Act.083:のこのこと現れた元凶
その日の放課後。
詩織と瞳は、再び、校長室に呼び出された。
二人が、校長室に入ると、畑山校長と土田教頭の二人が待っていた。
勧められて、校長と教頭の前のソファに座ると、土田が口を開いた。
「今朝のことは、理事長の息子さんが宥恕されたということで、不問とすることになった。ま、まあ、君達としては後味が悪い決着の仕方かもしれないが、これ以上、騒ぎを大きくしても何のメリットもないことは分かるだろう?」
「一方的に責められたのに、泣き寝入りしろって言うんですか?」
勝ち気な瞳が復活していた。
詩織も納得ができなかった。これではまるで、相手の言っていることが本当のことだが、相手が許すと言っているから、そのお情けに感謝しろと言われているようなものだ。
「学校としては、これ以上、言うことはない。以上だ!」
事なかれ主義といえばそれまでだが、被害を訴えた方が、その訴えを取り下げると言っているのだから、警察でも裁判所でもない学校が、これ以上、深入りする理由はないだろう。
「何か、すっきりしない! そうでしょ、詩織?」
並んで池袋駅まで帰る道すがら、瞳は、ずっと眉をつり上げたままだった。
「ま、まあ、そうですけど、嫌なことは、スッパリと忘れましょうよ。他に打ち込むべきこともありますから」
「詩織は、そうやって、すぐに気持ちの切り替えができるから偉いよね」
「話をぶり返しても、結局、時間の無駄になるだけのような気がしますし」
相手は、学校で一番の権力者といえる理事長の息子だ。汚名を着せられたと、瞳から学校に訴え出ても、学校は動いてくれないだろう。
「……そうだね。腹の虫は収まらないけど、仕方ないか」
「瞳さん! 気分直しに、また、甘いものでも食べに行きましょうか? バイトの時間までなら、おつきあいしますよ」
「詩織が甘いものを食べたいだけじゃないの?」
瞳が笑いをかみ殺しながら言った。
「そ、それは、ちょっとだけ、あります」
「あははは、良いよ。私も行きたいって思ってた。どこに行く?」
「山田楽器の斜め向かいにある喫茶店のモンブランが美味しいって聞いたことがありますよ」
「知ってる知ってる! そこに行こう!」
詩織と瞳は、池袋駅を突っ切って、反対側に行き、山田楽器を目印に歩いて行った。
「あれっ、詩織ちゃん?」
前から歩いて来ていた女性が、詩織に声を掛けてきた。スカートスーツ姿の奏だった。
「奏さん! 全然、気づきませんでした」
「こんにちは!」
瞳が奏にきちんとお辞儀をした。
「こんにちは、瞳さん」
奏も瞳に挨拶を返すと、詩織をマジマジと見つめた。
「それにしても、詩織ちゃんの制服姿を初めて見たけど、可愛いわねえ~」
「ど、どうも。奏さん、鼻息が荒いですよ」
「それはやむを得ないわね! ところで、学校帰り?」
「はい。瞳さんと甘いものでも食べに行こうって」
「良いわね。私もよく学校帰りに寄り道したわ」
「奏さんは、どちらに行かれているんですか?」
「生徒さんの都合でレッスン時間が変更になったせいで、ちょっと立て込んじゃって。今、遅いお昼休みよ」
「どこかのファミレスにでも行かれるんですか?」
「ううん。そんなに時間もないから、コンビニでおにぎりを買ってきたの」
奏が詩織達に小さなレジ袋を掲げて見せた。
「お昼御飯もきちんと食べられないなんて、大変なんですね」
「そうなのよ! うちの店長の人使いが荒くてさ。また、詩織ちゃんに癒やしてもらわないといけないわ」
「私で良ければ」
「ありがとう! って、次の生徒さんが来ちゃうわ。じゃあね、詩織ちゃん! 瞳さんもまた」
山田楽器に向かおうと体の向きを変えた奏を、「藤井先生!」と呼んだ者がいた。
何気なく、その声の主を見た詩織と瞳は、いったい何事が起きたのか分からないという顔で唖然とするしかなかった。
「梅田君! あれっ、もう、レッスンの時間だっけ?」
焦って腕時計を見る奏に、梅田理事長の息子の光は、「いえ、まだ十五分前ですよ」と嬉しそうに答えた。
「そ、そうだよね。焦っちゃった」
「すみません。山田楽器に行ってたら、先生の顔が見えたので、つい、声を掛けてしまいました」
奏と話す光は、楽しそうで、昨日の雰囲気とはまったく違っていた。
「ちょっと! あんた!」
いったん、収まっていた怒りがぶり返してきたようで、瞳が眉をつり上げて、光を睨んだ。
