コルナート辺境伯
果たして、クシャナ王女殿下の言った事は真実となった。
クシャナ王女殿下と出会った日に、落ち着いて王都観光がしたい、とシオンがオレにねだってから1週間が過ぎた頃の事である。
◆
「……ん?」
馬車が止まった。
なかなか気品溢れる……そう、瀟洒とも言うべき馬車だ。
どこかの貴族家の馬車らしく、車体の横っ面には家紋と思しき紋章が刻まれている。
「貴族家の馬車か。どこの家だ?」
「お前……あれ……」
「ん? どうしたシオン?」
横にいるシオンの様子がおかしいので振り向いてみれば、件の馬車を見つめたまま物凄く驚いた表情をしている。
もしかして、どこの家の馬車か知ってるのか?
「バッ――お前、知ってるなんてそんな簡単なもんじゃない! あれはコルナート辺境伯の馬車だ!」
「コルナート辺境伯……?」
はて。どこかで聞いた事があるような、ないような。
うーん……なんだっけな……?
「ソルダルの領主だよ……!」
「……ああ、なるほど。思い出したわ」
コルナート辺境伯。
シオンでも知っているらしいソルダルとその一帯を治める、伯爵位の貴族。
オレは知らなかったし興味もなかった。ついでに言えば覚えてすらなかった。
別に面識があるわけじゃなし、何かをしてもらった記憶もしてあげた記憶もないし、仕方ないだろう。
それはさておき、なんだってそのコルナート辺境伯が王都に来てるんだ? 国王直々に召喚したのかな?
いや、そうだとして、狙ったようにオレ達の前で停車するのはどういう事なんだ……?
「ん、降りてきたな……」
御者らしい男が馬車のドアを開けると、中から人が1人、タラップを踏んで降りた。
その人は特に迷うような素振りも、何かを探すような素振りも見せず、こちらに身体ごと向くと、真っ直ぐに歩いてくる。
そして、その人はオレ達から50センチほど離れて足を止めた。
「……冒険者パーティ《黄昏の双刃》だな?」
コルナート辺境伯は女性だった。
ダークブラウンの長い髪、ワインレッドの瞳、顔立ちは美人と言って差し支えないが、左眉の上から顎にかけてある一条の傷痕が痛々しくもある。
だが、それを補って余りある美貌だ。
「フフ……そう警戒してくれるな。いや、詮無い事だとはわかっているがな。とりあえず馬車に乗ってくれ。往来では少し話しにくいんだ」
「……辺境伯みずからが、我々に何用で?」
「少し込み入った話がある。安心しろ。貴族特権を振りかざしたりしないから」
「……………」
ちらりとシオンを見るが、辺境伯を目の前にしているからか使い物にならない。
……まあ、仕方ないか。《黄昏の双刃》の交渉事なんかはオレの役目だしな。
「悪い話、ではないんですね?」
「コルナートの名に懸けて約束しよう」
「……わかりました」
オレの返事にコルナート辺境伯はにっこり笑って頷くと、身を翻してスタスタと馬車に戻っていく。
……結構危ない人だな、コルナート辺境伯。
あの笑顔で危うく惚れるところだった。
「よし。行くぞ、シオン」
固まったままのシオンを引きずってコルナート辺境伯の馬車に乗り込む。
オレとシオンが乗り込んですぐに、馬車は動き始めた。
一体どこに行くんだろうな?
「さて……改めて自己紹介といこう。私はメリッサ・コルナート。コルナート辺境伯が私だ」
「知っているとは思いますが。《黄昏の双刃》のクロウ。こっちで固まってるのがシオンです」
「ああ。話はよく聞いている。我が領地に、目を見張る活躍をする冒険者パーティがある、とね」
「恐縮です。それで……一体何の用なのでしょうか?」
「うん。いや、実はな。お前達の功績を見込んで叙爵しようという話が出ている」
……ああ。クシャナ殿下の言ってた通りか。
でも、なんでそれでコルナート辺境伯が来てるんだ?
