Act.091:自分の覚悟を確かめる
響の家に行っていた次の日の日曜日。
カサブランカに行った詩織は、いつもどおり、眠そうにレジカウンターに立っている椎名に「こんばんは」と挨拶をしてから、スタッフルームで店名入りエプロンを掛けると、すぐに椎名の隣に立った。
「椎名さん、おめでとうございます!」
「ああ、ありがとう」
「でも、相変わらずの寝不足なんですね?」
「昨日は、ここの入れ替え作業が終わってから、うちの映研の連中と祝賀会と称して、朝まで飲んでいたからな」
「ああ、だからですか」
ジト目で椎名を見た詩織も、すぐに瞳をキラキラと輝かせた。
「でも、どんな作品なんですか? 『ライブ!』というタイトルでしたけど?」
「クレッシェンド・ガーリー・スタイルのライブでの興奮を映像化したんだ。PVでボツにした映像も一部使わせてもらった。もちろん、楽器を弾く手元の映像だけで、メンバーの顔や全身が写った映像は使っていない」
「へえ~、見てみたいです」
「じゃあ、今度、持ってくるよ。メンバーの評判も訊いてみてくれ」
「分かりました」
「それで」
そこで言葉を切った椎名が店内を見渡した。詩織も一緒になって見渡したが、店内には、客の姿はなかった。
「約束のことだが」
椎名が、視線を詩織に戻して切り出した。
「はい」
「守ってくれるのか?」
「私が約束を反故にするって思っていたんですか?」
「い、いや、そういう訳ではないが、決める時に、少し強引すぎたかなと思っていたのでな。桐野の気が乗らないのなら、無理に行く必要はないんだ」
いつもクールな態度を見せる椎名には珍しく、弱気な顔を見せた。
「正直に言います。確かに、椎名さんと、恋人のような気持ちで行くのではありません。でも、私は、椎名さんをお祝いしたいんです。それは、私にとっても、バンドにとっても、椎名さんは大切な友人には違いないからです。年上の椎名さんを友人扱いするのは、ちょっと失礼かもしれませんけど」
「そんなことはない。それに、『大切な友人』という言葉は、今の桐野との関係を考えると、俺にとってもすごく嬉しい言葉だ」
「そう思っていただけるのなら、私も嬉しいです」
「分かった。ありがとう、桐野」
安心したかのように、椎名の肩が下がった。
「しかし、どこに行こうか? 正直に言うと、俺も入賞するとは思ってなかったので、どこに行くか決めてなかったし、まだ、決まっていない」
「本当は自信がなかったんですか?」
「自分の中では、どうせ、今回も駄目だろうという諦めがあったんだ」
「椎名さんらしくないですよ! いつもの自信に満ちている椎名さんは、どこに行ったんですか?」
「ははは、そうだったな。無駄にいきがって、根拠のない自信をまき散らすのが俺だったな」
「そうですよ」
「そこは否定しないのか?」
「だって、そのとおりなんですもの」
二人して笑いあってから、椎名が穏やかな顔をして詩織を見つめた。
「しかし、桐野は、最初に会った時よりも、すごく、たくましくなった気がするな。最初は、昔の自分のことがばれることを極端に恐れていて、ビクビクしていたような気がする」
「自分でもそう思います。でも、いくつかライブも成功させて、自信も、ある程度、つきましたし、写真週刊誌の襲撃もあったりして、耐性がついたのだと思います」
「なるほど。俺も、桐野に教えられたり、エネルギーをもらえているなと思うことが多くなった。本当は、いつも桐野に隣にいてもらって、ずっとそのエネルギーを分けてほしいが、今は叶わぬ夢だとわきまえている。しかし、友人として、これからも桐野の元気を分けてくれ」
「お安いご用です!」
「ありがたい。じゃあ、一日だけだが、俺との約束も叶えてくれ。桐野は、どこか行きたい所はあるか?」
「椎名さんの行きたい所で良いですよ。変な所には行かないと信じていますから」
「先に釘を刺されてしまったか」
「行くつもりだったんですかぁ?」
「ははは、冗談だよ。女子高生が一番行きたい所は遊園地だろうが、人が多いからな」
「人混みは嫌いなんですか?」
「あまり好きではない。それに、桐野は、もう、昔の自分のことがばれても良いようなことを言っていたが、あんな人混みの中で、桐野が桜井瑞希だとばれると、収拾がつかないだろうし、俺も桐野を守りきれるかどうかは分からない」
遊園地にロケに行った際、大勢のスタッフに守られていたにもかかわらず、押し寄せてきたファンの迫力に身じろいだことを、詩織は思い出した。
