖は怖いねぇ。
10話 高血糖は怖いねぇ。
『ヤード(運動場)』の隅、配膳室の列、洗濯場の蒸気の中……駆け巡るビッグニュース。
「まさか、ベアがやられたのか」
「目を潰されたって話だ」
「相手は……新入りのナードらしい」
「信じられねぇ……ベアは、ヘビー級のボクサーを殴り殺して、ここに入っているんだぞ……」
声は小さく、数は多い。
やがてヤードに、刑務官が二名で現れた。
拡声器を使い、
「やかましい! 騒ぐな! マーカス・ロウランドの件だが、高血糖が原因とみられる視力障害が出た! あくまでもそれだけだ!」
必要な単語だけを置いて、視線は誰にも合わせない。
「今は医務室で処置中! 以上! この件に関して、必要以上に騒ぐ者は懲罰房にぶちこむぞ、いいな!」
それだけ言うと、靴音を残して引き上げた。
「ベアのことで騒いだら懲罰房?」
「なんだ、それ……」
「なんか、キナくせぇな……」
「糖尿病でどうたらなんて、普通、わざわざ、俺らに言うか?」
「なんか、言い訳くさかったよな……」
「絶対になんかあって、それを隠している……でも、それは、なんだ?」
ほどなく、センが、刑務官に付き添われてヤードのゲートまで戻ってきた。
ゲートで拘束の確認だけ済むと、刑務官は引き上げ、センだけがヤードに残る。
無数の視線が刺さる。
ざわめきが細かく波立つ。
ラットが影のように、センへと近づいた。
「おい、新入り」
「はい、新入りです、こんにちは。わたしはげんきです、ありがとう。あんどゆー?」
「……いったい、何した。催涙スプレーでも使ったか? ぃや、仮にそんなもんでベアの目を潰したなら、お前は今頃、懲罰房にブチ込まれているはずだ……ほんと、何をしたんだ」
センは肩をすくめる。
「俺は何もしちゃいないよ。さっき、刑務官も言っていただろ。糖尿病だよ。怖いねぇ、糖尿病は。だから俺は口を酸っぱくして言ったんだよ、コーラはガブ飲みしない方がいいぞって。いつ言ったかはあまり覚えていないし、本当に言ったかどうかも定かではないが」
中身のない言葉でケムに巻こうとするセンに、
ラットはしばらく眉間にシワを寄せた。
言葉を選ぶように口を開きかけ……そして、やめた。
訝し気な顔だけ残して、輪から離れていく。
その背中をチラ見しつつ、センはアクビを垂れ流した。
★
……ヤードの空気はまだザワついていた。
誰もが、騒ぎこそしないけれど、ベアがどうなったのかをウワサする。
そして、『イカれた新入り』をチラっと見ては、
『お前、いってこいよ』
『やだよ。あいつ、なんか怖いんだよ』
『モヤシっぽいが、よく見ると目がイカれてんだよなぁ』
などと、『新入りの対応』をなすりつけあっていた。




