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クレッシェンド・ガーリー・スタイル     ―Crescendo Girly Style―  作者: 粟吹一夢
第四楽章 転べば立ち上がり、また走る!
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Act.091:自分の覚悟を確かめる

 ひびきの家に行っていた次の日の日曜日。

 カサブランカに行った詩織しおりは、いつもどおり、眠そうにレジカウンターに立っている椎名しいなに「こんばんは」と挨拶をしてから、スタッフルームで店名入りエプロンを掛けると、すぐに椎名の隣に立った。

「椎名さん、おめでとうございます!」

「ああ、ありがとう」

「でも、相変わらずの寝不足なんですね?」

「昨日は、ここの入れ替え作業が終わってから、うちの映研の連中と祝賀会と称して、朝まで飲んでいたからな」

「ああ、だからですか」

 ジト目で椎名を見た詩織も、すぐに瞳をキラキラと輝かせた。

「でも、どんな作品なんですか? 『ライブ!』というタイトルでしたけど?」

「クレッシェンド・ガーリー・スタイルのライブでの興奮を映像化したんだ。PVでボツにした映像も一部使わせてもらった。もちろん、楽器を弾く手元の映像だけで、メンバーの顔や全身が写った映像は使っていない」

「へえ~、見てみたいです」

「じゃあ、今度、持ってくるよ。メンバーの評判も訊いてみてくれ」

「分かりました」

「それで」

 そこで言葉を切った椎名が店内を見渡した。詩織も一緒になって見渡したが、店内には、客の姿はなかった。

「約束のことだが」

 椎名が、視線を詩織に戻して切り出した。

「はい」

「守ってくれるのか?」

「私が約束を反故ほごにするって思っていたんですか?」

「い、いや、そういう訳ではないが、決める時に、少し強引すぎたかなと思っていたのでな。桐野きりのの気が乗らないのなら、無理に行く必要はないんだ」

 いつもクールな態度を見せる椎名には珍しく、弱気な顔を見せた。

「正直に言います。確かに、椎名さんと、恋人のような気持ちで行くのではありません。でも、私は、椎名さんをお祝いしたいんです。それは、私にとっても、バンドにとっても、椎名さんは大切な友人には違いないからです。年上の椎名さんを友人扱いするのは、ちょっと失礼かもしれませんけど」

「そんなことはない。それに、『大切な友人』という言葉は、今の桐野との関係を考えると、俺にとってもすごく嬉しい言葉だ」

「そう思っていただけるのなら、私も嬉しいです」

「分かった。ありがとう、桐野」

 安心したかのように、椎名の肩が下がった。

「しかし、どこに行こうか? 正直に言うと、俺も入賞するとは思ってなかったので、どこに行くか決めてなかったし、まだ、決まっていない」

「本当は自信がなかったんですか?」

「自分の中では、どうせ、今回も駄目だろうという諦めがあったんだ」

「椎名さんらしくないですよ! いつもの自信に満ちている椎名さんは、どこに行ったんですか?」

「ははは、そうだったな。無駄にいきがって、根拠のない自信をまき散らすのが俺だったな」

「そうですよ」

「そこは否定しないのか?」

「だって、そのとおりなんですもの」

 二人して笑いあってから、椎名が穏やかな顔をして詩織を見つめた。

「しかし、桐野は、最初に会った時よりも、すごく、たくましくなった気がするな。最初は、昔の自分のことがばれることを極端に恐れていて、ビクビクしていたような気がする」

「自分でもそう思います。でも、いくつかライブも成功させて、自信も、ある程度、つきましたし、写真週刊誌の襲撃もあったりして、耐性がついたのだと思います」

「なるほど。俺も、桐野に教えられたり、エネルギーをもらえているなと思うことが多くなった。本当は、いつも桐野に隣にいてもらって、ずっとそのエネルギーを分けてほしいが、今は叶わぬ夢だとわきまえている。しかし、友人として、これからも桐野の元気を分けてくれ」

「お安いご用です!」

「ありがたい。じゃあ、一日だけだが、俺との約束も叶えてくれ。桐野は、どこか行きたい所はあるか?」

「椎名さんの行きたい所で良いですよ。変な所には行かないと信じていますから」

「先に釘を刺されてしまったか」

「行くつもりだったんですかぁ?」

「ははは、冗談だよ。女子高生が一番行きたい所は遊園地だろうが、人が多いからな」

「人混みは嫌いなんですか?」

「あまり好きではない。それに、桐野は、もう、昔の自分のことがばれても良いようなことを言っていたが、あんな人混みの中で、桐野が桜井さくらい瑞希みずきだとばれると、収拾がつかないだろうし、俺も桐野を守りきれるかどうかは分からない」