しかし、もう、引退して二年以上経っているのだ。奏がいつも茶化して話す山田楽器の店長代理のように、今も熱心なファンはいるだろうが、全盛期のようなことはないはずだ。椎名が心配するような混乱状態になることはないと、詩織は自分に言い聞かせた。
詩織は、昔の自分のことが、いつ、どこでばれても、いつもどおりの自分でいたかった。そう思い出した理由は、響と瞳だ。二人が耐えてきた苦難に比べて、昔のことがばれないようにとしてきた詩織の苦労など、何と小さなことかと、自分でも情けなくなったからだ。
ステージのセンターに立ち、注目を浴びるライブでばれることは仕方がないと、完全に吹っ切れていた。
だとしたら、遊園地でばれることも何も恐れることはない。そのことを、詩織は実践したくなった。
「椎名さん」
「うん?」
「遊園地に行きましょう!」
「いや、さっきも言ったが」
「だからです! 私、もっと早い時期に、昔の自分のことがばれても平気だと思っていました。でも、新宿でやったライブの時に、その気持ちは嘘だった、というか、吹っ切れてなかったことが分かりました。そのライブが終わって、今度こそ吹っ切れたと思っています。それを確かめたいんです。本当に、そうなのかどうかを」
「だから、むしろ、人が多い所に出てみたいということか?」
「はい。椎名さんがおっしゃったように、ばれた時、椎名さんにご迷惑を掛けることになるかもしれませんが……」
「桐野を守りきれるかどうか分からないとは言ったが、自分ができる限りの全力で、桐野を守る。それは約束する」
「椎名さん……。やっぱり、私って、自分勝手ですね」
椎名の言葉を聞いて、詩織は、落ち込んでしまった。
詩織は、「思いついたら即実行」という、アイドル引退の際にも発揮された思い切りの良さで、椎名があえて避けようとした「遊園地に行こう」と言ってしまった。自分の考えを椎名に押しつけてばかりだと気づいたのだ。
「自分勝手? 桐野がか?」
「はい。椎名さんにお願いばかりして」
「好きな女からお願いされることは、男にとって、まったく苦になるものではないぞ」
「……」
「それに、桐野が、これから先も、桜井瑞希の残像を恐れることが、バンド活動の支障となることくらいは俺にだって分かる。それを克服するために必要なことは、俺も進んで協力しよう」
「椎名さん……」
詩織は、椎名の気持ちが嬉しくて、思わず、涙ぐんでしまった。
「おいおい! また、そんなことで泣かないでくれよ。俺が桐野を泣かせているみたいじゃないか」
「だって」
椎名が、詩織の頭をポンポンと優しくはたいてくれた。
「やっぱり、桐野は笑ってくれている方が良い。できれば、少し小生意気な雰囲気で、俺に向かって言い返してくれるくらいが良い。こう見えて、俺もけっこうマゾ属性なんでな」
椎名流の慰め方なのだろう。詩織も泣き笑いの顔を椎名に見せた。
「ありがとうございます、椎名さん」
「気にするな」
そこに、男性客が一人、店の中に入って来たが、あらかじめ借りるDVDを決めているのか、お目当てのDVDがあると思われる棚に直行すると、すぐにDVDの箱を持って、レジカウンターにやって来た。
「椎名さん、私がレジをします」
詩織が、椎名を押し退けるようにレジに立つと、客から会員カードを預かり、そのバーコードと、借りるDVDの箱に貼り付けられているバーコードをそれぞれ読み取り、貸出期間を訊いて、料金を受け取り、貸し出し用の袋に入れたDVDを手渡す、という作業を流れよく行った。
詩織は、男性客が自分の顔を見つめていることが分かった。心の中が不安でいっぱいになったが、「もう負けない」と自分に言い聞かせながら、笑顔で接客を済ませた。
「ありがとうございました」
詩織と椎名が揃って、客に頭を下げて、見送った。
「さっきの客は、桐野の顔に見とれていたぞ」
「見とれていたのかどうかは分かりませんが、見られていたのは感じました」
「いや、本当に、見とれていた。しかし、桐野は大丈夫だったのか?」
「気にならなかったというと嘘になります。でも、思っていたより冷静でいられた気がします。遊園地でも、今の気持ちのままでいられるかどうか、確かめてみたいです」
詩織の覚悟を、椎名も理解したようだ。
「それじゃあ、同じ行くなら、日本で一番混んでいる、あのネズミの遊園地に行くか?」
「い、いきなり、ハードルが高いですね」
「ははは、じゃあ、もう少し郊外の遊園地にしようか?」
「……いえ! そこに行きましょう!」




