Act.094:出陣旅行
椎名と遊園地デートをした翌日の日曜日。
カサブランカに行った詩織は、それまでと同じように椎名と話ができた。
――桐野への想いは封印する。
悪く言えば、先延ばしに過ぎなかったが、詩織も、椎名も、今、必死で追い掛けている夢がある。その夢の実現を成し遂げてから、お互いのことを考えようということだ。
一方、学校では、瞳と絡む時間がますます多くなっていた。
反面、同じクラスの優花達との距離が開いていっていることを感じたが、優等生グループでもあった優花達も、それぞれ有名大学への受験を控えていて、詩織に限らず、友人と絡む時間そのものが少なくなっているようで、詩織一人だけが疎外感を感じるということはなかった。
瞳も進学を希望していたが、瞳の言葉によると、小説家に学歴はそんなに必要ではないとのことで、一応は、兄と同じ大学を目指しているとは言っていたが、エスカレーター式に進学できるアルテミス女子大でも良いという気持ちになっているようで、こんつめて勉強をしているようではなく、放課後や休日に詩織ともよくつきあってくれた。
そんな平穏な日々が過ぎていき、いよいよ、ロクフェス初日、十月十二日の土曜日を迎えた。
自分達のステージは明日の午前十一時からということで、クレッシェンド・ガーリー・スタイルのメンバー四人は、前日に会場入りしておくため、新宿駅に集合することにしていた。
秋の行楽シーズンの連休初日ということもあり、山梨や長野方面への特急電車の始発駅である新宿駅は、普段以上の乗客でごった返していた。
いつもどおりのボーイッシュなファッションに身を包み、ギターのソフトケースを背負った詩織が、着替えなどが入ったキャリーバッグを引っ張りながら、一人で新宿駅の東口に向かうと、メルヘンチックな長袖ワンピース姿で、ソフトキーボードケースを背負った奏が既に待っていた。
「おはようございます、奏さん!」
「おはよう、詩織ちゃん!」
「奏さんのワンピース、素敵です!」
「ありがとう! でも、玲音には、絶対、ブリッ子だって突っ込まれるよね?」
「そ、それは、そうかもです」
「それにしても、こんな大事な日の前日に、ゲームをやりすぎて寝坊なんて、琉歌ちゃんらしいわね」
玲音と琉歌は、詩織と江木田駅で待ち合わせをして、一緒に新宿駅まで行くことにしていたが、琉歌が寝坊をしてしまったので、先に行っておいてくれと、今朝、玲音から連絡があったのだ。
明日は、初の野外ライブで、今まで出演したライブハウスよりも大きな会場だけに、緊張して眠れなかったのかと思ったが、大規模なアップデートがされた「イルヤード」に夢中になって、夜遅くまでプレイしていたからのようだ。
詩織と奏がそんなに待つことなく、玲音と琉歌がやって来た。
玲音はセンスが光るスリムなパンツルックで、琉歌はオーバーオールジーンズにパーカーという、いつものファッションだった。
「悪い悪い! お待たせ!」
「ごめんね~。あまりに面白くて、時間を忘れちゃったんだよ~」
二人が頭を下げたが、まだ、電車の発車時間には余裕があった。
四人は、駅構内の駅弁屋で思い思いの駅弁を買い入れると、山梨行きの特急電車に乗り込み、榊原が取ってくれていた指定席に座った。四人が向かい合わせになるよう座席を回して、詩織と奏、玲音と琉歌がそれぞれ並んで座った。
「何だか、ウキウキしちゃうわね」
奏も楽しそうだった。
「お菓子もいっぱい持ってきたよ~」
早速、お菓子の袋を開けようとした琉歌に、玲音がストップを掛けた。
「いや、まだ、弁当も食ってないし。まあ、一時間半くらい時間は掛かるみたいだから、のんびりといこうぜ」
「ちょっとした遠足気分ね」
「ちなみに、バナナはお菓子じゃないからな」
「玲音、そのネタ、古くない?」
「やっぱり、奏は分かってくれたか」
「踏み絵か!」
旅館の最寄り駅に着くと、駅前の小さなロータリーに、今夜、宿泊する旅館の送迎バスが停まっていた。
詩織達の他にも三組の宿泊客が同じ電車で来たようだったが、玲音は、一番にバスに乗り込むと、すばやく最後尾の席に座った。その隣に琉歌が座り、詩織と奏はその前の二人掛けの座席に座った。
「一番後ろの席を速攻で取るなんて、まるで中学生ね」
「いや、まあ、琉歌がさ、車が苦手なんだよ。だから、前が見えない席が良いんだ」
「あら、そうなの。ごめんね」
奏は、玲音に冗談で言ったつもりだろうが、琉歌のためだとマジレスされて、すぐに玲音に謝った。
「宿まで十分くらいで行けるみたいだから大丈夫だと思うけど、念のためにさ」
当の琉歌は、パーカーのフードを深くかぶって、窓の景色が目に入ってこないようにしているようだった。
奏と同様、後ろを振り向いて、玲音と琉歌を見ていた詩織は、玲音が琉歌の手を握っているのが見えた。確かに、車に酔いやすい人はいるが、琉歌は、そんなものではなく、何かに怯えているようにさえ見えた。
