Act.005:セッションで確かめ合う運命
「じゃあ、行くよ~」
「はい!」
ドラムセットと向かい合うようにして立っている詩織の返事を聞いて、琉歌がリズムを刻みだした。
出だしはドラムだけ。短いドラムソロとも言えるフィルインからリズムキープ。そこに重厚なベース音が重なる。リズム自体はオーソドックスなエイトビートだが、ときおり変拍子ぽく聴こえるトリッキーなフレーズもあり、リズム隊もかなりのテクニックを要する難曲だ。
CDで聴いていた音が、今、自分の耳に直に飛び込んできていることに、詩織は嬉しくなった。そして、体の中から熱いものがこみ上げてきた。
詩織は、目を閉じて、大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐いた。
――ブレイク。
その空白に食い込むようにして、詩織がイントロのギターソロを弾き始める。
詩織は、自分で弾いているギターの音に自分で酔いしれた。それは個人練習では感じ得ない感動であった。そして、自分の演奏に夢中で、玲音と琉歌が目を見開いて自分を見つめていることに気づかなかった。
短いギターソロが終わると、ボーカルパートが始まった。
生バンドの演奏をバックに久しぶりの歌だったが、思っていたより声がクリアに出ていて、バックの演奏に声が埋没することはなかった。英語の発音も滑らかだ。
大きな声を出すことでストレスが発散されることは間違いなかった。詩織の中に貯まっていた靄のような何かがどんどんと晴れていった。
ボーカルパートが終わり、間奏のギターソロパートとなった。
二年間、毎日毎日、この曲を弾いていて、指が勝手に動いてくれた。
ライブ映像で見た、ピーター・イングドラルと同じアクションが出た。別に格好を付けている訳ではなく、ギターの演奏に夢中になると自然に出るのだ。
最初は、信じられないものを見ているかのようだった玲音と琉歌も、詩織のパワフルなボーカルと熱いギターサウンド、そしてその熱さがそのまま出ているかのようなアクションに触発されたようだ。玲音が詩織の前に進み出ると、詩織を煽るようにリズムに合わせて足を踏み鳴らした。琉歌もオーバーアクションでドラムを叩いていた。
三ピースでありながら、一つ一つの音が分厚く、それが怒濤のようにスタジオの中を駆け巡った。
終盤には、まるでスタジオライブをやっているような雰囲気になってしまって、ラストでは、詩織はギターを、玲音はベースをかき鳴らし、琉歌も派手にドラムを叩きまくり、最後は全員が飛び跳ねて曲は終わった。
余韻が残る中、三人とも肩で息をしていた。詩織もたった一曲だけの演奏なのに、軽い疲労感を覚えていた。
ふと我に返えると、玲音と琉歌がジト目で詩織を見つめていた。
「す、すみません! 勝手に盛り上がってしまって!」
詩織は思わず頭を下げた。
「い、いや、……あんた、本当に高校生?」
「は、はい、そうですけど」
玲音が満面の笑みを詩織に向けた。
「すげえよ! すげえ! 詩織ちゃん! ギターもすごいけど歌もすごい!」
「すごい、すごい! 本当にすごい!」
玲音を真似するように琉歌も嬉しそうに笑った。
「詩織ちゃん! まだ、バンドを組んだことないって言ってたよね?」
「は、はい」
「と言うことは、今、どのバンドにも入ってないんだろ?」
「はい」
玲音がつかつかと近づいてきて、詩織の両手を握った。
「アタシらと一緒にやろうよ! いや、やらせてください!」
「はい?」
「琉歌も良いだろ?」
「うん、良いよ~。てか、詩織ちゃんじゃなきゃ嫌だ~」
「分かる、分かる! どう、詩織ちゃん?」
「えっと、あの」
「駄目かい?」
「いえ、そう言う訳では……」
バンドをしたいというのは、これまで詩織がずっと夢見続けていたことで、今、そのことが現実になろうとしていた。
しかし、詩織は、高校を卒業することを父親と約束していた。だから、詩織の中では、高校卒業とともにバンド活動を始めようという、ざっくりとしたビジョンがあったことから、まずは戸惑いを隠せなかった。
「玲音さん」
せっかく見つけた逸材である詩織を逃がしたくないという顔で玲音が詩織を見た。
「玲音さんは、どんな活動を考えているのですか?」
「私と琉歌はプロを目指してる。詩織ちゃんは飽くまで趣味かい?」
「私もプロを目指しているんですけど、私、まだ、高校三年生で卒業は絶対したいんです」
「プロを目指してバンドしながらも、学校に行ってる人もいっぱいいるよ」
「私が通っている学校は、たぶん、バンド禁止です」
「そんな学校が今時あんの?」
「ちゃんと訊いたことはないですけど……」
「でも、今まで、ギターの練習をしてきてたんだろ?」
「一人でこっそりとしてました」
「どれくらい?」
「二年ほどです」
「ギター歴二年って腕前じゃないよ!」
「えっと、子供の頃、お父さんの影響でギターは弾けるようになっていたのですが、ちょっと中断していて、本格的に弾くのを再開したのが、二年前なんです」
詩織の説明に、玲音も納得したようだ。
「でも、一人で練習してても面白くなかっただろ?」
今のセッションで、玲音の言葉に詩織は首肯せざるを得なかった。
「そうですよね。やっぱり、バンドをしたいです!」
「だったらさあ、学校にバンドをしていることがばれなければ良いんだよね?」
