Act.093:想いを封印して
椎名の心配りもあって、詩織は、久しぶりの遊園地を、思い切り、楽しむことができた。
「何度も言いましたけど、これって、本当に椎名さんのお祝いになってるんでしょうか? 私の方が楽しんでいるみたいで」
「俺だって何度も言うぜ。そんな桐野を見られることが俺にとってのご褒美だとな」
「それだと良いんですけど」
「それより、少し腹が減ってないか?」
太陽は、既に真上に移動してきていた。
「そうですね。少し」
「何か食べよう。希望はあるか?」
「何でも良いです。最初に見つけた所に入りましょうか?」
「分かった」
詩織と椎名は、フードコートのような場所を見つけた。正午には、少し早くて、まだ、テーブルには空席もあった。
「ここで良いか?」
「はい」
そこは、カウンターで注文して、空いているテーブルに自分で運ぶファストフード方式の店だった。
「桐野は何が良い?」
焼きそばやフランクフルト、うどんと言った軽食のメニューが写真付きでカウンターに掲げられていた。
「それじゃあ、焼きそばが良いです」
「では、俺もそれにしよう。飲み物は?」
「ウーロン茶で」
「分かった。じゃあ、できたら俺が持って行くから、桐野は席を確保しておいてくれ」
「分かりました」
休日だけに来園者も多く、まだ空席があるとはいえ、油断をすると、立ったまま食べなければいけなくなるおそれがあった。
詩織がオープンテラスに向かうと、ちょうど、カップルが席を立った。丸テーブルに二つの椅子が向かい合ってある席で、詩織はすぐにそこを確保した。
そこからは、椎名が注文をする人の列に並んでいるのが見えた。
椎名は、詩織がどこに座ったのかと、振り向いて、テーブル席を見渡していた。自分の居場所を知らせるため、詩織が軽く手を振ると、すぐに分かったようで、詩織を見て、軽くうなずき、また、前を向いた。
「ねえ、彼女」
背後から声を掛けられ、詩織は、少しびびりながら振り向いて、声の主を見た。
そこには若い男性の二人連れがいた。チャラチャラとしたファッションと態度で、詩織をナンパしようとしていることは、何も言わずとも分かった。
「一人?」
「い、いえ、友達と一緒です」
「友達って、女の子?」
「いえ、男性です」
男性二人は、「あっ、そう」と、そっけないセリフを残すと、「やっぱり、あれだけ可愛い子なら彼氏がいて当然だろ」などと言いながら、あっけなく去って行った。
その男性二人と入れ違いに、焼きそばと紙コップを載せたトレイを持った椎名が戻ってきた。
「何だ、知り合いか?」
「い、いえ。一人かと訊かれて」
「遊園地に若い女の子が一人で来るはずがないだろうに」
「連れは女の子かとも訊かれました」
「なるほど。女性の二人連れだったらナンパして、二対二の即席カップルになろうという魂胆だったんだな。それで、桐野、大丈夫だったか?」
「あっ、そうですね。少し焦りましたけど、そんなに怖くなかったです」
「かなり慣れてきたかな?」
「はい」
「しかし、残念だ。あいつらがあっさりと諦めてしまって」
「どういうことですか?」
「あいつらが桐野につきまとってきたら、俺が颯爽と登場し、あいつらを打ちのめして、正義のヒーローとして、桐野の俺に対する好感度も上がっていただろうにな」
「何ですか、そのシチュエーション?」
「ストーリー的に、ありがちだろ?」
「かなり、ベタですよね?」
「確かにな。もっとも、俺も格闘技とか習っている訳じゃないから、返り討ちになる可能性が高かっただろうがな」
「駄目じゃないですか」
「いやいや、自分のために怪我をしてでも守ってくれたという感動に、桐野が包まれるということもあるだろう?」
「ま、まあ、あるかもしれないです」
「ははは、まあ、こんなふうに、映像にすれば面白そうなミニストーリーが、けっこう浮かぶんだ。今の例が本当に面白いかどうかは保証の限りではないがな」
「ふふふ」
詩織は思わず笑ってしまった。
「何だ?」
「やっぱり、映像のことから離れなれないんだなって思って」
「すまない。今日は、桐野のことを一番に考えていないといけなかったな」