「……驚かないんだな?」
「1週間ほど前に、クシャナ王女殿下がやって来まして……」
「ははぁ、なるほど。そういう話を聞いたか」
「……ええ、まあ」
「そうか。それなら話が早いな。叙爵が本決まりになったんだ」
「はあ……。しかし、何故コルナート辺境伯が?」
「ああ、私か? 私はお前の寄親になるんだ。つまり母親だな」
「叙爵されるのは、オレだけですか?」
「そうだ」
「シオンには、何かそういう恩賞はないんですか? コルナート辺境伯も貴族としてあるなら、シオンも叙爵されるべきだと思うのですが」
「私は……まあ、並々ならぬ事情があるからな。その代わり、勲章やら金やらが貰えるはずだぞ」
ふーむ……そういう事なら仕方ないか。
国の決まりにごちゃごちゃと口を挟んでも、力が弱い今では何も出来ないしな。
「ああ、そうだ。家名は決めてあるか?」
「いやぁ……本当に叙爵されるとは思わなかったので、そういうのは全く」
「……まあ、そうか。とりあえず、家紋と一緒に考えておけよ。紋章官なんかは、私が手配してやるから」
「それは……いいんですか?」
「良いも悪いも、これからお前は私の子だ。子が親に遠慮をするんじゃない」
「……そういうもん、ですかね」
「そういうものだ。まあ、徐々に慣れていけばいい。どうせ、これから長いんだからな」
「まあ……そうですね」
叙爵は、まあ、栄誉な事だろう。
正直、どうしてこんな事になった、と思わないではないが、特権階級ともなればやれる事も増えるだろうし、色々と未知のものに出会えるかも知れないしな。
惜しむらくは、クシャナ王女殿下がついてくる事と、今までみたいにおいそれと遠出出来なくなる事か。
「そういえば、クロウは歳は幾つだ?」
「18ですが……」
「18か、若いな……。私より10歳も若い」
「コルナート辺境伯は28ですか。……見えませんね。実は23とかだったりしません?」
「フフ。そう言ってもらえるのは、女としては嬉しいがな。……時に、クロウは意中の相手はいるのか?」
「……はい?」
「その歳なら色恋の1つや2つ、しているだろう?」
「は……いや、あー……うーん……」
恋愛かぁ……。
シオン、レイン、ジュリアス、ヴァイス……。
いや、なんか違うな。シオン達は色恋って言うか、まだ友人……?
「なんだ、いないのか?」
「いない、ですね……今のところは」
「そうか。……好みは? 歳上か? それとも、歳下が好きか?」
「うーん……そのどちらかなら、歳上ですかね」
「なるほどな。淑やかなのが好みか? それとも、闊達なのが好きか? あるいは、快活そうなのか?」
「どんなタイプでもそれぞれ魅力がありますから、特にこれがというのはないですかね」
「ふむ。……参考までに聞いておきたいんだが、私はどうだ?」
ちょっとワクワクしたような面持ちで尋ねてくるコルナート辺境伯。
……この人も、やっぱ女の子って事なのかな。
女性って、色恋の話に妙に喰い付く気がするんだよなぁ。
「出会ったばかりですから、なんとも。ただ、まあ、嫌いではないですね」
「そうか……! あ、いや……ん゛んっ。ともかく、もしそういう紹介が欲しければ、今のを覚えておくから、私に言え」
「くくくっ……。はい、ありがとうございます」
まあ、そういう話はとりあえず考えないようにしておこう。
どうせ領地に行けばクシャナ先生による領地経営の授業があるんだ。
いや……そもそもどこを領地に貰うのかさえ判明してない。
普通は連絡が来ると思うんだが……まあ、いいか。どうせ今までも臨機応変にやってきたんだ。何が変わるわけでもないだろ。
「クロウ。改めて言っておくが、私はお前の親になる。遠慮せずに、なんでも訊いてこい。私も助力は惜しまないからな」
「わかりました。何かあれば間違いなく頼らせていただきます、コルナート辺境伯」
「……母になる、と言ったはずだがな?」
「おや。コルナート辺境伯は10歳しか違わない男から『お母さん』などと呼ばれたいので?」
「……バカ者」
拗ねたような口調で、そっぽを向きながら言うコルナート辺境伯。
なんだよ……結構可愛いじゃねえか……。




