日常への復帰
「なあ、もう手を引くのか?」
「ああ」
王城の中を歩きながら、投げ掛けられた問いに短く答える。
「最後までやるって言ってたよな?」
「まあな」
「なんで手を引くんだ?」
当然とも言えるシオンの疑問。
確かに、毒を喰らわば皿までの精神で、最後まで面倒を見てやろうとは思っていた。
しかし、今はまだ幕は下りていない。フィナーレには、今少し早い。
では、何故手を引く事にしたのか。
なんの事はない、簡単な答え。すなわち。
「興が冷めた」
つまりはそういう事。
ガルザの話を聞いて、一気に熱が冷めた。
まあ、昼間から酒瓶片手に怒鳴り散らす酔っ払いの言う事だから、正直あまり信用していないが。
酔っ払いの言う事なんてのは、話半分に聞いて嘘だった時に『やっぱり嘘だったんじゃないか、この酔っ払いめ』ってせせら笑うので十分だ。
酒の入った人間の言葉なんて、およそ信用に値しないのだから。
まあ、それでも割と有益な情報ではあった。
どんな巨悪が潜んでいるのかと思えば、なんの事はない痴情のもつれだったが。
しかしそうなれば、あとは部外者の出る幕ではないだろう。観客には申し訳ないところだが、脇役は程ほどのところで舞台から降りるべきだ。
あの国王もまた信用ならない相手だが、自国の……それも自分の膝元の出来事なら、告発さえあれば無視は出来まい。
愚王でなければ、というのが前提だが。
「……つまり、飽きたのか」
「ああ、飽きた。まったく、無駄な時間を過ごしたもんだ。どんな悪の親玉がいるかと思えば、子爵風情が生意気に私情を持ち込んだだけだったしな」
「まあなぁ……」
「これならフェンリルを相手した時の方がよっぽど有意義だったよ。国王からの呼び出しだからって、わざわざ王都くんだりまで来るんじゃなかったわ」
「まあ、そう言うなよ。牢屋生活だったけど、俺は楽しかったぞ。……お前と一緒だったからな」
「牢屋生活が楽しかったなんて、お前もなかなか愉快な奴だな。ところで、もうちょっと何か言ってなかったか? よく聞き取れなかったけど」
「き、気のせいじゃねえか? 何も言ってないぜ?」
「そうか?」
うーん……何か言ってたような気がしたんだが、本人が違うって言ってるんだから、きっとそうなんだろうな。
「しかしまあ、ロクな王都旅行じゃなかったな。国王には遊ばれるわ、牢屋にはぶち込まれるわ」
「――それはすまなかった」
「あん?」
突如聞こえてきたシオンのものとは違う声に振り向くと、そこには、側近らしき男性を連れたアルトラ国王がいた。
「ああ……あんたか」
「ああ、私だ。……先日は失礼をした。責任から逃れるわけではないが、あれは君達に会う直前に提案されたものでな。改めて非礼を詫びよう」
「……いや、気にしないでくれ。オレも、あの程度の児戯で狭量だった。こちらこそ、会談を急に打ち切って申し訳ない」
「児戯……か」
「児戯だろう? ともあれ、提案した人間は随分と剽軽な人なんだな。国王に恥をかかせようなんて、一体どんな人なんだ?」
そう尋ねると、アルトラ国王はその整った顔の口角をわずかに上げて、困ったような表情で微笑みながら言った。
「姉上だ」
姉上?
という事は……ええと? 王姉殿下って事か?
……うぅん。王制国家には詳しくないからよくわからんな。
「王姉殿下は……あー、なんというか……」
「はは。いや、いいのだ。あの人の奔放さは、今に始まった話でもないからな」
「そうですか……。しかし、それなら尚更、手綱をしっかりと握っていていただかないと、困りますね」
「……耳の痛い話だ。ところで、お詫びの印に何か贈ろうかと思うのだが、何か欲しいものは?」
「……ないなぁ。シオンはどうだ?」
「言われて急に思い付くものでも……」
「じゃ、貸し1という事で」
「ははは。わかった、そうしよう。何かあった時、私の力が必要なら言って欲しい。私に出来る範囲で力になろう」
アルトラ国王は微笑みを絶やす事なく言った。
……あの、隣の側近っぽい人がすっげえ苦い顔してるんだけど、それは大丈夫なんですかね?
まあ、国王自らが貸しでいいって言ったんだし、是非もないか。
「君達は、もうソルダルに?」
「や、満足に王都観光も出来なかったんで、しばらくは滞在しますよ」
「そうか。……まあ、賑やかな以外は他の街とそう変わらないとは思うが、ゆっくりしていって欲しい。では、私はこれで」
「はい。どうぞご自愛ください、ロイ国王」
「君達もな」
微笑んだまま去っていく国王の背中をしばらく見送ってから、再び歩き始める。
……ふむ。なんというか、随分と親しみやすい人だったな。あれが素か?
王姉殿下も奔放な人柄だって話だから、まあ、要はそういう気質の家系なんだろうな。通常の王制国家では、多分まず考えられない。
ともあれ……第3隊に関しては既に耳に入れてあるし、これでギルドを介して告発文でも届けたなら流石に動かざるを得ないだろ。
「……さて。じゃ、早速宿屋取りに行くか」
「……あのさ、クロウ」
「なんだ、シオン」
「国王に会ったんだから、もうちょっと、こう、余韻みたいなのないわけ?」
「ないな。別に余韻を感じるほどの没入感があるわけじゃないし。それより、早く宿行って風呂入ろうぜ」
「あー……そっか。風呂入れてなかったんだもんなぁ……。あのさ、俺、臭くないかな?」
「んー……?」
言われて、シオンに顔を近付けて匂いを嗅いでみる。
女の子ってヤツは、仮に同じシャンプーやボディソープを使ってても、男と違って妙に良い匂いがする。そういう『生き物』だ。
シオンは、まあ、言うまでもないのだが、元々は男だったはずなのに、妙に良い匂いをさせている。とても、しばらく風呂に入ってないとは思えない匂いだ。
……まあ、多少は汗の匂いも感じるが。
……あれ? なんかオレ、かなりヤバい部類の変態っぽくない? あれ?
いや! 大丈夫だ! 別に興奮しているとかでは……ないから! ちょっとエロスは感じるけど。
「別に臭くはないな」
変な考えに囚われて早鐘を打ち始めた心臓を誤魔化すように、なんでもない顔でそう告げてやる。
「ホントか?」
「嘘なんか吐かないっての」
「そっか。……よかった」
にへら、と笑うシオン。
えっ……なにこの子……。そんな顔出来たの? 心臓に悪いんで早いとこ引っ込めてもらえると嬉しいんだけど?
「じゃ、宿屋探すか。2人部屋だよな」
「え? あ、うん……そうだな」
「よしっ。行こうぜ、クロウ」
元気っ子。
そんな言葉が相応しい笑顔をそのままに先を歩くシオン。その後を少し遅れてついていく。
なんか……久しぶりに女の子に心揺さぶられたなぁ……。
しばらく忘れてた感覚だ。今夜は、ちょっと眠るのが難しそうだな……。




