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「……はぁ」
「どうしたんですか?」
「京ちゃん……。そっか、もうあがりだもんね」
「私はバーの手伝いは開店までですからね。実際は10時までいいんですけど……中途半端になりますからね」
京は私服に、奏音は制服に着替えている中で息をついていた。新装開店に伴い女子更衣室が変更したかと言えば全く持って変更がなく、むしろ多少物置となっているスペースが増えたほどだ。当たり前な話で何かを削減せずに新しいものを増やすとその分荷物スペースが必要となるのだ。
「それで、どうしたんですか?結構イキイキ働いてるって兄さんからも聞いてたんですけど……」
「店に不満があるとかじゃないんだよ?ただ、さ。京ちゃんは確かあったことあったかな……、うちでコーヒー講座を開いたときに私の友達来てたでしょ?その子達が今日来るって言うからさ」
「あはは……奏音さんも大変ですね」
同情の苦笑いを浮かべてくれた京に対して、似た苦笑いを浮かべる。時間は差し迫っており開店に向けての最終準備に英章たちが勤しんでいる音が聞こえる。ここでもう少し粘っておきたい気もするが、それは京に対しても悪く、さらに言えば給料泥棒と何ら変わらないので流石にそういうわけにはいかない。奏音は切り替えるように自分の顔を叩くと、更衣室の扉に手をかける。
「とりあえず、お疲れ様でした。気をつけて帰ってね」
「はい。奏音さんも、色々とがんばってくださいね」
「あはは……、うん、色々とがんばるよ」
京の言う色々に対して同じように返しながら店に入る。すぐに難しい顔をした英章と出会い少し驚きながら声をかける。
「こんにちは……どうしたんですか?」
「あぁ、奏音ちゃん。こんにちは」
奏音を認めると手元のメニュー表一覧を置いて挨拶を返す。
「ちょっとね……、とりあえず今までのデータを眺めて主力商品とそうでない商品とで仕入れとかも変えようと思って」
「あぁ、なんでもかんでも揃えればいいという者でもないですもんね」
センブリは決して趣味でやっている物ではない。もちろん、店主の意向によりこの商品をメインに、この商品は取り扱わないというものもある。それはセンブリからしてもココアを作っていないことからうかがえるだろう。その他、センブリではアルコールの類が決して多いというわけではなく、あくまでも喫茶店、カフェバーとしての体裁を全押ししている。流石に生ビール程度は置いているが、焼酎などは取り揃えていない。
「あっ、それと奏音ちゃん。今日は少しキッチンの方にも入ってね」
「えっ?華央さんは……」
キョロキョロと見渡すと華央はテーブル席の方で茉奈と談笑をしながら最終セッティングをしている姿が目に入る。華央がいないのであれば、その頼みが分かるが、どうして私が?という疑問が奏音に出てくる。
「今日、奏音ちゃんのお友達来るんでしょ?」
「あぁ、はい。えっと、ごめんなさい……?」
「別にこちらとしてはものすごく羽目を外さない限りはお客様なんだから売上貢献にもなるし、謝ることじゃないよ。それに奏音ちゃんの友達ならそういうことも無いと思うし」
妙に信頼されたものだと照れた笑いをする。ニヤケそうになる自分を軽く叱責するとともに疑問が出る。友人が来ることと奏音がキッチンに入ることの関係性が見えてこなかった。その疑問が伝わったのか英章が種明かしするように話しかける。
「せっかくならお友達にさらに成長した腕を見せてみてはと思ってね」
「いや、バーの方では私いつも作ってないじゃないですかぁ」
「基本的にはってことでコーヒーを始めとしたソフトドリンクは作ることもあるでしょ?」
「コーヒーはともかくソフトドリンクはただ入れてるだけじゃないですか」
「コーヒーも淹れてるだけなんだけどね」
どこまでも飄々と返す英章に小さく頬を膨らませながら、でも気の利いたことに感謝もせざる得ない。複雑な感情にどのような顔をすればよいのかも分からなくなる。
「それに、アルコール飲めないでしょ?」
「全員未成年ですからね」
「まぁ、アルコールも今日は作ってもらおうかなとは考えているけど」
「えぇ!?いや、それは流石に……!」
「常連さんに説明をして、ね?」
ウィンクを噛まされると何とも言えない。赤くなる顔を自覚しながら顔を振って、今一度頬を叩く。むしろ、この顔の赤さは頬を叩いたことで産まれたのだと暗示にかける。
「いつも通りなら廣瀬さん辺りがきそうかな……」
奏音を孫(三歳)と重ね合わせている常連の事を思い出しながら、英章から顔を逸らしてキッチンをぐるりと見渡し仕事への意気込みを作った。




