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エスプレッソは通常のコーヒー豆の半分ほどのカップで渡されることが常である。日本ではそのままストレートで飲む場合も少なくないが本場、イタリアにおいて考えるのであれば砂糖を大量に溶かすのが普通だったりする。むしろ、解け残った砂糖をすくって食べるということも珍しくないのだ。そんなエスプレッソだが、それに何かを加えることで色々なバリエーションがある。
カフェ・ラッテ、カフェ・オ・レ、カプチーノ、、カフェ・マキアート、キャラメル・マキアート、カフェ・モカ、エスプレッソ・アメリカーノ、カフェ・フレッド・シェカラート、コレット、フラットホワイト、アフォガート等。
そしてカフェ・ラッテ、カプチーノのミルクを用いて絵をかく方法をラテアートと呼ぶ。カフェ・ラッテはスチームドミルク、つまりは温めた牛乳を加えたものを、カプチーノはフォームドミルク、つまりは泡立て牛乳を加えたものをさす。そしてラテアートは厳密に言えば、ミルクが表面に浮かび上がるようにフォームドミルクを注ぐフリーポアラテアートと、表面にミルクの泡をのせる形となるデザインカプチーノに区分される。しかしながらこの二つが混合されることもすくなくない。
もっと簡単に言えば道具を使わないものがフリーポアラテアート。ピックと呼ばれる道具(家庭では爪楊枝などで代用されることもある)を使い絵をかくのがデザインカプチーノだ。
ラテアートの大切となる点としてあげられるのはクレマ―――泡のきめ細かさだ。そもそもクレマがきめ細かなほど口当たりはまろやかになり味わい深いものになるのでラテアートの有無にかかわらず気になる点ではあるのだが。大きなクレマが残ってしまう場合はスプーンやピックで泡をつぶす、もしくは取り除くなどをする。
そして、ここまでが予備知識として奏音が英章に教えられたものである。
緊張した面持ちで奏音はそっとスチームドミルクの入ったピッチャーを持つ。
「落ち着いて、ゆっくりね」
英章はそうアドバイスを持ちかける。緊張の要因として英章が後ろから奏音の手をピッチャーと一緒に握っているからということは知ってか知らずか。
「このままゆっくりとミルクを注いで……」
英章の指示に心臓をバクバクさせながら従う。
事の始まりはなんだっけと同時に色々頭を働かせながらふと思った。
始まりは奏音が休憩室で呟いた一言だった。
「大学でカフェアートとかできるのかって友達に聞かれたんですよねー」
そう、愚痴るように話したので英章は眉を上げる。
「カフェアート?あぁ、ラテアートのことか」
「そうなんですよね。そこから間違えてるんですけど」
苦笑いをしながら奏音はその友人、ちっひーを思い出す。
「だから、私できないって言ったらカフェにつとめているのに?って。別に私がコーヒーを淹れているわけではないんですけどね」
ちょっとした笑い話のつもりで言ったはずだった。しかし、英章はピクリと眉を動かし興味をしめす。
「奏音ちゃん」
「はい?」
「それで、その友達はもし奏音ちゃんが作れたらどうしてほしいとか言ってた?」
「えっと、まあ作れるんだったら見せてほしいなとか言ってたけど」
「だったら、作ってみる?」
「えっ?」
「協力するよ」
満面の笑みで瞳をらんらんと輝かせる英章の好意にあまえるほか、なかった。
「そのまますぅーっと持ち上げて……はい、ハート完成だよ」
「わぁ……すごい」
そのまま漏れたままの言葉を紡ぐ。言うまでもなく、奏音が挑戦していたのは前者のフリーポアラテアートの方だ。
描かれたハートマークに感動する。
「基本的な形だからこれからいろいろ覚えていったらいいと思うよ。まあ、エスプレッソマシンとか家にないだろうから練習は僕がここで付き合うけど」
「あっ……はい」
その言葉で感動により押し流されていた今の状況を思い出す。閉店時間すぎ、やや薄暗くなった店内に後ろから半ば抱きつかれるような形にいる美男にドキリとする。
「あっ、もちろん作ったコーヒーは美味しく飲んでね?ということで……益岡ー!」
「なんすか、先輩?」
私服に着替えた華央がひょっこりと顔を出す。
「奏音ちゃん作。飲んでみろ?」
「えっ?って、なにこそこそしてると思ったら、ラテアートじゃないっすか!?てか、うめぇ!?」
ラテアートを見て驚きの声を発する華央。
「あっ、それは―――」
自分ひとりで作ったものじゃないという前に、その上に描かれたハートを崩さないように丁寧に飲む。そしてティスティングをするように口内にカフェ・ラッテの味、香りを広ませていく。
「う、うまい」
「いや、だからそれほとんど英章さんが作ってくれたようなもので」
「えっ?そうなの?」
視線が英章に向く。
「まあ、奏音ちゃんと僕の共作ではないとは言ってなかったしね」
確信犯的に笑う。どうやらちょっとした悪戯も込みだったらしい。
「なんだ……。確かにこのカフェラテは先輩のものに似てるし。少し味にブレがあるぐらいで」
「でも、クレマの作り方とかは僕が簡単に指示をしただけでほとんど手を出してないよ。だけど、きめ細かいものを作ってたし。もしかしたらお前より才能あるかもしれないぞ、奏音ちゃん」
「いや、そんなこと」
「勘弁してくださいよ」
苦笑を浮かべる華央。
「というか、それで得心がつきましたよ。やけに先輩たちくっついてるなって。後ろから支えてたんでしょ?」
その言葉で英章との距離を再認識する。カッと顔が赤くなる。
「まあ、いきなりこのレベルで作ったら才能ありすぎて怖いからな」
当の英章はのほほんとそんなこと言う。
まるで熱いホットコーヒーと冷たいアイスコーヒーが並んでいるかのような温度差を奏音は感じた。