第2話 祓魔師
特進科のある校舎の裏に私の通う『祓魔科』はあった。
広いグラウンドをつっきり、昇降口から建物の中に入り、下駄箱の蓋を開ける。
「やっぽ~、紅葉たん!」
背後から抱きつかれて胸を鷲掴みにされる。
「こ、この小ぶりさがまたたまら――」
足元から駆けのぼってくる悪寒に身を任せて不埒者の鳩尾に肘鉄をぶちかます。
「ぐえっ!」
踏み潰された雨蛙のような哀れっぽい声を上げて悶絶する不埒者。
「ひどし……」
「朝っぱらから何やってんのあんた……」
さめざめと泣く変質者に視線を落とす。
可愛らしい顔に、真っ赤な髪に赤い瞳、良くて中学生にしか見えない幼い容姿。この子は新見奈美。一応、腐れ縁と言ってはおく。因みに性別は一応|女《めす
》だ。
「そ、その汚物を見るような視線……マジhshs」
この子がどこまで本気なのかいまいち私にはわからない。
変態に構ってホームルームに遅れるのも馬鹿馬鹿しい。歩き始めると奈美が私の横に並び、視線を私の胸に固定してくるので取りあえず裏拳をかましておいた。まあ殴っても益々興奮するだけで効果など皆無だが。
教室に入ると額に太い青筋を立てた赤髪の少年が詰め寄って来る。
「奈美、お前、昨日の自己鍛錬またさぼりやがったな! 婆様がカンカンで俺がえらいとばっちり受けたぞ」
「兄貴、ゴメス!」
手を合せると一目散で教室から逃げ出していく奈美。蟀谷に指をあてて怒りを抑えた赤髪の少年が私に近づいてくる。
「おはよ、来栖」
新見来栖。伝統ある陰陽師の家系――新見家の次期当主であり、あの変態の兄。
「ああ、おはようだ」
ムスッとしかめっ面で答える来栖。近頃の来栖はいつも私に対しこんな感じだ。特に最近は全く自分から話しかけてすら来なくなった。
机に突っ伏すと、今日は珍しく来栖が私の机までやってくる。
「今日だな」
「そうね」
来栖の言わんとしている事はわかる。この『祓魔科』に在籍する者にとって今日は文字通り人生を左右する極めて特別な日なのだから。
現に、普段友人達との談話に夢中なクラスメイト達は運命と取り組むような真剣な顔付きで席について今日の召喚に使う小道具を机の上に並べて確認している。
「ま、百年に一人の天才様なら余裕なんだろうがよ」
口端を上げると教室に入って来た奈美に怒声を浴びせかける。
肩を竦めると今度こそ自分の椅子に腰を降ろす。
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ホームルームは主に今日の霊獣召喚の話。普段、教師の話など耳を貸さない我がクラスメイト達が今日に限りは一言も聞き漏らすまいと皆そわそわしていた。
霊獣召喚――異界から精霊や幻獣を呼び出し使役する現代祓魔師達の最後の切り札。
2030年、初めて人類は人間以外の知的生命体に接触する。その本来記念すべきはずの会合はある意味最悪の形で人類の記憶に刻まれることになる。
2030年12月24日。後に『血のクリスマス』と呼ばれる妖魔なる知的生命体による大量虐殺事件。妖魔よる被害を受けたのは各国の主要都市。この妖魔によりたった数日で人類の六十分の一にも及ぶ一億近くの死者が出た。
この人類観測史上最悪の事件により一時、各国政府と軍隊は機能不全状態に陥ったが突如、天から青白い光が雨霰と降り注ぎ、妖魔達を軒並み消滅させてしまう。
そして米国ニューヨークのマンハッタンに一つの石板が出現する。
『我は天の意思。
我は最も神聖成り。
我は最も不可侵成り。
我は最も絶対なり。
我が子供達よ。我の天啓に耳を傾けよ。
十の年が過ぎ去るとき幽界の門と鬼界の門は再び開く。
――備えよ。妖魔共に備えよ。
――備えよ。鬼共に備えよ。
我は汝ら子供達に魔を滅す力を与えん』
いくら妖魔という不可思議な存在により人類が絶滅の危機に瀕していたとしても、こんなできの悪い漫画や小説のような天智など通常なら誰も信じない。
しかし世界は不自然なくらいこの天智を信じた。いや信じざるを得なかったのだ。その石板の下には各国分の非常識なカードが静置してあったから。
