トコ8話 偽造。
トコ8話 偽造。
――江東区・新木場。
黒塗りのワゴンや覆面パトカーの車列が、深夜の環七を南へ走っていた。
SAT隊員たちは後部座席で無言のままヘルメットを被り、防弾ベストのベルクロを締め直す。
車内に漂うのは、緊張と汗の匂い。
『こちら本部。追加情報を伝える』
ヘッドセットから、サイバー犯罪対策課の声が響いた。
『対象アカウントのログ分岐を追跡した結果、暴力団系の中継サーバーに合致。現在、江東区内の賃貸マンションを拠点にした多段リレーの可能性が高い』
「……どういうことだ」
『マンション全体に違法な無線・有線の中継器を仕込み、複数の部屋を踏み台にしている痕跡があります。地下にはサーバーラックを増設、共用配線を改造して全体を【通信のハブ】にしていた。そのうち一室は、借金問題を抱える家族名義で契約。そこからの通信には、【未成年が日常的に使ったように見える痕跡】が混ざっています』
短い沈黙。前席の幹部が身を乗り出す。
「つまり、あえて『女子生徒の部屋に見せかけた可能性』がある、ということか」
『断定はできない。未成年の痕跡はあるが、契約実態と必ずしも一致するとは限らん。――現場で切り分けろ』
「了解。第一目標はそのマンション群。フロアごとに分散配置、要所を押さえる」
『座標送信済み。対象は新木場駅近くの賃貸マンション。中継器とサーバーラックが地下トランクルームにも展開されている可能性がある。一般住民との錯綜に注意』
そのとき――。
指揮車の端末画面に、ささやかな光の点滅が起きる。無線が一瞬静まり、有線回線のログストリームがスクロールを止めた。
現場指揮官がモニタに顔を寄せると、オペレーターが細い声で言った。
「緊急メッセージ、外部経路で受信しました。暗号化されていますので……復号に入ります」
画面に短いテキストが浮かび上がる。自動和訳ではない、原文のままの一行。
『そこは犯罪者の温床だ。転生文学センエースの作者は関係ない。制圧した方がいい』
テキストの末尾に、白い小さな印――既知の符号列が付随しているのを、オペレーターが指差した。
「この署名列……渋谷で配信された声明と一致します。あのときテレビ放送のデータストリーム内に署名情報が埋め込まれていたのを専門家が検出し、国際機関が検証用の公開鍵を登録しました。そのキーでの照合結果とも完全一致しています。――差出は、間違いなくセンエース本人です」
隊内に重い静寂が落ちる。
誰もがその一言の意味を咀嚼する間、画面の下に短い符号列が残ったまま、光を消していった。
「ソース信頼度は高いか?」
「形式上は本人署名と一致。外部経路での改竄リスクは残りますが……しかし無視はできません」
「センエースは何がしたいんだ。我々で遊んでいるのか……」
「どうしますか?」
「……センエースに弄ばれるのは癪だが……武装した反社組織など見逃せん……」
「交戦許可を」
「許可する。――住民フロアは最小限の破壊、非戦闘員の退避を最優先。いけ」
――乾いた破砕音。
破壊筒が低く炸裂し、オートロックが解除される。
別動隊が地下のトランクルームへ回り、もう一隊は最上階へ。
閃光弾が爆ぜ、廊下の一角が一瞬だけ昼のように明るむ。
「警察だ! 動くな!」
怒号とともに黒影がなだれ込み、銃口が四方に向けられる。
開いた室内には、マシンガンを抱えた男たち、ラックに積まれた違法サーバー、壁際に並ぶ現金の束、真空パックされた粉末――。
混乱と怒声、短い銃声が夜気を裂いた。
★
――同じ頃。
六畳のワンルーム。
トコはベッドの上で縮こまり、ノートPCの光を見つめていた。
SNSの通知は止まらず、世界中の言語で「転生文学センエース」の文字が飛び交っている。
そのとき、再びチャイムが鳴った。
ピンポーン。
ドア越しに低い声が聞こえた。
「――警察だ。開けなさい」
膝がかすかに震え、足首からじわりと力が抜けていく。
