ねだるな、勝ち取れ
「嫌だ、ダメだ、断る、拒否する」
アラクネ……もとい、アラクネクイーンとその群れの討伐の翌日。
昨日、その日のうちにソルダルに戻るのは流石にシオンとフレイの体調を鑑みて取り止め、王都の宿屋で一夜を明かした。
が、今にして思えば、気絶は要するに寝てるのと変わらないのだから、とっととソルダルに帰るべきだった。
というのも。
今現在、グランドマスターのランバートと、ガルザの後釜に騎士団長になった男とが、止まっている宿屋にやって来ているのである。
『アラクネクイーンの遺骸を渡せ』と。
「なあ、そうつんけんすんなよ? いいじゃねえか、魔物の遺骸くらいよ」
「黙れランバート。その魔物の遺骸をお前達は何に使うつもりなんだ。騎士団長までわざわざ連れてきて、一体何のつもりだ」
「それは……まあ、なんだ。やむにやまれぬ事情ってヤツがあるんだよ」
「はん。どうだかな? 大方、最底辺にある騎士団と軍部の威光を復活させるために、アラクネクイーンの遺骸が欲しいんだろうが」
オレがそう言うと、ランバートはばつの悪そうな顔をして視線を背けた。
騎士団長の男もまた同様だ。
「それ見た事か。役所仕事は大変だな、ランバート?」
「それがわかるんなら渡しちゃくれねえか、クロウよう」
「断ると言ったはずだ」
「……何と引き換えならいいんだ?」
「……言えば引き換えにしてくれるのか」
「頑張ってみる」
「言質は取ったぞ。この場にいる3人全員が証人だからな」
一応睨みを利かせる風に振る舞ってみるが、渡すつもりは毛頭ない。
はからずも同郷だと知れた人の、その高潔たる精神を無駄にしないために、オレがアラクネクイーンの遺骸を手放す事は絶対にない。
「それで、何が欲しいんだ?」
「――首を出せ」
「……首?」
「そうだ。国の中枢に名を連ねる人間、その部下、子々孫々に至るまで。その全ての人間の首を差し出せ。それなら考えてやる」
「そんな……!?」
「……クロウよう。そいつは無理ってもんだろうがよ」
騎士団長は驚きに目を見開き、ランバートは苦虫を噛み潰したような顔で額に手をあてる。
「んな事は百も承知だ。出来ない条件を出してるんだからな」
「……はあ。どうしてもダメか」
「くどい。例え国王が自ら願い出ようが、オレの意見は変わらない」
「だったら仕方ねえな……」
ランバートは苦々しげに言うと、椅子から立ち上がりつつ傍らのバトルアックスに手を伸ばした。
魔眼の1つ、『鑑定眼』で見るとわかるのだが、このバトルアックスは魔導具。身体能力の強化とか、色々と装備者に恩恵を与える代物だ。
それに手を伸ばしたって事は……なんだ?
もしかして、オレを殺そうってか?
まあ、アラクネクイーンの遺骸はホロスリングの中にあるから、オレが死ぬと一生取り出せなくなるが。
「邪魔したな、クロウ」
「……帰るのか」
「ああ。大体な、アラクネクイーンを騎士団で討伐したって吹聴しても、実力が伴わないなら評判はまた地の底だ。団長さん、そうだろ?」
「……はい。仰る通りです」
「へえ、殊勝なんだな。役所仕事ばっかりかと思ってたが」
「はははっ! 俺だってバカじゃねえ。それに、グランドマスターなんかやってんだ。ギルド側が冒険者に味方しねえでどうすんだって話だよ」
そう言うと、がっはっは! と景気良さそうに笑うランバート。
まあ、単に誤魔化してるだけなんだろうが。
「にしても、随分とアッサリだな?」
「そりゃ、俺だってこんな事が罷り通るなんて思っちゃいねえからなあ」
「その調子で軍部の連中も黙らせてくれればありがたいんだがな」
「そいつは、ほら、この団長さんの仕事だ」
「どうかな。騎士団は縦社会だろ? 止める奴がいないから腐蝕してんじゃないのか?」
「まあ、そうかもな」
実際のところ、この騎士団長はランバートと一緒にやってきてからほとんど話していない。
顔自体は昨日の一件で見ているから、アラクネクイーン引渡しの牽制として行けと軍部に言われたけど、昨日の事がフラッシュバックしてあまり話せなかったのかね。
まあ、誰に何を言われたところで、アラクネクイーンの遺骸は誰の手にも渡さない。
あの時雨って人とまた会えたら、その時は話のタネに見せるかも知れないが、それくらいだ。
「とにかく、俺達は帰る。シオンにもよろしく言っといてくれ」
「……フレイ殿にもよろしくお伝えください」
「わかった。……アラクネクイーンの事以外なら、依頼してくれれば力になる。それで勘弁してくれ」
「は……いや、はい。その時はよろしくお願いします」
「……ガルザの後釜とは思えないな……」
「はい?」
思わず口の中で呟いた。
騎士団長となるからには貴族の息子なんだろうと思うが、昼間から酒を呷って赤ら顔でいたガルザの後釜とは思えない。
あるいは本性を必死に押し殺して、当たり障りのないような態度に努めているのかも知れないが、それはそれで、公私の切り替えがきっちりしてる人間として好ましくある。
まあ、それをわかってて軍部が使いに出したなら、大したもんだと思うが。
「いや、なんでもない。期待に応えられなくて悪いが、アラクネクイーンだけは誰にも渡せないんだ。ギルドに売れば金になるが……まあ、そこまで金が欲しいわけでもないしな」
半分本当で半分嘘だ。
金なんて、あるに越した事はないし、本当は欲しいところだ。
まあ、蜘蛛の死体だけはたっぷりあるから、それを売りに出すとしよう。
いや、待てよ……確か、蜘蛛って喰えるんだったよな? チョコレートの味がするとか聞いた覚えがある。
非常食に持ってるのもアリかな。
「……ここだけの話、なのですが」
「――ん?」
「実は、昨日の一件で、討伐に出た騎士達はすっかり怯えてしまって。斯く言う私も、出来る事なら2度と目にしたくはないのですよ」
「……ははは」
これにはオレも、ランバートも苦笑するしかなかった。
まあ、純然たるSランクの魔物なんて初めてだっただろうし、オレなんかはフェンリルでいくらか慣れてたけど、初見じゃ厳しいだろうな。
討伐に出た騎士達がトラウマからの不眠症で死なない事を祈っていよう。
「では、失礼します」
「じゃあな、クロウ」
「ああ。また何かあれば」
部屋のドアの向こうに消えていくランバートと騎士団長を見送る。
アラクネクイーン引渡しを断った事で、軍部からちょっかい出されなきゃいいがなぁ……難しいかな……?




