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6月始まり。梅雨の時期は湿り気を帯びてコーヒー豆にとっては一つの敵となっている。
「英章さん、バイト上がりにオススメの豆教えてください」
奏音は自宅においてあるコーヒー豆が少なくなってきていたので、バイトに来て早々暇を見つけ彼に話しかけた。
「えっ?早いね」
奏音がエスプレッソマシンをもらって帰ってから2週間。豆が無くなるにしては少しばかり早い。
「まあ、お母さんとかが面白がって私にたくさん淹れさせてまして。あと、なぜか来客も多かったみたいで」
苦笑いをしながら答える。
二谷家は母親、父親、そして少しばかり中二気質のある弟だ。うち、母親と父親は元からコーヒー好きであり弟は中二特有の背伸びしたがりで無理してコーヒーを飲もうとしている。
頑張って苦いエスプレッソを大人ぶりながら呑んでいる弟に本場イタリアの呑み方を教えてあげたいものだ。
「なるほど。なにか豆のリクエストとかはある?」
「正直あまりわかっていないんで……」
「あはは、そっか。んー、じゃあ有名どころがいいよね。世界三大コーヒー、ブルーマウンテン、キリマンジャロ、コナの辺りになるかな」
「あっ、それは聞いたことがあります」
「だよね。んー、ここで世界三大珍コーヒーなんか出しても面白いかもしれないけどそんなの僕の方が呑んでみたいぐらいだよ」
「世界三大珍コーヒー?」
奏音の呟きに答えたのは英章ではなく皿洗いを終えた華央の方だった。
「インドネシアのコピ・ルクア、別名イタチコーヒーと、アフリカのモンキーコーヒー、ベトナムのタヌキコーヒーの三つのことでどれも希少価値の高いコーヒーと言われてるんだ」
「へー、イタチにサルにタヌキ、ですか」
「そっ。それぞれジャコウネコ、サル、タヌキがコーヒーの実を食べて、その種が未消化の糞を綺麗にしたものなんだ」
「えっ?糞、なんですか?」
さらりと言った言葉に驚く。珍味というものはたくさんあるけど、コーヒーの世界にもそれがあるらしい。
「そうそう。ただ、とても高価なんだよね。その消化等のメカニズムなどで成分に生じる変化で独特の香味が加わるんだよね。オレも呑んだことないけど」
「そんなに……。なんか、そこまで言われたら私も呑んでみたくなりました」
「奏音ちゃんはそう言ってくれるんだ」
奏音の言葉に喜色ばんだ声を出す英章。本当にコーヒーの事に関しては目の色を変えてしまう。
「はいはい、兄さんは早く豆挽いて。もう少しで繁忙期だよ?」
そんな英章にポンポンと手を叩き京が制する。話に白熱しすぎていたせいで結構時間が過ぎていたらしい。
「あっ、悪い悪い。いや、奏音ちゃんが本当に意外に見込みがあるからちょっと興奮しすぎた」
「オレの時以上ですよね。なんか、納得いかないな」
一応プロのバリスタを名乗っている華央が手を上げる。奏音のどこにその性質があるのか、自分では気づけない。
「全部コーヒー基準なんだから……。お兄ちゃんのバカ」
京が小声で毒づくのを聞いて小さく苦笑する奏音。当の英章は世界三大珍コーヒーへの想いと奏音に持たせるコーヒー豆をどれにするかという思考ばかりで京の声は聞こえていないようだった。
それに京は気づいて頬を膨らませてプイと背を向ける。
それを見てしまった奏音と華央は互いに目配せしあい苦笑を産む。この兄妹は本当にややこしい。
コリコリと豆を挽く英章とテーブルを整える京。少し迷ってから華央は豆挽きの手伝いを、奏音がホールの手伝いをすることに何となくわかれる。
「ね?京ちゃん」
「はい?」
「京ちゃんは家でコーヒー淹れてみたりとかはしないの?」
「一つの家庭から二人もバリスタはいらなくないですか?」
「でも、興味はあるんでしょ?」
「えっ?どうしてそう思うんですか?」
「ふふっ、見てればなんとなくね」
「そ、そんなに私顔に出やすい……」
京の声でクスリと笑い声が出そうになるのをこらえる。多少そのような節は見えていたが確信はなかった。だから少し罠を張りそれにかかるかどうかを見ただけだ。にもかかわらず京は思う存分その罠に引っかかり自白と同等の言葉―――顔に出やすいと言った。
「興味あるなら教えてもらったらいいのに」
そのことには触れずに話を展開させていく。
「私はそういうんじゃないですし……センスもあんまりないですし」
「努力すれば何とかなりそうなものだけど」
「そうかもですけど、いいんです。私は私で別な職業についてもいいですし、わざわざライバルとしてバリスタになる必要性もないかなって。私はお風呂にゆっくり入ったり、お兄……さんのカフェオレでも飲んでるのが好きなんです」
どこか恥ずかしげに告げる。
バリスタにはならない。それはライバルとして登場して兄を困らせたくないという意味か、自分では兄にはかなわないと悟っての事なのか。奏音にはそこまで深くは読み切れなかったが一つだけはっきりとわかることがあった。
京の背中を見てから別のテーブルのセッティングに移る。
「本当に、お兄ちゃんの事好きなんだなぁ」