光は、詩織と瞳がいることに、やっと気づいたようで、「ゲッ!」と、カエルのような声を上げた。
「親に告げ口して、しかも、それが嘘っぱちだなんて呆れたわよ! ちょっと顔を貸しなさいよ! 訊きたいことが山ほどあるから!」
「ど、どうしたの?」
瞳のただならぬ怒りに、何も知らない奏は戸惑っていた。
「奏さん! 私達、この梅田さんと話をしたいんです。良いですか?」
「何があったの?」
「彼のせいで、ちょっと、学校でトラブルになって」
「そう。よく分からないけど、詩織ちゃんがそこまで言うのなら、梅田君もきちんと話をしてあげなさい」
「お、俺は関係ないですし」
「梅田君! ちゃんと話を聞くって約束してくれないと、ピアノレッスンをして・あ・げ・な・い・ぞ」
玲音に見られると、絶対、突っ込まれるはずの奏の小悪魔風演技は、光には効果があったようだ。
「わ、分かりました」
三十分のピアノレッスンが終わるのを、山田楽器の一階で待っていた詩織と瞳の近くに、奏に付き添われた光がやって来た。
「梅田君。ちゃんと二人と話をするという、先生との約束を守ってよ」
「は、はい」
「私は、次のレッスンがあるから、ここでね」
「はい。奏さん、ありがとうございました」
詩織ににこやかな笑顔を返しながら、奏は四階にあるレッスン室に戻るため、エレベーターに乗った。
「じゃあ、ついてきて! 今さら逃げたりしないでよ!」
そう言うと瞳が、先に歩き出し、そのあとを、光がぶすっとした表情でついて行った。
その顔を見て、また、二人が喧嘩になることを恐れた詩織は、光と並んで歩きながら、光に話し掛けた。
「梅田さん。奏さんのレッスンを受けているんですね?」
「あんたもそうなのか?」
「いえ、個人的に仲良くしてもらっているので」
「そうなんだ」
相手は理事長の息子だ。奏と一緒にバンドをしているとは軽々しく言わない方が良いだろう。
それにしても、奏と接している時の光の様子からは、光は奏にピアノ教室の先生以上の好意を持っているように見えた。自身は恋愛に疎い詩織でさえ、分かるくらいにデレていた。
「奏さん、素敵ですよね。私も大好きなんです」
「そ、そうだよな! 俺もそう思う!」
光が力を込めて言った。
近くで見る光は、背が高くて体格も良く、ツンツンに立てた短い髪に、男臭い顔立ちで、詩織の周りにいる男性でいえば、榊原に通じるような雰囲気を持っていて、ピアノを弾く趣味があるようには見えなかった。
「梅田さんは、ピアノをやられて長いんですか?」
「い、いや、実は、一か月前からなんだけど」
「へ~。何か、きっかけでもあったんですか?」
「藤井先生の演奏をネットの動画で見て」
ネットに上げた「涙にキスを」のPV動画は、しっとりとしたバラードで、奏のピアノも素晴らしい音色と旋律を響かせていたし、クレッシェンド・ガーリー・スタイルの公式ツイートでは、奏が山田楽器でピアノ講師をしていることも明らかにしていた。
詩織は、メンバーの演奏が褒められて、嬉しくなってしまった。
「奏さんのキーボード、本当に素敵ですよね!」
「だよな! だよな!」
詩織と話をしていて、光の気持ちも次第に落ちついてきたようで、しかも自分がファンの奏の話なので、光も、なぜ、今、詩織達と歩いているのか、忘れてしまっていたようだ。
「あんた達、何、話が弾んでるの?」
前を歩いていた瞳が呆れ顔で立ち止まっていた。
光と話をしながら、瞳の跡について歩いていたので、詩織も気づかない間に、小さな公園までやって来ていた。
「さて、説明してもらえる? 何で、私が叩いたなんて、嘘を言ったのよ?」
瞳が厳しい視線を光に向けた。
「……」
「だんまり? 男らしくないわね!」
「……すまなかった」
そっぽを向いてはいたが、光は謝罪の言葉を口にした。意外にあっさりと光が謝って、瞳も少し拍子抜けしたようだ。
「ちゃ、ちゃんと目を見て、謝りなさいよ! そうしたら許してあげるから!」
光は、素直に瞳の方に向き、その顔を見てから、再度、「すまなかった」と言い、頭を下げた。
「最初から、そうやって頭を下げれば良いのよ! でも、どうして嘘なんか吐いたの?」
「あの時、友達と一緒だったから、すごく恥をかかされたって思うと、どうしても仕返ししたくなって……」
「仕返しするにしても、親に言いつけるなんて小学生か!」
「ごめん」
すぐに謝る光は、ボーリング場で会った時とは別人のようだった。




