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クレッシェンド・ガーリー・スタイル     ―Crescendo Girly Style―  作者: 粟吹一夢
第四楽章 転べば立ち上がり、また走る!
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Act.090:与えあう関係に

「そうだ。先ほど話した新作のことですが」

 ひびきは立ち上がり、すぐ後ろにある机の上をまさぐり、そこにあった、ホッチキスどめされた数枚の紙を取ると、それを持ったまま、また、詩織しおりと向き合って、ソファに座った。

「先ほどまで、出版社で打ち合わせをしていたのも、この新作の件でした。担当は、少し難色を示したのですが、僕はこの作品を次回作として出したいと強く要望しました」

「担当の方が難色を示したのは、先ほど響さんがおっしゃったみたいに、今までの響さんの作品と毛色が違っていたからなのですか?」

「そうです。今までの僕の作品は、恋愛をメインテーマにした現代劇がほとんどで、少しだけミステリーの風味を加えているものとかでした。でも、この作品は、架空の世界を舞台にしたファンタジー小説なのです」

「それは確かに、響さんのこれまでの作品の中にはありませんでしたね」

「ええ。僕がこの作品を書いたのは、今日、落選の残念会をやるつもりだった、ひとみの応募作にインスピレーションをもらったからです」

「私は、すごく面白いと思ったのですが」

「僕もです。ただ、世界設定が甘いのと、ヒロインが恋に落ちるまでの過程の書き込みが少し物足りなかったくらいです。それは、瞳が作品を読んでくれた時に感じましたが、応募作に僕が手を入れるのと同じようなことをする訳にいきませんからね」

「それもそうですね」

「でも、舞台となる世界を自分で作り上げるのも面白いなと思って、ファンタジー小説を書いてみようと思ったのです。自分で世界を作るのですから、目が見えなくとも、頭の中で想像した姿や形を文章にすれば良いということにも気づきました」

 確かに、現実世界が舞台だと、実際の物の描写が不可欠であり、それは響自身が言っていた、盲目の作家の限界に引っ掛かることもあるだろう。しかし、高校生の頃までは目が見えていた響が、自分の記憶に残っている情景を元に、自分で好き勝手に世界を作り上げることができる架空世界が舞台であれば、そんな限界はないに等しい。

「自分の作品で、響さんがインスピレーションをもらったと聞いて、瞳さんも喜んだんじゃないんですか?」

「ええ、僕の役に立てて嬉しいと言ってくれました。ここにあるのは、冒頭の部分です。どうぞ、読んでみてください」

「い、良いんですか?」

「ええ、詩織さんの感想も欲しいと思っていましたので」

 詩織は、響が差し出した十枚の紙を受け取った。そこにはワープロで打ち込まれた文章が印刷されていた。

 読み始めると、詩織は、すぐにその世界に入り込んでしまった。

 ファンタジー小説自体は、瞳の作品を読んだくらいで、今までそれほど読んだことはなかったが、バンドでそのテーマソングを作ったネットゲームの「イルヤード」も中世ヨーロッパ風のファンタジー世界が舞台だし、椎名しいなの紹介で、いくつかのファンタジー映画も見ていて、ファンタジーの世界観に入り込むのに違和感を覚えることはなくなっていた。

 さりげなく、物語は始まるが、その世界観や主人公を取り巻く状況がすんなりと頭に入ってくるのは、さすがプロの小説家の作品だと感じた。

 かなり壮大な物語になりそうだと感じつつ、詩織は、あっという間に十枚の原稿を読み終えた。

「何か……、もっと続きを読みたいです! 冒頭のシーンだけでも、そんな気持ちになってしまいました!」

 詩織は心からそう思った。その気持ちのまま口に出た言葉は、けっして社交辞令ではないと響にも伝わったはずだ。

「ありがとうございます。詩織さんにそう言っていただくと嬉しいです」

「私も目から鱗が落ちた感じです。桜小路響という小説家は恋愛小説家だというカテゴリーに私も勝手に縛り付けていた気がします。それはきっと、響さんのファンの方もそう思っていて、その考えを、この作品が良い意味で壊すことができるかどうかを、担当の方も心配されているのですよね?」

「そのとおりです」

「でも、私は、絶対に受け入れられると思います!」

「詩織さんのその言葉は、本当に勇気づけられます。実は、この物語を書き始めるに当たっても、詩織さんから勇気をもらったんですよ」

「私からですか?」

「ええ、アイドルという自分に決別して、ロックバンドのメンバーとして、過去のすべてを放り捨てて挑戦している詩織さんのことを知ったからです。人は誰しも安定を求めるものです。僕も恋愛小説家という肩書きで曲がりなりにでも成功して、その上から降りたくなかったんですね。でも、その土俵だけで勝負することに限界を感じてしまった。だとすれば、そんな過去の栄光にしばられることなく、思い切って、新しい世界に挑戦することも良いのかなと、詩織さんのことを知って、思うようになりました」

「響さん……」

「それに、今、この作品を書いている時、すごく楽しいんです。自分でもワクワクしながら書いていて、どんどんとアイデアが湧いてくるんです。自分がこんなに楽しいんだから、これを読んでくれる人もきっと楽しいに違いないですよね?」

「はい! そう思います!」

「詩織さん」

 響が姿勢を正して、ソファにかけ直した。

「本当にありがとうございます。詩織さんがあの時、怒ってくれなかったら、小説家桜小路響は終わっていました。でも、詩織さんのお陰で、こうやって復活することができました。この作品が商業的に成功するかどうかは分かりませんが、少なくとも、書く意欲を僕に取り戻してくれたことには違いありません」

