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「いらっしゃいませ。何名様ですか?」
にっこりと笑い奏音を出迎えたのは高校生ぐらいの少女だった。ネームプレートには天童と書かれていた。先日見た益岡の制服との違いはズボンがロングスカートとなってることだ。
今日は奏音以外に他に二組ほど客が座っていた。
「ええ、そうです」
奏音は答えると偶然か昨日と全く同じ席へと案内された。そして渡されるメニュー。当たり前のようにココアは用意されていなかった。
「えっと……」
何を頼もうかと迷っている奏音。
「あれ?どうしたの?」
その為一人の人物が近づいていることに気が付かなかった。
「お客様」
「は、はい」
その男性は調理場にいた人物だった。突然現れたことに微かに驚く。
「迷われているようでしたら、こちらでミックスさせていただいてますカフェモカは、市販されているココアほどではありませんが、甘いものとなっております」
「そうなんですか……というより」
「三日前来ていただけましたよね。覚えております。私はここのオーナーをしているんです。それで、ココアがないことを残念そうにされていたのが心残りでして」
確かにあの瞬間はどうしようかと迷っていたが、まさか覚えていたとは。
「じゃあ、そのカフェモカお願いします」
「ホットとアイスがございますが?」
「アイスで」
「はい、アイスカフェモカ。かしこまりました。少々お待ちください」
その男は奏音に優しく微笑むと、調理場へととんぼ返りした。それを後ろで見ていた天童はしばらくポカンとしたあと。
「……私、ウェイトレスの立場が。あっ、ごゆっくりしていってくださいね」
慌てたように少女が言うとテトテトと調理場へと向かった。微かにあの男への文句を言っている声が聞こえる。
奏音はそっと調理場を盗み見た。奏音に話しかけこの店のオーナーという男は、前髪を右目の上付近でとめていた。雰囲気的にはとても落ち着いた感じで、益岡を中性よりな美青年とみるのであれば、オーナーは落ち着いた雰囲気な青年と言えるだろう。
カフェモカをいれる手つきは非常に繊細で、真剣そのものだった。元から漂っていたコーヒーの匂いに加え、やや甘味のきいたマイルドな匂い漂う。自然とゴクリと喉がなる。
「お待たせいたしました。カフェモカでございます」
天童がウェイトレスの仕事をとばかりに奏音の前に差し出す。より味わい深い匂いが鼻孔をつついた。
「美味しい……」
思わず呟いたのはその言葉だった。すっと口から鼻に抜けるコーヒーの匂い。雑味もなく甘いが、それでいてコーヒー本体の美味しさも失われていない。味付けを間違えたスイーツポテトのような甘ったるさなどはなく、もたらされる答えは『美味しい』この一言に尽きる。
奏音はコーヒーに対する知識もなく、ココアは好きだがコーヒーは人並にたしなむ程度だ。だが、そんな奏音からでも、コーヒーに対して何か思いがあるのだとわかる。
奏音の表情、呟きを聞いて少し笑い天童は去った。
奏音はそっと鞄からライトノベルを取り出し栞のページを探し出し読みだす。 時々カフェモカを口に含みその舌触りを楽しむ。
眠気さましのためにカフェインを摂取したはずだが、糖分を摂取するとインシュリンの発生などで眠気をあおる。つまりは本末転倒になりかねないのだが、このカフェモカの美味しさと本を読むという二つの行為で、眠気は無くなっていった。
小説は大きな山場を迎えていた。ヒロインの為にできることはないかと探す主人公が非常に魅力的だった。
ペラペラと本をめくりながらたまのカフェモカ。時間は過ぎ去り丁度本を読み終えるタイミングと、カフェモカを飲み終わるタイミングが重なった。いつの間にか店員は増え、もう一人女性がいた。伝票を持ってレジへと向かう。
カフェモカ一杯だけでここまで長居したことに、ほんのすこしのバツの悪さも感じるが、そこまで珍しい話でもないだろうと割り切る。
会計には店のオーナーを名乗る人物が現れ、場を取りつないだ。
「あの、美味しかったです」
「それはそれは。よかったです」
お礼、と言っては変だがちょっとした感謝の気持ちも含ませる。このお店は雰囲気もよく、何度も足を運びたくなるような店だった。
最初は後ろ髪を引っ張られ、次第にのめり込んでいくような、依存性といえば言葉が悪いが、それに近いものがある。
「またよろしければ来てください」
「はい。是非……」
そこまで言って口を紡ぐ。彼の後ろには、気がつかなかったが例の広告が貼ってあった。
ちっひーやユウくんもバイトを……。
そんな思考が一瞬巡ったその時には口にしていた。
「あの!アルバイトの募集って、まだしてますか?」
「バイトですか?興味が?」
「は、はい。後ろの広告見て……」
そういわれちらりと男は後ろを見る。
「なるほど。僕としても人出が欲しいし……。後日、履歴書持ってきていただけますか?写真は結構ですので。一応、簡単な面接と、あと必要書類とかありますので」
「はい。わかりました」
ぺこりと頭をさげる。オーナーはレジの近くのペーパーを取り、そこに胸元から出したペンでサラサラと文字を並べた。
「これ、僕———私のメールアドレスです。こちらに面接可能時間をご連絡いただければ、こちらで調整いたしますので」
「はい、わかりました。ありがとうございます」
「いえ。お待ちしてます」
オーナーは優しく奏音に微笑みかける。その端正な顔立ちに奏音は少しドキリと鼓動がなった。
外に出て店の外観を今一度見てみる。
茶色に統一されたそれは看板もなければただの一軒家のようだ。だがしかし、中にはまるで小さな国が築かれ、そして時が止まったようにすら感じさせる。
さながら浦島太郎のような気分だ。時間は確かに進んでいて、急いで駅へと向かう。ここから駅までは少し時間がかかるが、眠気は完全になくなっていた。そして、少しの緊張と期待が奏音を支配していた。