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クレッシェンド・ガーリー・スタイル     ―Crescendo Girly Style―  作者: 粟吹一夢
第四楽章 転べば立ち上がり、また走る!
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Act.082:寄り掛かれる存在に

 校長室は職員室の隣にあった。

 詩織しおりも今まで入ったことはなかったが、飯田いいだ教諭の跡について、瞳とともに入ると、豪華な執務机の前に応接セット、壁には額に入れられた表彰状が所狭しと掛けられていて、机の背後の棚には、トロフィーが数多く陳列されていた。

 応接セットのソファは、正面に一人掛け用ソファがあり、その両脇に二人掛け用ソファが相対して置かれていた。

 一人掛け用ソファには、お目に掛かるのは体育祭以来である理事長の梅田うめだが座り、片方の二人掛け用ソファには、畑山はたけやま校長と土田つちだ教頭が並んで座っていた。ひとみと詩織が、その対面の二人掛け用ソファを勧められて、並んで座ると、飯田教諭は「失礼します」と言って、校長室から出て行った。

 それを待ってから、畑山校長が口を開いた。

桜小路さくらこうじさん。桐野きりのさん。今日、ここに呼ばれた訳は分かっているよね?」

 詩織は、目の前の土田を見たが、土田は渋い顔をして、額の汗を拭っていた。

「いえ、分かりません。何の話でしょうか?」

 瞳が臆することなく、校長に訊いた。

「昨日の放課後、君達二人は池袋にあるチャレンジボールというボーリング場に行ったね?」

「はい、行きました。それが何か問題でも?」

「いや、問題は、そこで他校の生徒と喧嘩をしたということだよ」

 やはり、その話かと予想はしていたようで、瞳は冷静なままだった。

「喧嘩じゃありません。それに、ちょっかいを出してきたのは相手のほうで、どちらかというと私達こそ被害者です」

 瞳がありのままを話した。

「桜小路さん。君に頬を叩かれたという主張を相手はされているんだが?」

 相手に敬意を払っているような校長の口調が気になったが、その理由はすぐに分かった。そもそも、学校の経営の責任者である理事長がいることが不思議だった。

「相手は、理事長のご子息だ。理事長を通じて、直々に苦情があったんだ」

「息子のひかるが言うには、桜小路君、君の方から一緒に遊ぼうと、光に声を掛けてきたそうじゃないか。しかし、光が断ると、光の友人を馬鹿にする言動を君がしたものだから、光が口頭で注意をしたら、いきなり、光の頬を叩いたそうだね。もちろん、軽くとは言っていたが」

「何ですか、それ? でたらめにもほどがありますよ! むしろ、逆なんですけど!」

 相手が理事長であろうと、瞳がひるむことはなかった。

「光が言っていることが嘘だと言うのかね? 光が嘘を吐く必要など、何もないではないか!」

「自分からナンパしておいて、きっぱりと私に振られたことが恥ずかしかったんじゃないんですか?」

「あ、あの、瞳さんが言っていることが本当です! 私もずっと一緒にいましたから!」

 今まで先生に楯突いたことなどない詩織だったが、無実の罪を着せられようとしている瞳を放っておける訳がなかった。

「桐野さん。桜小路さんを庇っているのではないのかい?」

 今まで問題を起こしたことのない詩織に同情するような顔で校長が言った。自分の意思に反して、瞳の弁護をしているとでも思っているのだろうか?

「そんなことはありません! 本当です!」

 校長は、ほとほと困った顔をした。お互いの主張が真っ向から対立しているのに、校長としては、何らかの処分を下すように、理事長から厳命されているのかもしれない。

「じゃあ、理事長の息子さんを呼んでください! 私が直に問い質しますから!」

「なぜ、君が光を問い質す必要があるんだね?」

「だから、そっちの馬鹿息子が嘘を吐いているんだって言ってるじゃないですか!」

「こ、こらっ! 何という口の利き方をしているんだね!」

 理事長の息子を馬鹿呼ばわりされて、校長の方が焦って、瞳を叱った。

「だって、親を利用してしか、人に文句を言えないなんて、ちゃんと育てているんですかって言いたいんですけど! こんなこと、親が出てくるようなことじゃないですよね? 言いたいことがあるんなら、本人が出て来て言いなさいってことですよ!」

