セン0話 総理の判断。
セン0話 総理の判断。
防衛省・市ヶ谷庁舎の地下危機管理センター。
官邸直通のホットラインがけたたましく鳴り響いていた。
「総理、渋谷の状況は制御不能です。SATは壊滅的被害、交戦継続は不可能です!」
「このままでは首都機能に重大な支障が――至急、治安出動のご決断を!」
幕僚たちの声は切迫していた。
総理は額に汗を浮かべながらも、努めて落ち着いた口調で答えた。
「……わかっている。国民の安全を最優先に考える。米国とも速やかに連携し、国際社会へ適切に説明する必要がある」
言葉はまっとう。
だが、その裏で胸中には別の思いが錯綜していた。
(渋谷のテロリストは、ここまで来るのか……? 官邸も狙われる可能性は……いや、仮に、ここまできたとしても、私なら交渉で時間を稼げる。大事なのは世論だ。危機に立ち向かう姿を演じれば支持率は回復する。復興資金の流れも、仕組み次第で利権になる。この事態をどう利用するか……それこそが最大の――)
歯噛みする統合幕僚長が声を荒げる。
「悠長にしている時間はありません! 敵はすでにSATを全滅させている! このままでは都心が壊滅します!」
防衛大臣も机を叩きつけるようにして言った。
「総理! 国民を守るために、直ちに部隊を動かさねばなりません!」
総理はゆっくりとうなずき、
(市民の犠牲はどうでもいい。問題はそこじゃない。この問題をどう活用し、支持率をどう立て直すか。復興予算をどう流すか。米国に顔を立て、投資家を安心させれば、むしろ追い風になる。責任は現場に押しつければいい……)
無数に未来を考えた上で告げた。
「……渋谷に普通科部隊を投入せよ」
命令はただちに伝達され、陸自の部隊が慌ただしく動き出した。
市ヶ谷から渋谷までの距離は十数キロ。
道路封鎖と隊列の形成を含めれば、展開にはどうしても時間を要する。
その間も渋谷の交差点には、異様な沈黙が広がっていた。
黒い渦に呑まれたSAT隊員たちの残した盾や銃が無造作に転がる中、
ただ一人、センエースだけが中央に立ち続けている。
彼は大きく口を開けてアクビをした。
時折、空を見上げ、旋回を続ける報道ヘリを見やりながら退屈そうに笑う。
「……軍を動かすのに、これだけかかるか。流石だぜ、日本。平和ボケっつぅか、普通にボケてる。ツッコまれるのを待っているとしか思えねぇ」
ぼそりと呟きながら、また、大きくアクビをした。
★
――命令からおよそ三十分後。
渋谷の各方面から轟音が迫った。
装甲車が隊列を組んで流入し、重武装の兵士たちが次々に展開。
都心の道路は完全に封鎖され、避難の叫びとサイレンが渦を巻いた。
やがて、渋谷の交差点は完全に包囲された。
銃列が整い、銃口が一斉にセンへと向けられる。
――しかし、相手は沈黙したまま一歩も動かない。
緊張だけが増していき、誰も引き金を引けなかった。
「対象の動きはありません……しかし、このままでは主導権を奪われます! 現場としては発砲許可を求めます!」
現場からの無線が管制室に飛び込む。
――防衛大臣が机を叩いた。
「総理、発砲許可を!」
総理は、重々しく口を開いた。
「……現場の判断に委ねる。ただし、国民への被害は最小限に抑えろ」
いいながら、心の中で、
(これで、責任は回避できる。やはり、私は頭がいい)
★
「――各員、撃て!」
責任感が強い連隊長の怒号が飛び、89式小銃が火を噴いた。
軽MATが轟音を立て、装甲車の機関砲が火線を走らせる。
轟音と爆炎が交差点を呑み込んだ。
しかし――炎の中から歩み出たのは無傷のセンだった。
髪の先ひとつ乱れていない。
「……引き金一つ引くのに、どんだけ時間かかってんだよ。アクビするのも飽きたぜ」
その余裕に、隊員たちの背筋が凍る。
再び火線が集中するが、弾丸も榴弾もすべて彼の周囲で霧散した。
「可哀そうに……腐った政治屋どものせいで、まともに戦うことすらできない。安心しろ。お前らを殺したあとは、お前らに死ねと命令した連中も、まとめて綺麗に殺して地獄を見せてやる」
センが指を弾く。
次の瞬間、小隊の頭上に黒い渦がいくつも開き、兵士たちは抗う間もなく吸い上げられて消えた。
銃や装備だけが地面に残され、わずかな残響を残して現場は静まり返る。
その上空。
空自のF-2戦闘機が急降下し、翼下からミサイルを発射する。
閃光と爆炎が真昼の渋谷を覆った。
炎の中心から歩み出たセンは、口の端を吊り上げた。
「少し痛いな……マジか。たかがミサイルごときで俺がダメージを受けるとは……どんだけ弱体化くらってんだよ。泣きたくなるな」
その瞳が空を射抜いた瞬間、F-2の計器は狂い、翼が大きく揺らぐ。
「俺にダメージを与えた褒美をくれてやる」
悲鳴を上げるように、戦闘機は制御を失い、白昼の空に火を引きながら墜落していった。
もちろん、途中で、センがコントロールし、海に落ちるように調整した。
――次回、総理、死す。