そのカードを触れたものは異界から一体から数体、精霊又は幻獣を呼び出すことができたのだ。これが霊獣召喚の原型となった術。だがカードが霊獣召喚なる術を付与できる回数にも制限があった。これでは到底、十年後の妖魔の襲撃に太刀打ちはできない。
頭を抱えていた各国政府に幸運が紛れ込む。一人の天才が現れたのだ。
彼は今まで世界でひっそりと息を顰めていた超能力者、魔法使い、錬金術師、仙人等と称されていた超常的力を有する者達を集めて一つの組織を造り出した。これが祓魔師で構成される『世界祓魔師協会』という組織。
本来日陰者の彼らがこの未曾有の危機に協力した理由には諸説あるが、単なる正義感からではないとするのが一般の通説的な見解だ。要するにこのままでは己が探求してきた研究が消失し、守って来た大切なものが壊されてしまう。それを守ろうとした。そんな自分勝手な理由だったらしい。だがそんな自己中心的な意思はこのとき始めて一つにまとまり、あり得ない程の成果を示すようになる。
天才に率いられた超人――祓魔師達はカードを研究し尽くし、その複製までこぎつけた。さらに各分野の奇跡を体系化し、法術を生み出したのだ。
こうして迎えた十年後。天智通り、開いた幽界の門はから雪崩のごとく押し寄せ来た妖魔を一掃することに成功する。歓喜で湧き上がる人類。
しかし、直ぐに人類は大きな思い違いをしていたことに気付かされる。それは倒した妖魔は幽界において精鋭でもなんでもなく単なる雑兵にすぎなかったという事実。この認識の致命的な誤りは数体の妖魔の精鋭が門を通る事で証明される。
たった数体の妖魔の精鋭により、トップクラスの祓魔師のチームが全滅したのだ。さらに調査では鬼と呼ばれる人型の化け物はこの妖魔の精鋭すらも超える事がカードに蓄えられていた情報からわかっている。
天才はこの劣勢な危機的状況の打開のため己の全てを用いて幽界と鬼界に何重にもわたる結界を張る。妖魔には危険度の高さに応じて、破滅級、天災級、災害級、特級、連帯対処級、個人対処級の六段階があるところ、この結界は災害級以上の妖魔や鬼の通行を完全に阻害する。そんな不完全な効果しか持たない結界。要するに天才は世界に破滅をもたらすような妖魔や鬼を幽界や鬼界へ封じ込める事で世界の平穏を取り戻そうとしたのである。
確かに災害級以上の強力な魔物の侵入も抑える事はできた。一方で人類最強の天才も結界を張らなければならず、戦闘継続が不可能となった。
ここで人類と妖魔・鬼との戦争は完全な膠着状態へと陥ったのだ。
もっとも膠着状態といっても特級以下の妖魔は抜けて出て来しまう。優秀な祓魔師の数の補充と能力強化必須だった。
優秀祓魔師の補充の要請は国連と『世界祓魔師協会』が協力し、祓魔師達をその強さによって、聖帝、聖王、聖騎士長、聖騎士、第一級祓魔師、第二級祓魔師、第三級祓魔師、仮免祓魔師の8段階に分類し、その教育内容の充実化、ライセンスの厳格化を図った。さらに凄まじい特権と富を祓魔師に与えることでこれらの要請は楽々クリアできた。
そして同時並行的に霊獣召喚の効率化も図ってきたわけだ。今では霊獣召喚は祓魔師になるための最も基本となる前提条件となっている。
今日の霊獣召喚により、今後の身の振り方が変わる。仮に今日の霊獣召喚にしくじれば、祓魔師のライセンスの取得は限りなく難しくなる。だからこそクラス内は極度の緊張状態に陥っているのだ。
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ホームルームが終了し第一闘技場へ移動するように指示を受ける。
闘技場は全クラスが既に集まっていた。
闘技場は高さ一メートル、半径百メートルの円柱で囲まれた武台とそれを取り囲む場外と正六角形の観覧席からなる。
今私達がいるのは観覧席だ。今日一日かけて『祓魔科』二階生の生徒の霊獣召喚の儀式を執り行う事になる。
自身の霊獣召喚の儀式が終わり次第終了となる。とは言っても、最後まで見ない生徒などいないだろう。
確かに私の法術はこの学校ではトップレベルだ。その自負はあるし努力もしてきた。でも所詮私は人間レベルでの最強に過ぎない。この霊獣召喚は異界の精霊、幻獣と言った超常的存在を呼び起こし使役する法術。精霊、幻獣に人間風情が太刀打ちなどできるはずもない。