足がすくみながらも、トコはノブに手を伸ばす。
指先が震え、心臓が耳元で鳴る。声がもう一度外で鳴る前に、扉をゆっくりと引いた。
そこに立っていたのは――制服でも、スーツでもない。
青い長羽織を羽織った男。
「よう」
センエースはいつもの冷ややかな笑みを浮かべていた。息を呑む間もなく、トコは声を上げた。
「っ……セン、エース……?」
センは肩をすくめるようにして言った。
「さっきの『警察だ』ってのはイタリアンジョークだ。悪いな」
トコの目が揺れる。
「本物の警察なら今ごろ、別の連中を捕まえてる」
「……え?」
センは目の端で部屋の薄暗さを確かめると、ひらりと指を鳴らした。
光の粒子が集まり、小さな生き物が生まれる。
二頭身ほどの小さなドラゴン。手のりサイズで、妙に可愛らしい。
その龍は、センが愛用している『生きているスマホ』のような存在だった。
龍の背に薄い膜が広がり、エアウィンドウが浮かんだ。
そこに映し出されたのは、現場の映像。
――新木場の賃貸マンション内部。
解除されたオートロック、閃光に切り裂かれる廊下。SAT隊員が銃を構え、床には散乱する拳銃、ビニールに詰められた粉末、札束。男たちの叫びが短く切れては流れる。
「……覚醒剤と銃を山ほど抱えて、一般人を食い物にする社会のゴミ。こいつらがお前の代わりに捕まった」
トコはその映像を見て、手から力が抜けるように膝が震えた。
呼吸が早くなる。目の端でPCの通知が光るが、体は固まったままだ。
「ぇと……つまり……これは、どういう――」
「俺が壁になっている間は、誰もお前にたどり着けない。それだけわかっていればそれでいい」
トコは言葉を失う。
「ここで話しているのもなんだから……入るぞ」
「え、あ……はい……」
センは、二頭身のドラゴンを消し去ってから、部屋に上がり込み、無遠慮にPCの画面を覗き込む。
「――見せてもらったぜ。お前の小説」
そう言いながら、キーボードを操作して、画面をスクロールさせる。
「そ……そうですか……」
トコの声は震えていた。
「お前、特殊能力を持ってるな。おそらく『自分の視界を俺の視界とリンクする能力』と……俺の過去を見る能力」
「えっと……そのぉ……」
「隠すな。死にたくないだろう?」
その一言に、部屋の空気が凍りついた。
「す、すいません……おっしゃるとおりです。勝手にのぞき見して、小説にして投稿して……申し訳ありませんでした……」
センは首を振った。
「謝罪は必要ない。それより、お前、俺の過去をどこまで知っている?」
「あなたが……高校生のときに『腐った連中は皆殺しにしてやる』って言うとった光景を……一瞬だけ、見ました」
「見た……か。そういう異能をもっている、と解釈していいか?」
「はい」
「それ以外は何も見ていないのか?」
「……あと……死んだはずの闇川首相が……地獄みたいな場所で、鍛錬みたいなことをしとるんが見えました」
「なるほど。ヴァルハラの光景も見えるのか」
「……あれは……地獄ですか?」
「俺が創った世界だ。鍛錬世界ヴァルハラ。俺ぐらいになると、世界を創造するぐらい造作もない。他人を異世界に転送することもな」
「……神様……なんですね、あなたは」
「違う。ただの進化した怪物だ。お前らがイメージするような全知全能の唯一神は別にいる。多分な」
沈黙が落ちる。
トコは喉を鳴らし、指先を握りしめた。
「俺のことはどうでもいい。それよりお前だ。このままだと……お前がやばい」
「……警察に捕まるってことですか?」
「違う」
センの声は冷ややかに低かった。
「今後、俺を殺したがっている連中が、お前を狙いだす。お前は、俺の弱点を知っていそうだからな」
「……弱点とかは別に――」
「実際に知っているかどうかはどうでもいい。知っていそうだ、というだけでさらって拷問する。それが『追い詰められた反社』のやり口だ」
トコは蒼白になり、唇をかすかに震わせた。




