トコ4話 渋谷の視界。
トコ4話 渋谷の視界。
薬宮トコは、古びたノートPCの前で固まっていた。
スキルツリーのノード――《現場同期:センエースの視界》が、心臓の鼓動のように点滅を繰り返している。
(……センエースの視界で世界を見れば……もっとすごいものが描ける……っ)
胸が圧迫されるように早鐘を打ち、呼吸が浅くなる。
唇は乾き、指先には冷たい汗。
けれど、迷いはほんの一瞬で消えた。
「……行くで」
クリック。
画面に浮かんだのは、たった一行の指示だった。
『目を閉じて、【ディメンションアイ】と唱えてください』
半信半疑のまま、トコは瞼を閉じる。
静寂の中で空気が重たくなり、喉がひりつく。
息を吸い込み、震える声で呟いた。
「……ディメンションアイ」
暗闇が裂け、意識の奥に異質な映像が流れ込んだ。
――渋谷。
交差点は完全に封鎖され、人気はない。
散乱した防弾シールドや小銃がアスファルトに打ち捨てられ、爆炎の残滓で黒く煤けた路面からは焦げ臭さが漂っている。
赤色灯の点滅が煙を断続的に照らし、砕けたガラス片が鈍い光を返した。
耳の奥ではまだ爆鳴りの余韻が響いているようで、鼓膜がじんじん痺れる。
上空には報道ヘリが一機。
さらに遠く、監視用の無人機が蜘蛛のように漂っている。
――そして、東や南の空を切り裂いて迫る複数の巡航ミサイル。
(……本物……)
その瞬間、低い声が胸腔を震わせた。
「他国の首都に平然とミサイル撃ってきやがった。……でも、日本は何も言わないんだろうな、はは」
テレビ越しに何度も聞いた声。
だが今は耳ではなく全身で受け止めている。骨の芯まで震えるほどの近さで。
両手を広げる感覚が重なり、体の奥から魔力が噴き上がるような圧力が伝わってくる。
次の瞬間、光の障壁が都市全体を覆った。
直後、空が裂ける轟音。
爆炎が連鎖し、薄闇を真昼に変える閃光が広がった。
焼けた金属の匂いが肺を刺す。
衝撃波が津波のように押し寄せたが、障壁がすべてを呑み込み、街には瓦礫ひとつ落ちない。
(……これが……センエースの視界……!)
トコの指は意思に反して動き出す。
目に映る閃光、肌を焼く熱気、心臓を叩く鼓動――そのすべてが文字として溢れ出す。
センの冷笑。
障壁が兵器を無効化する光景。
そして、世界を挑発するあの宣告。
「さあ、どうする。この結果を合理的に踏まえれば、俺は『核でも殺せない』ぜ――そういう前提で、俺対策を考え直した方がいいんじゃないか? くく……大変だな。心中お察しするぜ」
現場に観衆はもういない。
だが、その言葉はテレビとSNSを通じて全世界に響き、歓声と悲鳴がネットの向こうから押し寄せてきた。
「……すごい……」
トコは、体感した全てを文章にぶつけた。
パーフェクトライターの効果で丁寧に整えることも忘れない。
しっかりと見直したうえで投稿。
一拍の後、モニター上の数字が跳ね上がっていく。
PV:5,050 → 8,210 → 12,090
ブクマ:208 → 230 → 532
同時に画面端に小さなポップが浮かぶ。
〔解析ログ〕
――拡散元:ニュース系まとめアカウント(影響度=大、瞬間流入+1200)
――反応集中:〈障壁展開の瞬間〉 → コメント速度:平均5秒に1件
(……この報告は……つまり、今の読者の大半は『まとめ垢』から来とって、読者の心が跳ねたのは『バリアが張られた瞬間』。――なら、次の更新は冒頭であの感覚をもう一度。タイトルと導入を『障壁』に寄せて、活動報告でも拾いに行けば、……数字はまだ伸びる)
更新のたびに通知音が止まらない。
コメント欄は秒ごとに書き込みで埋め尽くされる。
『熱量すげぇ、ニュースより震えた』
『釣りタイトルかと思ったのに本物w』
『文章プロすぎ。素人じゃないだろ』
『いやでもこれ、作者ちょっと頭イッてるな』
『更新頼む。今一番待ってる』
『センの台詞、怖いのになんか妙な快感あるんだが……』
『中毒性高すぎ、寝れん』
六畳のワンルームの狭い空気が熱気で膨張していく。
同時に、トコは自分の手が震えていることに気づいた。
まるで、まだセンエースの冷笑が体の奥に残響しているかのように。
(……借りものの視界と、異能の補強を受けた文章。あたし自身の力はなんもない……でも、あかん。書かずにはおれへん……)
胸の奥で、ほんのかすかな罪悪感が疼いた。
だがその痛みは、画面を埋め尽くすコメントの熱量にすぐ塗り潰されていく。
倫理は遠ざかり、残るのは甘美な快感ばかり。




