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クレッシェンド・ガーリー・スタイル     ―Crescendo Girly Style―  作者: 粟吹一夢
第四楽章 転べば立ち上がり、また走る!
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Act.088:自分が嫌いに

詩織しおり!」

 木曜日の午後。私立アルテミス女学院高等部の昼休み時間。

 職員室で用事を済ませた詩織が、自分の教室に戻っていると、三年E組の前の廊下で、ひとみに呼び止められた。

 瞳とは、ここのところ、毎朝、一緒に登校していたが、今朝は、朝イチで瞳から「少し遅れる」とメールがあったことから、久しぶりに一人で登校していた。

「瞳さん! 具合が悪かったわけではなかったんですね?」

「全然、元気だよ。今朝は、お兄ちゃんの仕事の関係で、ちょっと、やることがあってさ」

 ニコニコと微笑みながら近づいて来た瞳に、詩織も自然と笑顔になった。

「あとで詩織の教室に行こうかと思ってたけど、ちょうど良かった」

「何ですか?」

「実はさ、詩織にも読んでもらった、ブルーローズ恋愛小説大賞、落ちちゃったんだ」

「そ、そうなんですか」

 瞳は笑顔を崩さなかった。

「全然、落ち込んでないから心配しないで! でも、お兄ちゃんが残念会をしようって言ってくれてて、協力をしてくれた詩織も呼んだらって言ってるの」

「先生が?」

「そうなんだ。まあ、詩織を呼び出すための口実なのは、ミエミエなんだけどね」

 瞳は、兄大好き人間であるが、兄に恋人ができることに嫉妬するような倒錯した感情までは持っておらず、むしろ、詩織がひびきの近くにいてくれることが嬉しいようだ。

「晩御飯を用意するから一緒に食べよ!」

「でも、瞳さんの小説の残念会ですよね? 私がごちそうになってばかりで良いんでしょうか?」

「良いの良いの! 私、料理、作るの好きだし、お兄ちゃんとか詩織とか、自分の大好きな人に食べてもらいたいって思ってるから」

「じゃ、じゃあ、遠慮なく、お邪魔させていただきます」

「うん!」

 瞳は、勝ち気な性格で、好き嫌いがはっきりしている一方で、いつも、響の世話を献身的にしているように、好きな人には徹底的に尽くすタイプのようだ。

「土日だと、日曜日はバイトがあるんだよね?」

 詩織が学校には内緒でアルバイトをしていることも知っている瞳が、詩織に近づき、声を潜めて訊いた。

「はい」

「じゃあ、土曜日にしようか? 詩織も時間を気にしないで、くつろげると思うし」

「でも、そんなに時間を取ってたら、先生のご迷惑になるんじゃないんですか?」

「そんな訳ないよ! 『じゃあ、土曜日に詩織を呼ぼうか?』って、私が言うと、本当に嬉しそうにしちゃってさあ。あんなお兄ちゃん、初めて見たよ。それで、早速だけど、明後日の土曜日はどう?」

「特に予定はないです」

「お兄ちゃんもできるだけ早く詩織に会いたいみたいだから、じゃあ、明後日にしようと思うんだけど、詩織にお願いしたいことがあるんだ」

「何ですか?」

「実は、その日、お兄ちゃんと私は、午後から出版社で打ち合わせがあって出掛けてるの。四時までには帰って来られるはずだけど、タクシーだから、途中、渋滞とかで、遅くなる可能性もあるんだ」

「じゃあ、確実に帰っていらっしゃる時間帯にお邪魔します」

「そうすると、それだけ、詩織と一緒にいる時間が少なくなっちゃうでしょ?」

「じゃあ、携帯で連絡を取り合いましょうか?」

「でも、それから詩織が家を出ていたら、やっぱり、遅くなっちゃうよね」

「それもそうですね」

「だから、詩織には申し訳ないけど、とりあえず、午後四時には、私の家に来てくれないかな?  遅くなったとしても、何十分も待たせることはないと思うから、もし、私達が帰ってなかったら、うちで待ってくれてたら良いよ」