「だから、今日は、椎名さんのお祝いなんですから、私が椎名さんのことを一番に考えなきゃいけないんですけど、何か自分の方が楽しんでしまって」
「俺は、そんな桐野が見られて嬉しい。って、話が元に戻ってるぞ」
「そうですね」
詩織と椎名は、見つめ合って笑った。
「とりあえず、食べよう」
「はい」
そのまま、夜まで遊園地を楽しんだ二人は、パレードの開始を待つ間、観覧車に乗ることにした。
グループごとにしか乗せないようにしていて、詩織も椎名と二人きりでゴンドラに乗り込んだ。
次第に上昇していくと、遠くに東京都心の夜景も見えてきた。
その宝石をまき散らしたような景色に、詩織は、思わず「きれい」と呟いて、そのまま無言で見入ってしまった。
その詩織の横顔を穏やかな表情で眺めていた椎名が、バッグから、また、デジタルカメラを取り出した。
「桐野。また、写真を撮らせてもらって良いか?」
「あっ、はい」
詩織は姿勢を正して、対面の椅子に座っている椎名に向き直った。
「夜景を眺めている横顔を撮りたいんだ」
「は、はい」
詩織は、すぐに体を窓の方に向けた。
カメラマンの注文に即座に応えることができるのも、昔取った杵柄なのだろう。
「このカメラでは、残念ながら、夜景の美しさをそのまま写真に収めることはできないから、バックは少しぼかした感じにして、桐野の横顔を際立たせる」
「はい」
「それで、そのまま、黙って、俺の話を聞いていてくれ」
「はい?」
「シャッターチャンスを逃がしたくない」
「……はい」
「アイドルグループとはいえ、そのセンターを任され、そして、今のバンドでのボーカルの力強さから言っても、桐野は、歌について、天性の素晴らしい才能を持っていることは疑いようがない」
「……」
「クレッシェンド・ガーリー・スタイルは、必ず、多くのファンを獲得するはずだ。そして、桐野は、ミュージシャンとしての名声も得るだろう」
「……」
「桐野は、アイドルの頃と同じように、そのうち、俺の手が届かない存在になる。いや、なってもらわないと困る」
「……」
「だから、俺なんかが独り占めできている、今のような時間は、もう二度と来ないだろう」
「そんなことはありません!」
詩織は思わず椎名を見た。
「窓の方を向いていてくれ」
椎名は構えていたカメラから視線を外すことなく静かに言った。
「……」
詩織は、椎名の指示に従って、また、窓の方に体と顔を向けた。
「以前にも言ったが、俺は桐野のことが好きだ。それは、今日一日中、一緒にいて確信をした。しかし、その想いは今日を限りに封印する。だから、明日のバイトの時も、いつもどおりの桐野で来てくれ」
「……」
「そして、桐野は夢に向かって走り続けてくれ」
「……」
「もちろん、俺も夢に向かって走る。お互いに夢を実現させた後、桐野に好きな人がいなければ、その時にもう一度言う。桐野のことが好きだと」
椎名に横顔を見せたままの詩織の頬に涙が一筋流れた。
そして、その涙を拭うこともせずに、微笑んだ。
瞬間、カメラが刹那の光を詩織に浴びせた。
「今の桐野の表情は、俺にとって最高のプレゼントだ」
椎名がデジカメの画面を詩織に向けた。詩織も体の向きを直して、その画面を見た。
微笑む詩織の横顔に光る一筋の涙。
それは、紛れもなく、椎名の気持ちに触れて、溢れてきた感謝と感動、そのものだった。
「椎名さん!」
詩織は、椎名の目をしっかりと見つめた。
「今のお話、私の記憶にもしっかりと刻まれました。今は、本当に、バンド以外のことは考えられません。でも、その気持ちが一段落した時、椎名さんのお気持ちにどう応えるべきなのか、自分の正直な気持ちはどうなのかを、ちゃんと考えます。そして、……ありがとうございました」
詩織が椎名に頭を下げると、椎名は「俺が勝手にしていることだ」と照れたように視線をそらした。
ゴンドラが地上に近づいて来た。
「降りる時、揺れるかもしれない」
そう言った椎名は、詩織に手を差し出した。
詩織もにっこりと笑って、その手を握った。
次回からは、いよいよ第四楽章のクライマックス! ロクフェスに舞台を移します!