 瞳の無実は晴らしたいが、瞳の歯に衣着せぬ言い方に、顔を真っ赤にして怒っている理事長の顔を見て、詩織もハラハラしてしまった。

「畑山君!」

「は、はい!」

 理事長に呼ばれた校長は、自分が叱られたかのようにびびって、座ったまま、姿勢を正した。

「この子は、そもそも、このアルテミス女学院の校風になじめなかったにもかかわらず、桜小路先生の妹ということで、我々もしばしば目をつぶってきた。だが、桜小路先生の作家としての限界も見えたようだ。我々が気遣う必要は、もう、ないのではないかね?」

「ちょっと! それはどういう意味ですか?」

 瞳が、今にも飛び掛かりそうな勢いで、理事長に食って掛かった。

「そういうことだ。しょせん、盲目の作家という珍しい看板だけで、これまで人気を博してきたが、そろそろ、そのメッキも剥がれてきたということだろう」

「……」

「この子にも、しかるべき処分を下すべきではないのかな?」

「は、はあ」

 いくら理事長の命令でも、一方当事者の言い分だけで、生徒に処分を下すことはできないだろう。校長も曖昧な返事しか返さなかった。

「あ、あの、ちょっと、待ってください!」

 ひびきのことを言われて、一気に意気消沈した瞳に代わって、詩織がたまらず口を開いた。

「先ほども言いましたけど、事実は逆です! それに瞳さんは相手のかたを叩いたりしていません! ちゃんと真実を確かめるべきではないんですか?」

「君も、うちの息子が嘘吐きだと言うのかね?」

 理事長が赤い顔を詩織に向けた。

「嘘を吐いているのか、何か誤解をされているのか分かりませんが、事実は違います! それは、瞳さんとずっと一緒にいた私が証言します!」

「あの、理事長」

 それまで、ずっと渋い顔で汗を拭っていた土田教頭が、おずおずと口を開いた。

「我々、教職員も確固たる証拠や根拠がないと、生徒に処分を下しにくいですし、それに桜小路先生の人気に陰りが見えるとしても、有名人なのは違いありませんから、マスコミにリークされて、我々の処分が間違っていたとなると大問題になります。理事長のご子息が嘘を吐いているとは、私どももあり得ないと思いますが、先ほど桐野さんが言ったように、何かの誤解があるのかもしれません。今回は、当事者同士で冷静に話し合うことは難しいようですから、私どもが間に立って、もう一度、双方から話を訊くということで、いかがでしょうか?」

 土田の意外と冷静な提案に、理事長も少し頭が冷えたようで、「それもそうだな」と呟いた。

「息子を呼んだ上で、畑山君と土田君に話を聞いてもらおう。それで良いかね?」

 理事長は、瞳を見ながら尋ねたが、瞳は魂が抜けたかのように呆然としていた。

「そ、それで、お願いします!」

 見かねた詩織が瞳に代わって返事をした。

「では、改めて、連絡をするから、教室に戻って良い」

 理事長の前で緊張しまくっていた校長が、少しだけ威厳を込めて、詩織と瞳に言った。

「瞳さん、行きましょう」

 詩織が瞳の腕を取って立ち上がらせたが、瞳は、相変わらず脱力したままであった。

 校長室を出ると、詩織は、瞳と二人きりになりたいと思い、近くのトイレに入った。中には誰もいなかったことから、詩織は、瞳の手を引いて、洗面台の前まで連れて行った。

「瞳さん! しっかりしてください!」

 詩織が瞳の体を揺さぶった。

「詩織……」

 瞳は、今、初めて、詩織がいることに気づいたかのような反応しかしなかった。

「どうしたんですか?」

 詩織は、瞳が何にショックを受けたのかは、何となく分かっていたが、それを本人の口から訊かないで、憶測で慰めの言葉を掛けたくなかった。

「ちょっと、小説の売り上げが落ちただけで、人の態度って、こんなに変わってしまうんだね」

 学校も人気作家である響のブランドを利用しようと考えていたはずで、体育祭の時の理事長と校長の歓待ぶりからもそれは明らかだった。しかし、新作の「キミダレ」が不評で、一部の評論家からは、これが盲目の作家の限界だと酷評もされていて、響の作家人生も終焉を迎えたとも言われていた。そんな、誰もが先がないと考えている響の人気にすがることを止めても、仕方がないことだろう。