「瞳さんの家でですか?」

「うん! 詩織には、うちの鍵を預けておくから、呼び鈴を鳴らして返事がなければ、そのまま、部屋に入って、くつろいでて」

「そんなに、私のことを信じちゃって良いんですか?」

「うふふ、そんなことを言う詩織には、人の物を黙ってポケットに入れる癖はないでしょ?」

「それはありませんけど」

「だったら大丈夫! こっちこそ面倒なことを頼んでごめんね。せっかく、詩織が家に来てくれるのなら、できるだけ長い時間、一緒にいたいしさ」

「は、はい。分かりました」

「じゃあ、これ、うちの鍵ね」

「えっ、もう?」

「何なら、ずっと持ってても良いよ」

「そ、そんな訳にはいきませんよ!」

「詩織が、何度も来てくれたら、お兄ちゃん、喜ぶと思うなあ」

「そ、そんな」

 詩織が困った顔をしたのが分かったのか、瞳が心配そうな顔をした。

「ねえ、詩織」

「はい?」

「本当は迷惑だなあって思ってる?」

「いえ、突然だったので、少し面食らっているだけで、迷惑だなんて思っていません。もし、本当にそう、私が思っているのなら、ちゃんと言います」

「そうだよね。詩織はそんな人だよね。だから、こうして、つきあえるんだもんね?」

 学生生活も最後になって、瞳のように親友と呼べる友達ができるとは、詩織も思ってなかっただけに、瞳のことを大切にしたいと思っていた。しかし、自分の気持ちを誤魔化してまで、つきあいをすることは、瞳自身が望んでなかったし、詩織も同じ気持ちだった。

「そうですね。でも、鍵を預かるのは、やっぱり、ちょっと怖いです」

「分かった。ごめんね。詩織の負担になるのなら、鍵は前日に渡すよ。でも、私もお兄ちゃんも、詩織には、うちの鍵を持っていてもらっても良いってくらい、詩織のことが大好きなんだよ」

「瞳さん……」

 詩織のバンドのことやアイドルだったこと。響と瞳の壮絶な過去のこと。

 詩織と瞳の間には、もう、隠し事は何もなかった。それだけ、二人の間には、太くて強い結びつきができているのだ。

 午後からの授業の予鈴が鳴った。

「じゃあ、今日も一緒に帰ろう!」

「はい!」

 瞳は、自分の教室に向かった詩織を、手を振りながら見送ってくれた。



 そして、金曜日の夜。

 今日も、詩織はカサブランカのアルバイトに精を出していた。

 椎名しいなは相変わらずで、レジカウンターで眠そうに立っていた。

 明日、椎名が応募している映像コンテストの発表があり、それに受かれば、詩織とデートをする約束をしていたが、そのことについては、今日、椎名は、ひと言も触れなかった。

 DVDの整理作業も終えて、手持ちぶさたになった詩織は、レジカウンターに行き、椎名の隣に立った。

「今日は一段と暇だな」

 椎名が言ったように、今、店には一人も客がおらず、これまでも数えるくらいしか来ていなかった。

「本当ですね」

「桐野。明日のことだけど」

「は、はい」

 自分で椎名に近づいておきながら、デートのことを話されるのかと思って、ドキドキしてしまった詩織だった。

「発表は、映画祭のホームページ上で午前十時にされるんだ。もし、受かっていたとしても、ガキみたいに、喜び勇んで、桐野に連絡なんてしないから、できれば、自分で見ておいてくれ」

 自分の作品が受賞すれば、いつもクールな椎名も飛び跳ねながら喜びそうで、その姿も少し見てみたいと思った詩織だった。

「分かりました」

「それで、話は、全然、違うんだが、明日の夜は暇か?」

「はい?」

「実は、明日、ここの商品の入れ替え作業をすることにしていて、午後九時には店を閉めて、臨時招集したバイト五名で作業をする予定にしていたんだが、そのうち二人が健康を崩していて、明日、来られるかどうか分からない状態なんだ。もし、桐野が暇なら、来て、手伝ってくれないだろうかと思ってな」

