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土曜日の午前10時。朝日と呼ぶには太陽は上がりっ来ている時間帯に、奏音はセンブリの店内にいた。まだ焙煎前の状態である生豆がいくつか置いてある。バックヤードにて机を挟み店のオーナー、天童英章による面接が始まろうとしていた。
「とりあえず、簡単な質問していくだけだから。まあ、気にはしないでね」
「はい」
優しく奏音に笑いかけて奏音が出した履歴書を見る。
水城学院大学在籍。アルバイト経験は無し。つらつらとみてから英章は奏音に声をかける。
「まあ、結論からいうね」
「は、はい」
結論からとは、どういう意味なんだろうかと思いながら返事を返す。
「うち人手足りないわけで今は少しでも人員がほしいんだよ。だから僕としては、えっと……二谷さんを採用する気でいるんだ」
「そう、なんですか?」
「うん。だから、まあ……形式だけ?やらしてもらうからね」
なんと反応していいかに困ったため奏音は曖昧な笑顔で返す。作り笑顔、営業スマイル。こういえばあまりいい言葉ではないように思うが、笑顔を作るぐらいなら人並にできる自信はある。そもそもそれができなければ接客は向かないだろう。
「とりあえずだけど……。なんでうちの店を希望したのかな」
「はい。店の雰囲気……とでもいうのでしょうか。どこか優しげで、そして緩やかな時間を感じさせるここが、一人の客として気に入ったんです。そしてこんなところで働ければ。そう思って応募いたしました」
「そっか。うん。基本的にウェイトレスをやってもらうけど、そこらへんは入ってから覚えてもらうとして……。料理はできるかな」
「人並程度にはできると思います。お弁当も自作してますし」
「なるほど。じゃあ、緊急の時は料理も手伝ってもらうかもしれないってこと、覚えておいて。そして最後。週にどれぐらいはいれるかな?」
「現在は……月曜、水曜、金曜は5時30ぐらいから。火曜日と木曜日は4時から。土日は全日いけます」
「そっかぁ。ウチ、シフトは週単位でもらってるんだ。だから基本的には学業とか優先してね。それじゃあ……そうだな。これから空いてる?」
「えっ?はい」
その返事に大きく頷く英章。椅子を引いて立ち上がり、バックヤードから顔を出す。
「京ー。少しいいか?」
「なに?」
京。奏音がアルバイトについて尋ねたあの日、ウェイトレスをしていた少女を呼び出す。
「うちの制服のストック、倉庫にあると思うからそれ取ってきてくれないか?んで、二谷さんについてほしい」
「……あたし都合のいい人みたい。いいけど。じゃあとってくるね」
「うん、まかせた」
京を送り出し英章は奏音を見る。
「今から簡単に研修を兼ねて少し店に出てもらう。基本的にはさっきの子、京に聞いたらわかるから」
「えっと……。急ですね」
「今日は人手が多いから。こういう時にやっとかないとと思って。あっ、さっきのはもう同じ天童ってことで察しがついてるかもだけど、僕の妹。アルバイトとして手伝ってもらってる。じゃあ、僕は店の方に出てるから着替えたら出てきてね」
「はい。ありがとうございます」
頭を下げる奏音。
「ははっ。お礼を言いたいのは僕の方なんだけどね」
少し笑って英章は店内へと戻った。少し辺りを見回す。
バックヤードは簡素な造りだった。安っぽいテーブルとイスが並べてあるだけのもだった。扉は店内につながるもの、京が出て行った裏口となっているもの、そしてもう一つがあった。
観察をしていると裏口の扉が開かれる。京が三つの制服をを持って現れた。
「お待たせしました。あそこのドア開いてください。更衣室あるんで」
「あっ、はい」
京に指示され奏音は動く。扉を開けると短い廊下となっていてそこには二つの扉があった。
「手前の方が女子更衣室なんで、そこはいってください」
言われるがまま扉を開ける。ロッカーがいくつか並んだこちらも簡素なものだった。
「よいしょっと。一応SMLの三サイズあります。あっ、あたしは天童京っていいます」
「はい。先ほどマスターさん……えっと、お兄さん?に聞きました」
「あぁ。じゃあ話早いですね。それと、あたし高校生なんで別に敬語とかいらないですよ」
「えっ、でも」
「なんか、年上に敬語とか使われたらむず痒いんで」
そう肩をすくめてみせるので奏音もそれが本心なんだなと気づく。
「うん、わかった」
これ以上敬語を無理に言い続けるのも、逆に京が可哀そうだと判断した奏音はため語へと切り替える。
「私は二谷奏音。よろしく」
「うん。よろしくお願いします。じゃあ……えっと。とりあえずMサイズでいいかな?これを」
「ありがと」
京から服を受け取る。
服を脱いでそれに着替えてみる。例の白のワイシャツ、エメラルドグリーンのジャケット。黒のロングスカートだ。
ピッタリ、というには少し大きめだが、これぐらいで十分だろう。そう判断して一つ小さく頷く。
「大丈夫……だと思う」
「よかった。ネームプレートは届き次第渡します。今はこの研修用のものを」
「ありがと」
京を少し見てその通りの場所にネームプレートを付ける。今思えばついさっきまで面接を受けていたのに、今働こうとしているのだから驚きだ。こんなことっていいのかと疑問に思うがいいのだろう。
「それじゃあ、簡単に説明します。お客さんが来たら……」
京の説明に一つひとつ頷く。基本は通常の喫茶店となんだ変わりない。伝票は機械ではなく、手書きなため読める字で書く、ということさえ意識すれば大丈夫だと伝えられる。また、盆の持ち方を簡単に教えられるが、そこまで形式にとらわれる必要性がないことも伝えられる。
「ほかわからないことあったら随時聞いてください。今日はあたしのほかに華央さん……えっと、うちの副店長の男の人なんだけど、益岡って人がいるんですけど」
「益岡……。ああ、はい。知ってます」
初めてこの店に訪れたとき接客してくれた人の名前がそうだったと奏音は思い出す。益岡華央というのか。そして副店長だったのかと新たな情報をインプットする。
「あっ、ならよかった。たぶん華央さんには兄さんから二谷さんのこと伝えると思うんで」
「わかった。ちょっと緊張するな」
「あはは。土曜日といってもこんな小さなところなんで、そこまで忙しくなりませんよ。それじゃあ、行きましょうか」
「うん」