「今まで何だったのかな? 私達、また、元に戻っちゃうのかな?」

 詩織が思っていたとおりだった。

 瞳は、「人気作家」である「桜小路響の妹」ということが自分の存在意義なのだ。

 しかし、手のひらを返したかのような学校の態度は、自分が寄って立つべき響が「人気作家」という座から滑り落ちようとしている事実を、容赦なく、瞳に突きつけた。

 そしてそれは、自分の存在意義を失ってしまうことと、響が小説家になる前の惨めな人生に逆戻りすることを、瞳に考えさせたのだろう。

「瞳さん! 瞳さんは瞳さんです! 桜小路先生の妹さんですけど、桜小路瞳という、一人の素敵な女性です! 私は、そんな瞳さんの友達です!」

 瞳がうつろな目で詩織を見た。

「もし、瞳さんが桜小路先生の妹さんじゃなくても、あの体育祭の時の瞳さんや、自分で小説を書いている瞳さんを知って、友達になったと思います!」

「詩織……」

 瞳が詩織に抱きついた。

 鼻をすする音が聞こえた。瞳は静かに泣いていた。

「私は瞳さんの味方です! だって、瞳さんが嘘を吐いてないのは、私自身が見てますから!」

「ありがとう、詩織。……ありがとう」

 最後は消え入りそうな声で言った瞳の背中を、詩織は、赤ん坊をあやすみたいにポンポンと優しく叩いた。



 一時限目の授業をサボった詩織と瞳は、自動販売機で買った紙パックのジュースを持って、校舎からは死角になっている、中庭の端っこにあるベンチに並んで座っていた。

「私、授業をサボったの初めてです」

「私は五回目……。あれっ、六回目だったかな?」

 瞳の気持ちも落ちついて、いつもの瞳に戻っていた。

「そんなにですか?」

「公募用の原稿をチェックしたくてさ」

「もう! 駄目ですよ!」

「良いじゃない。訳が分からない物理の法則を聞いているより、そっちの方が私の将来的にも有意義なんだからさ! そういう詩織だって、十一月のライブが平日で、その日は学校をサボるって言ってなかったっけ?」

「そ、そうでした」

 二人は、お互いの顔を見合いながらひと笑いすると、じっと見つめ合った。

「詩織、さっき言ってくれたこと、お兄ちゃんに言われていたんでしょ?」

「えっ! そ、それは、その……」

「あははは! やっぱり、詩織って誤魔化すことが下手だよね」

「……」

「でも、だから、詩織のこと、好きなんだ! それで、話を元に戻すと、お兄ちゃんが常々、言ってたんだよ。桜小路響の妹から、そろそろ、卒業するべきじゃないかって」

 詩織に頼むだけではなく、実際に、響も瞳を説得しようとしていたのだろう。

「でも、私は、いつまでも桜小路響の妹でいたい。だって、兄妹きょうだいの縁って切れるもんじゃないでしょ?」

「それは、そうですけど」

「でも、もう一人の桜小路瞳もできたよ」

「もう一人の瞳さん?」

「うん! 桐野詩織って親友がいる桜小路瞳だよ。その桜小路瞳は、桜小路響がいなくても、たぶん、大丈夫だと思う」

「瞳さん……」

「って、結局、私って、誰かを頼ってないと生きられないのかな?」

「人は誰だってそうですよ。私だって、バンドのメンバーだったり、父親だったり、瞳さんだったり、誰かの助けをもらいながらじゃないと生きていけません」

「……そうだね。お兄ちゃん以外で頼れる人ができたってことだよね?」

「だと良いです」

 中学時代は、秒刻みのスケジュールで働いていたし、引退後は、隠れるようにしながら密かに夢を追い掛けていて、今まで個人的に親密なつきあいをする間柄の友人ができなかった詩織にとって、初めてできた親友である瞳が寄り掛かれる存在に自分がなれたかもしれないと思うと、詩織自身も嬉しく思うのだった。


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