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ココアのない喫茶店  作者: 椿ツバサ
ナポレオン・ボナパルト―――『強いコーヒーをたっぷり飲めば目がさめる。コーヒーは暖かさと不思議な力と、心地よき苦痛を与えてくれる。余は無感よりも、苦痛を好みたい』
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「いらっしゃいませ。どうぞ、こちらへ」

 茉奈は微笑みを浮かべ常連である廣瀬夫婦をテーブルへと案内する。廣瀬夫妻はニコニコとした顔のままアルコール度数の低いカクテルをそれぞれ茉奈を通して頼むが、そこで茉奈は彼らにあるお願いをする。

「本来なら、店長である天童、もしくは益岡が淹れるのですが、よろしければ二谷が淹れてもよろしいでしょうか?」

「奏音ちゃんが、かい?」

「はい。いかがでしょうか?もちろん、試験提供、ということですのでお題などは割引をさせて頂きます。クレフの常連、ということでの我々からの頼みとして受け取っていただけますか?」

「願ったりかなったりだよな」

「そうですね。では、奏音ちゃんに期待させてください」

 老夫婦は頼まれるまでもなく、といった面持ちで快諾をするとそのオーダーを茉奈は嬉々とした表情で英章と奏音に伝える。

「なにも、一番のお客さんとして来られなくても……」

 廣瀬夫妻を恨むわけではないが、どうしても心持というものがあるのでまさかの一番客という事実にはソワソワとさせられてしまう。

「奏音ちゃん、息を吐いて、肩の力抜いて。大丈夫、今までも十二分に練習はしてきたわけだからね。自分に自信を持って頑張って」

 小さく震える奏音の両肩に手をのせて安心をさせるように微笑みかける。その微笑みがより緊張を促したのは外野の茉奈からも伝わり苦笑いしかできない。奏音の事を女性として意識していないわけではないだろうが、今現在は店の長として奏音を安心させたいのだろう。

 対する奏音は自身の不安を開店前から吐き出していた。それはコーヒーを客にふるまうのとはまた違う緊張があるらしい。コーヒーはあくまでも自分で何度も味見をしたうえで納得したことがあるのを提供できるので緊張が緩和できる。だが、カクテルは、やはり自分の舌で感じることのできないので自信をもう一歩踏み出せないということらしい。味見は英章らが行っておりそれには茉奈もかかわっている。だからこそ、茉奈も奏音の出すカクテルがなかなかのものになっているという自信はあるので頑張ってと言う視線で応援する。

 一つ、大きく呼吸をしてから奏音は自分の頬を叩きカクテルを作成し始める。そこからはまるで別人のようだった。まん丸い目は、同性の目から見ても可愛いという印象を受けるが、現在はそれを細めて瞳の光が伸びて真剣そのものとなる。

 いつまでもここにいるわけにはいかないので、現在ホールを担当している華央と交代に客をさばきながら奏音がカクテル作成を終えるのを待った。戻ってきた頃には華央からのオーダーを着々と英章はこなしていた。

「茉奈さん。これ、2番テーブルに」

「運んでいったら?自分の耳から聞いてみたらいいんじゃない」

「えっ?そんな」

「僕もそれをお勧めする。奏音ちゃん性格的に自分の耳で聞かないことには銅も信じきれないところあるでしょ?その眼と耳で、廣瀬さんたちが優しい嘘をついていないことも含め見てきたらいいよ」

「ほらっ、マスターも言ってる事だし」

「だ、だからマスターはやめてよ」

 マスター発言に苦言を呈する英章を無視し奏音を促す。奏音としても子供の様に駄々をこねるわけにはいかないとわかったので息をつくと2番テーブルに向かう。

「失礼いたします。お待たせいたしました」

「おお、奏音ちゃん。期待してるよ」

 廣瀬爺さんのにこやかにプレッシャーをかける部分にはひきつった笑いで返すしかない。ともかく、カクテルと、それの説明をして最後におつまみを出す。逃げ出したい空気にあてられるが、奏音がここに顔を出した意味を計り知れていない廣瀬夫妻ではない。一口、それぞれ飲むとにこやかに感想を告げる。

「美味しいよ。心がこもってる」

「あなたったら、抽象的すぎるわよ。でも、うん。優しさも伝わるしとても美味しいわ。ありがとう」

 美味しいという言葉は頂いたがそれがお世辞かどうかまでは分からない。しかし、少なくとも笑顔を産むことができたというのは確かで奏音は黙って頭を下げて返事とした。孫替わり、にしては自分は成長しすぎているような気もするが彼らの安らぎに慣れたのなら嬉しいことだ。

 チラリと扉の開閉音に従いそちらを伺う。

「げっ……」

 思わず声が漏れる。3人は気が付いていないようだが、茉奈に案内される3人はそう、奏音の大学メンバーであった。

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