 椎名は、オーナーから実質的な店長として扱われているようで、商品の入れ替え作業も椎名に任されているのだろう。

「すみません。明日の夜は、ちょっと用事があって」

 明日は、瞳から家に招待されていて、晩御飯を一緒に食べる約束をしていたから、午後九時にカサブランカに来ることはできない可能性があった。

「そうか。バンドか?」

「い、いえ、桜小路先生の家に行くことになってて」

 以前に、響との写真がフレッシュに掲載されたこともあり、詩織が響と会っていることは、椎名も知っていることで、詩織も正直に話した。

 しかし、椎名の表情が険しくなったことを、詩織もすぐに気づいた。

「桜小路響とは、まだ、会っているのか?」

「桜小路先生というよりは、妹の瞳さんに会いに行ってるんです」

「でも、桜小路響もいるんだろ?」

「そ、それはそうですけど……。どうしたんですか、椎名さん?」

「えっ?」

「私、何か、椎名さんの気に障ることを言いましたか?」

「……」

 椎名自身も深く考えての言動ではなかったようだ。詩織に逆に問われて、戸惑っているようだった。

「悪い」

 すぐに椎名が謝った。

「どうして、椎名さんが謝るんですか?」

「い、いや、桐野を嫌な気持ちにさせたかなと思って」

「そんなことは思ってないですけど? それより、椎名さんが怒ったように見えたんですけど、それがどうしてなのか、私には分からないんです」

「……桐野は、本当にピュアなんだな」

「はい?」

「俺自身も無意識だったんだが、要するに、俺は桜小路響に嫉妬したんだよ」

「えっ?」

 驚いた詩織に、椎名は口調も変えずに淡々と話を続けた。

「向こうは、若くして名声を得ていて、しかも女性を虜にする魅力を持っている。それに引き替え、俺は、しがない学生で、目指すべき道のスタートラインにも立てていない。俺は桜小路響が羨ましくて、そんな桜小路響に桐野を取られるのが悔しかったんだ」

「……私には叶えたい夢があります。桜小路先生は、確かに素敵な人ですけど、今の私には、自分の夢しか見えていません」

「それは、俺に対しても同じということだよな?」

「はい」

「そうだよな。それを承知の上で、俺は桐野にデートをしてくれと頼んだんだったな」

 椎名は、そう言うと、「はあ~」と深く息を吐いて、カウンターに両手をつき、頭を垂れた。

 そして、すぐに顔を上げると、隣に立っている詩織を見た。

「自分が嫌いになるとは、こういう感情を言うのか? 俺は、俺の道を進むだけだから、人を妬むようなことはないと思っていたが、結局、俺もつまらない男だったってことだよな」

 椎名が顔をしかめながら言った。

「そんなことはありませんよ! 椎名さんだって、自分の夢を、一生懸命、追い掛けているじゃないですか! 桜小路先生は、少し早く、その夢を叶えることができただけですよ!」

「……」

「それと、桜小路先生のことを誤解されているといけないので、ちゃんと言っておきます。先生は、ご自身の障がいや辛い思いを克服して、今の地位に立たれているんです。今の地位だって、すんなりと手に入れた訳ではありません。人の何倍も努力をされているんです」

「そうだろうな」

 椎名が自分の髪をかきむしった。

「すまない、桐野。変なことを言って」

「い、いえ」

「しかし、桐野は、ときどき、年齢としを誤魔化しているのではないかと思う時があるな」

「えっ?」

「まあ、中学生という多感な時期に芸能界で揉まれたからかもしれないが、自分の考えをしっかりと持っているし、その考えと違う考えを持った相手を攻撃することなく、自分の意見をしっかりと話して、その意見も、桐野自身は意識をしてないのかもしれないが、十分に説得的だ。高校生の考えとは思えない時がある」

「それって、一応、褒められているんでしょうか?」

「ああ、そうだよ。桐野の魅力は、その容姿だけじゃなくて、性格なども大きく影響している気がするな。桜小路響だって、そこに好意を抱いているんだろう」

「ど、どうなんでしょう? 自分では分からないですけど」

「いつだったか、桐野のことを『お子ちゃま』と言ったことは取り消す。俺よりも桐野の方がずっと大人なのかもしれない。アイドルしていただけあって、本当は、二、三歳、サバを読んでいるのではないか?」

「よ、読んでませんよ~」

 キューティーリンクのメンバーの中にも、実年齢より若く年齢を設定していた者もいて、業界では公然の秘密でも、外向けには言ってはいけないと、事務所から強く言い渡されていたことを思いだした詩織は、思わず焦ってしまった。

 

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