霊獣召喚儀式後、私達法術師は精霊や幻獣たちの補助に徹することになる。
そして世界聖騎士選定杯の日本代表として選抜されるのはこの日本ではこの祓魔科のあるこの学校の学生達の中から四名のみ。
世界聖騎士選定杯で優勝すれば一足飛びに聖騎士になれる。聖騎士になればAランク相当の情報もノーリスクで取得可能となる。そうなれば私が欲しい彼奴の情報も手に入れることができる。
要するに私は将来、真の意味でのライバルを近くでこの目で見ておきたいんだ。
「やあ紅葉、僕の隣が開いている。座りなよ」
面倒な奴に絡まれた。
此奴は一ノ鳥寛太。私や来栖達と同様、一ノ鳥寛太家は由緒ある法術師の系譜。此奴の法術の才能はかなりのものだ。
「寛太君、そんな奴放っておこうよ!」
一ノ鳥に抱きつく隣の色黒ショートカットの女性が胸やけしそうな甘ったるい声で私に敵意の籠った瞳を向けて来る。
「そんなこと言っちゃいけない、織部は僕の許嫁だからね」
その言葉に周囲の女生徒達から敵意が一斉に集まるのがわかる。
そうだ。私がお爺ちゃんの保護下に入りたくはない理由の一つが此奴。
茶色のサラサラした髪に凄まじく整った綺麗な顔、スラッとした長身、一般に女性が好きそうな姿を此奴はしているのだろう。だけど私は容姿以前に此奴の性格が生理的に受け付けない。
此奴の祖父とお爺ちゃんはよりにもよって私と一ノ鳥寛太の婚約を勝手に取り決めてしまった。此奴は外面はやたらいいからお爺ちゃんもコロッと騙されたのだろう。
今まで波風立てなくないから適当にあしらってきたが、今後付き纏われるのも鬱陶しい。今回のような求愛行動は一ノ鳥のコロニー内だけにしてもらう。
「私があんたと許嫁? その妄想癖、一度医者に頭見てもらった方がいいんじゃない?
それに私、男の趣味はいい方なの」
私に拒絶されるのがよほど意外なのか、それとも拒絶されること自体に耐性がないのか、ポカーンと阿呆のように口を開けている一ノ鳥。
別に最前列で見学する必然性まではない。後ろへ退避しよう。
後ろへ歩き出すと、背後から怒声を浴びせかけられる。
「紅葉、将来の夫に対し、その言い草は何だ!!?」
将来の夫って――気持ち悪い! 壮絶に気持ち悪いっ!! やっぱり、此奴生理的に無理!
どの道、会話が成立しない。もう無視しよう。
私が観覧席の上階へ向けて脚を動かすと後ろから肩を掴まれる。単に肩を触られただけだ。奈美に胸を触られるよりはよほど良いはずだ。それにもかかわらず背筋を蛇の肌で撫でられたような強烈な悪寒を覚えた。多分私は此奴が本当に心の底から嫌いなんだ。
「離せっ!!」
一ノ鳥は射殺すような視線を向けるとビクッと身を竦ませる。そして女の私に一瞬でも恐怖したことがよほど屈辱だったのか、憤怒の形相で身を震わせる。
「紅葉、お前には少々教育が必要なようだな」
一ノ鳥は私に右手の掌を向けて来る。空気が変わった。面白がって観戦していた生徒達もそれを察知してか私から離れていく。
案の定演唱を始める一ノ鳥。束縛の中級の法術。私なら無効化するのなど訳はない。私も演唱を開始しようとすると、突如一ノ鳥が横殴りに吹き飛ばされる。
背中から硬い石の地面に叩きつけられ、苦しそうに呻く一ノ鳥。その顔を奈美は足で踏みつけながらも座りきった目で見降ろしていた。
「紅葉たんに何してんだ、お前?」
魂さえも凍らせるようなぞっとする声。
「ひっ!」
一ノ鳥の顔から血の気が引いていく。
「は~い。そ~こまでぇ!!」
目が細い黒髪の青年が奈美の小さな体を両手で持ち上げる。
「ゲッ! 犬童っち!!」
バタバタと必死で逃れようとする奈美。
「授業以外での法術の展開は校則違反で~す」
手足を機械仕掛けの人形のようにバタバタさせる奈美を床に下ろし、犬童先生はグルリと周囲を見渡し、掌をパンパンと叩く。
「はい、は~い。早速、霊獣召喚を始めますよぉ~、まずはA組からです。A組の皆はあの武台の中心に集合~」
浮ついた空気が瞬時に吹き飛び、全員下の武台に視線を固定する。一ノ鳥だけは最後まで私に向かってギャーギャー喚いていたわけだが。