「ま、まあ、そうですけど」
「今、バンドを結成したとしても、自分達の曲を作るにも、まとまった演奏ができるようになるまでも、けっこう時間が掛かると思うんだ」
詩織は、先ほどの演奏に自分自身で酔ってしまったが、おそらく初めてのバンド演奏に気分が高揚して、冷静な聴き方ができていないはずで、第三者が聴いていると、勢いだけで穴だらけの演奏だったのかもしれなかった。
「もし、デビューが最短で決まったとしても、明日すぐにってことにはならないからさ。今から一緒に練習をしていたら、詩織ちゃんが卒業する頃になって、やっとバリバリと活躍ができるようになるんじゃないかなあ」
玲音が言うことももっともだ。
詩織が桜井瑞希としてキューティーリンク練習生に参加してから、実際にステージに立つまで、やはり三か月ほどの時間は必要だった。全部、お膳立てしてもらっても、それくらい掛かるのだ。
しかし、これからプロデビューを目指して結成しようとするバンドでは、玲音が言うとおり、自分達でワンマンライブができるくらいの数のオリジナル曲を作り、それをバンドとしての音にまとめていかなくてはならないし、地道にライブ活動をこなして、バンドの名前を売っていかないと、そもそもプロデビューなんてできない。
言うなれば、プロで活躍するための準備期間が始まるだけなのだ。表立って活動しなければ、学校にばれずにバンドを続けることも可能だろう。そんな下積みをしていれば、一年など、あっという間かもしれない。
「そうですね。前向きに考えたいですけど、ちょっと相談したい人もいて……。二、三日待っていただけますか?」
「二、三日どころか、いつまでも待つぜ。アタシは詩織ちゃんの歌声にノックアウトされちゃったからさあ」
「本当だよ~。ここで詩織ちゃんを逃すと、また、しばらく不遇の時代になりそうだし~。詩織ちゃん以外の人とバンドすることは考えられないよ~!」
玲音と琉歌の二人にワクワクとした顔を見せつけられて、詩織は嬉しくなった。
詩織が脱退してもキューティーリンクは解散しなかった。新たなメンバーを入れて、今も活動をしている。詩織がセンターを務めていた時である「第二期」の頃が最強だと言うのが定説になっているが、「第三期」以降もそれなりの人気を誇り、詩織がいないとキューティーリンクが成り立たなかったとまでは言えなかった。
しかし、今日、たまたま出会った玲音と琉歌に「詩織以外の人とバンドをすることは考えられない」とまで言われて、引退して以降、一人でギターの練習を繰り返していて、薄れてきていた自分の存在意義を再び確かめることができた気がした。
そして、詩織は、二年もの間、積極的に人との関わりを避けてきたが、最初から物怖じせずに話すことができたこの二人とは長くつき合っていけるような気がした。
根拠は何かと訊かれてもはっきりと答えられないが、しいて上げれば、芸能界という世界で、普通の中学生よりも多くの、そしてシビアな人間関係を見てきた詩織の勘だろう。
その後も、いろんな曲をセッションして盛り上がった三人であったが、午後八時に五分前になると後片付けを素早く済ませて、スタジオを出た。
待合室に行くと、次にスタジオに入るであろうバンドメンバーでいっぱいだった。ベースを入れたソフトギターケースを背負った玲音が先頭に立って人の波を押し分けた後を、ソフトギターケースを背負いエフェクターケースを持った詩織、スネアドラムや用具類を乗せたキャリングカートを引っ張っている琉歌が続いた。
キャップを深くかぶりながらも周りの人の顔を観察していた詩織は、男性のほとんどが玲音に見とれているのが分かった。女の詩織が見ても綺麗だと思う玲音の美貌に男性であれば釘付けになっても不思議ではない。
そんな男どもの視線を振り払うようにして、詩織達は素早く外に出た。
四月の夜は、まだ少し肌寒かったが、詩織は、バンドで演奏できた興奮がまだ冷めやってなくて、まったく寒さを感じなかった。
また、辺りは巨大な繁華街で、いつもは煩わしく感じる人の多さも、気分の高揚感の維持に役立ってくれていた。
詩織よりも少し前を歩く玲音の長い黒髪が夜風になびいた。一筋の赤いメッシュがムチのようにしなった。その色の鮮やかさと玲音の横顔の美しさに、詩織は、また見とれてしまい、女が惚れる女とは、こういう人のことを言うのだろうなと、一人納得していた。
自分の横を歩く琉歌に目をやると、ダブダブのオーバーオールジーンズにスタジアムジャンパーという、だぼっとしたファッションがすごく可愛く見えて、男性達の目には目立たないかもしれないが、その愛嬌のある、いつも微笑んでいるかのような顔は、今日、初めて会ったにもかかわらず、昔からの友達だと錯覚させるほど魅力的だった。
「詩織ちゃん」
玲音が歩みを止めることなく振り向き、詩織を呼んだ。
「この後、何か用事ある?」
玲音の後ろ姿に見とれていた詩織は、その玲音から見つめられて少し焦ってしまった。
「い、いえ」
「じゃあ、せっかくだから、お茶でもして行く?」
「はい」
詩織も玲音と琉歌のことをもっと知りたかった。もちろん、同じミュージシャンで、自分のボーカルやギターを誉めてくれたということもプラスに働いていただろうが、それ以上に、二人に惹かれるものを感じていた。
これが運命というものだろうかと直感的に思った詩織は、それを信じることにした。