「あ、あの、響さん」

「はい、何でしょう?」

「失礼ながら、響さんと瞳さんが帰られるまで、リビングに飾っているフォトスタンドの写真を見せてもらいました」

「ああ、飾っているのですから、別に見られても差し支えないものですよ」

「その写真の中で、一番古い写真を見て、私は、すごく胸が締め付けられるような想いになりました」

「一番古い写真というと、僕と瞳が両親と一緒に写っている写真ですか?」

「そうです」

「その写真だけ、僕は記憶にあるのです。まだ、僕の目が見えていた頃の写真ですからね」

「そうみたいですね」

「家が火事になった時に、燃えてしまったかと思ったのですが、縁を焦がしただけで、無事に残っていて、それを瞳が警察から譲り受けたのです。両親のことは瞳から聞いていると思いますが?」

「はい。あの写真が見つかった時、瞳さんはどんな気持ちになったんだろうなって……。瞳さんは、私には、ご両親のことを『馬鹿だ』だなんて言ってましたけど、すごく辛かったはずです」

「……」

「それでも、そんな悲しい、辛い想いを跳ね返して、今は兄妹二人きりなのに、明るく頑張っている響さんと瞳さんは素晴らしいなって思いました!」

「……」

「私の悩みなんか、お二人がくぐり抜けてきた苦難に比べると、本当にちっぽけなことなんだと思います。そして、そんなお二人には、すごいパワーを感じます! 私もお二人からパワーをもらえます! 私も響さんと瞳さんの頑張りに負けないようにって、自分を鼓舞することができます! けっして、私が響さんに一方的にパワーを差し上げているのではありません!」

「詩織さん……。そうですね。僕達は、お互いに進むべき道は違いますが、人に感動してもらってなんぼという世界であることは共通しています。そのためには作者自身が感動できなくてはいけないし、そのためのエネルギーを、こうやって、お互いに補給しあえるなんて、素晴らしいことじゃないですか?」

「はい! 本当にそう思います!」

 今度は、詩織が響に対して、姿勢を正した。

「響さん、私からもお願いします。私もパワーをいただきたい時には、ここに来て良いでしょうか?」

「大歓迎ですよ! 瞳だって大喜びするはずです」

 そのタイミングでドアがノックされた。

 すぐに瞳がドアを開けて、顔を覗かせた。

「詩織、お兄ちゃんを虐めてない?」

「そ、そんなことしてないですよ~」

 焦って言い返す詩織に、瞳が楽しそうに笑った。

「あはは、詩織って、ほんと、からかい甲斐があるよ」

「も~う!」

「出た! そのほっぺをぷ~って膨らませるの、お兄ちゃんにも見せてあげたいよ。めっちゃ、可愛いんだから」

「瞳さん!」

「ははは」

 笑いながら、瞳は掛けていたエプロンをはずした。

「晩御飯、できたよ。ちょっと早いけど、食べようか?」

「そうだね。詩織さん、瞳が今日のために腕によりを掛けて作ったらしいですから、食べてみてください」

 響と瞳とともにリビングに戻ると、キッチンカウンターに繋がっている食卓の上に、ローストビーフをメインディッシュとするご馳走が並んでいた。

「これ、全部、瞳さんが作ったんですか?」

「ローストビーフは初めて挑戦したんだけどね。でも、美味しくできたと思う」

「瞳さん、すごいです! こんなに料理が得意だなんて羨ましいです」

「お兄ちゃんと二人暮らしになってから、ずっと、私が料理を作ってきたから、それとなく作れるようになったんだよ。お兄ちゃんに美味しいって言ってもらうと嬉しくて、どんどんとレパートリーも広がってきたんだ」

「瞳さんって、人のお世話をすることが好きなんですね?」

「そうだね。お兄ちゃんが喜んでくれたら嬉しいし」

「学校でもそんな気がしてました。体育祭の時もそうだし、文芸部をぐいぐいと引っ張ってきてたのもです」

「どうだろ? 自分じゃ分からないや」

「きっと、そうですよ」

「じゃあ、そういうことにしといて、とりあえず、食べよ」

 詩織と響が席に着くと、瞳が冷蔵庫から天然果汁百パーセントのグレープジュースの瓶を持って来た。

「ワインじゃないけど、雰囲気だけでもね」

「響さんは、お酒は飲まれないんですか?」

「はい。酒も煙草もしません。お酒は飲もうと思えば飲めますけど、あまり強くないですし、酔っ払うと危険ですからね」

 確かに、目が見えない状態で酩酊すると、家の中でも危険だろう。

「それはそうと、瞳。詩織さんも、この家に、また来たいって言ってくれたんだよ」

「本当に? 詩織、本当に?」

「はい。響さんにも言いましたけど、私は、お二人を見ていると、すごくパワーをもらえるんです! そんなパワーをいただきたいと思った時、ぜひ、ここに来させてください」

「僕達は、詩織さんとこうやって話をさせていただくと元気をもらえるよね?」

「うん! じゃあ、私達、ウィンウィンの関係になれたってことだよね?」

「はい! それぞれの夢に向かって、みんなで頑張りましょう!」

「じゃあ、そんな私達の新しい関係に乾杯しよ! ねっ、お兄ちゃん!」

「そうだね」

 詩織は、グレープジュースで満たされたグラスを掲げて、響と瞳のグラスに軽く当てた。

 

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