 遊園地にロケに行った際、大勢のスタッフに守られていたにもかかわらず、押し寄せてきたファンの迫力に身じろいだことを、詩織は思い出した。

 しかし、もう、引退して二年以上経っているのだ。かなでがいつも茶化して話す山田楽器の店長代理のように、今も熱心なファンはいるだろうが、全盛期のようなことはないはずだ。椎名が心配するような混乱状態になることはないと、詩織は自分に言い聞かせた。

 詩織は、昔の自分のことが、いつ、どこでばれても、いつもどおりの自分でいたかった。そう思い出した理由は、響とひとみだ。二人が耐えてきた苦難に比べて、昔のことがばれないようにとしてきた詩織の苦労など、何と小さなことかと、自分でも情けなくなったからだ。

 ステージのセンターに立ち、注目を浴びるライブでばれることは仕方がないと、完全に吹っ切れていた。

 だとしたら、遊園地でばれることも何も恐れることはない。そのことを、詩織は実践したくなった。

「椎名さん」

「うん?」

「遊園地に行きましょう!」

「いや、さっきも言ったが」

「だからです! 私、もっと早い時期に、昔の自分のことがばれても平気だと思っていました。でも、新宿でやったライブの時に、その気持ちは嘘だった、というか、吹っ切れてなかったことが分かりました。そのライブが終わって、今度こそ吹っ切れたと思っています。それを確かめたいんです。本当に、そうなのかどうかを」

「だから、むしろ、人が多い所に出てみたいということか?」

「はい。椎名さんがおっしゃったように、ばれた時、椎名さんにご迷惑を掛けることになるかもしれませんが……」

「桐野を守りきれるかどうか分からないとは言ったが、自分ができる限りの全力で、桐野を守る。それは約束する」

「椎名さん……。やっぱり、私って、自分勝手ですね」

 椎名の言葉を聞いて、詩織は、落ち込んでしまった。

 詩織は、「思いついたら即実行」という、アイドル引退の際にも発揮された思い切りの良さで、椎名があえて避けようとした「遊園地に行こう」と言ってしまった。自分の考えを椎名に押しつけてばかりだと気づいたのだ。

「自分勝手? 桐野がか?」

「はい。椎名さんにお願いばかりして」

「好きな女からお願いされることは、男にとって、まったく苦になるものではないぞ」

「……」

「それに、桐野が、これから先も、桜井瑞希の残像を恐れることが、バンド活動の支障となることくらいは俺にだって分かる。それを克服するために必要なことは、俺も進んで協力しよう」

「椎名さん……」

 詩織は、椎名の気持ちが嬉しくて、思わず、涙ぐんでしまった。

「おいおい! また、そんなことで泣かないでくれよ。俺が桐野を泣かせているみたいじゃないか」

「だって」

 椎名が、詩織の頭をポンポンと優しくはたいてくれた。

「やっぱり、桐野は笑ってくれている方が良い。できれば、少し小生意気な雰囲気で、俺に向かって言い返してくれるくらいが良い。こう見えて、俺もけっこうマゾ属性なんでな」

 椎名流の慰め方なのだろう。詩織も泣き笑いの顔を椎名に見せた。

「ありがとうございます、椎名さん」

「気にするな」

 そこに、男性客が一人、店の中に入って来たが、あらかじめ借りるDVDを決めているのか、お目当てのDVDがあると思われる棚に直行すると、すぐにDVDの箱を持って、レジカウンターにやって来た。

「椎名さん、私がレジをします」

 詩織が、椎名を押し退けるようにレジに立つと、客から会員カードを預かり、そのバーコードと、借りるDVDの箱に貼り付けられているバーコードをそれぞれ読み取り、貸出期間を訊いて、料金を受け取り、貸し出し用の袋に入れたDVDを手渡す、という作業を流れよく行った。

 詩織は、男性客が自分の顔を見つめていることが分かった。心の中が不安でいっぱいになったが、「もう負けない」と自分に言い聞かせながら、笑顔で接客を済ませた。

「ありがとうございました」

 詩織と椎名が揃って、客に頭を下げて、見送った。

「さっきの客は、桐野の顔に見とれていたぞ」

「見とれていたのかどうかは分かりませんが、見られていたのは感じました」

「いや、本当に、見とれていた。しかし、桐野は大丈夫だったのか?」

「気にならなかったというと嘘になります。でも、思っていたより冷静でいられた気がします。遊園地でも、今の気持ちのままでいられるかどうか、確かめてみたいです」

 詩織の覚悟を、椎名も理解したようだ。

「それじゃあ、同じ行くなら、日本で一番混んでいる、あのネズミの遊園地に行くか?」

「い、いきなり、ハードルが高いですね」

「ははは、じゃあ、もう少し郊外の遊園地にしようか?」

「……いえ! そこに行きましょう!」

 

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