「気分が悪くなれば、すぐに言ってね、琉歌ちゃん。運転手さんに止めてもらうから」
「大丈夫だよ~。ありがとう~、奏さん」
奏の心遣いに、琉歌だけではなく、玲音も嬉しそうに笑った。
琉歌に特段の変化が起きることもなく、無事、送迎バスは旅館に着いた。
高級旅館とは言えないが、古びた建物は趣もあって、落ちついた感じの旅館であった。
玄関先には、女将らしき和服を着た女性と仲居さん数名が出迎えに出ていて、一番最後にバスを降りた若い詩織達にも丁寧に頭を下げてくれた。
「えっと、萩村玲音の名前で予約してると思いますけど」
旅館の予約などしたことないと言っていた玲音が、少し緊張しながら、フロントで尋ねると、「はい、ありがとうございます。萩村様ほか三名様、今夜のご夕食と明日のご朝食をお部屋でということで、確かにご予約ちょうだいいたしております」と、番頭らしき男性が笑顔で答えた。
そのまま、部屋まで案内されると、中は畳の間であった。
仲居さんがお茶を入れてくれてから、「ご夕食は六時からと承っていますが、その時間でよろしいでしょうか?」と尋ねた。
「この近くである野外コンサートに午後八時までに行きたいんですけど、間に合いますか?」との玲音の問いに、「会場は、ここから歩いて十五分ほど、タクシーだと五分ほどで行けます」と仲居さんは答えた。
「奏! 実質、一時間半ほどの夕食時間だけど、酒を中断できるか?」
「何で私に訊くのよ! 酒を我慢できないのは、あんたでしょ?」
普段どおりの言い争いを始めた玲音と奏に苦笑する仲居さんに、詩織が「その時間で良いです」と答えた。
「よし! まずは温泉に行こうぜ!」
仲居さんが部屋から出ると、すぐに玲音がタオルを肩に掛けた。
「く~、気持ち良い~」
長い黒髪を頭の上でぐるぐる巻きにした玲音が湯船で伸びをしながら呟いた。
まだ、時間が早いからか、浴場には自分達だけしかおらず、露天風呂を独占しているメンバーであった。
「本当ね。こうやって足を伸ばしてお風呂に入れるのが幸せよね」
奏が言うと、玲音がお約束の突っ込みをした。
「あれっ、誰?」
「言うと思ったわよ!」
「奏さん、スッピンでもそんなに変わらないですよ」
「……そんなに、ね」
奏を援護しようとした詩織だったが、かえって傷つけてしまったようだ。
「全然です! 全然、変わらないです! それに、奏さん、童顔だから、スッピンの方が若く見えますよ!」
詩織が焦って言い訳したが、それは本当のことだった。十歳も上だとは思えない若さだといつも思っていた。
「ありがと、詩織ちゃん!」
詩織の言ったことは、奏の家に泊まった時にも、いつも言っていることで、詩織の言葉に嘘はないことは、奏も分かってくれているはずだ。
「しかし、悔しいのは、玲音は、もっとスリムな体型かと思ったけど、思いの外、胸があることね」
「はっはっはっ、萩村家は、どちらかというと巨乳家系なんだよな」
玲音の言葉で、詩織と奏の視線が琉歌に向いた。
「それは確かみたいね。琉歌ちゃんがまさかの大きさだったもんね」
自分の胸と見比べながら、少し寂しげに言う奏だった。
頭にタオルを載せ、顎までお湯に浸かっていた琉歌が、「ボクは、こんなに胸はいらないんだけどなあ~」と嘆いた。そして、「おシオちゃんくらいがちょうど良いよ~」と詩織の胸を揉むような仕草をしながら言った。
「ほんと、おシオちゃんは、足は長いし、バストとヒップもバランスが取れてて、小柄だけど、スタイルが良いよな」
「それは、私もいつも思ってる。でも、それもそのはずだよ。もし、詩織ちゃんが引退してなかったら、グラビアでしか見られない体を、私達はじっくりと堪能させてもらっているってことだからね」
「恥ずかしくなるようなことを言わないでください!」
危険を察知した詩織は、胸を抱えて防御の姿勢を取った。
「まあ、お互いの体のことを、これ以上、言ってると、いろいろと危険領域に入ってしまうので、この後の予定を確認しておこうぜ」
玲音が笑いながら話題を変えた。
「風呂に行く前に、会場までの地図をフロントでもらったんだ。歩いて十五分くらいって言ってたけど、途中、登り道とかもあって、もう少し掛かるかもしれないってさ」
「そっか。会場は山の方なんだ」
「この温泉街から、山というか、森というか、街からはずれる方向に歩いて行くことになって、普段は女性だけで歩くことはお勧めしないけど、ロクフェス中は、人も多いし、会場まで、ずっと警備の警察とかも出てるから安心だろうって」
「じゃあ、余裕をもって、七時半頃出る?」
「そうだな。おシオちゃんが絶対に見たいっていう、ホットチェリーのライブだもんな。道に迷って見られなかったっていうと、おシオちゃん的には、明日の本番に力を出し切れないだろうしな」
「本当に、そうなりそうです」
玲音の冗談が冗談には思えない詩織だった。




