Act.077:すべてを吹っ切って!
八月二十八日。木曜日。時間は、午後二時。
詩織とバンドメンバー達は、新宿にある「アルバート」というライブハウスの前まで来ていた。
今日は、クレッシェンド・ガーリー・スタイルとして二回目のライブで、ファーストライブ同様、六バンドの合同ライブだ。
もっとも、前回のライブは、プロを目指しているバンドだけが出演していたライブで、全体のレベルも、また、共演メンバーの平均年齢もそれだけ高かったが、今日は、自分達のバンド以外は、完全趣味のバンドしか出演しないもので、社会人バンドがひとつ出る以外は、ほとんどが大学生のバンドで、高校生バンドもひとバンド出演する予定になっていた。
詩織達がライブハウスに入ると、二時半からスタートのリハに向けて、PAスタッフがまだ作業を行っていた。
今日、詩織達の出演はラストだ。したがって、リハは最初にすることになっている。
他の出演バンドも既に全員が入っているようで、詩織と同じくらいの年代の男女が多くいた。
「じゃあ、クレッシェンド・ガーリー・スタイルさん! お願いします!」
PAの準備ができたようで、詩織達はすぐにステージに上がり、準備も素早く済ませた。
センターに立った詩織に、男子学生の遠慮の無い視線が集中していた。
「あのボーカル、よく見ると可愛くね?」
「言える! あとで挨拶しようぜ」
そんな声が詩織の耳に入ってきた。
詩織は、ステージに集中しようと、目を閉じて気持ちを高めていたが、ふと、「桜井瑞希に似てない?」という声が聞こえた。
「あ~、そう言われればそうかも」
「だろ? やっぱ、可愛いわ」
詩織の集中力が、あっけなく切れてしまった。
すぐに詩織は後ろを向いて、特に用事がある訳ではなかったが、琉歌のすぐ前まで引っ込んだ。
「どうしたの~、おシオちゃん?」
既に準備を終えていた琉歌が心配そうな顔で訊いてきた。
何も言っていないのに、詩織の気持ちが乱れていることを、琉歌は見抜いたのかもしれない。
「い、いえ。何でもありません」
詩織は、ステージの正面に向き直ると、気合いを入れ直した。
――いつもの自分でいよう!
ファーストライブの時も、詩織が桜井瑞希だと分かった者はいなかった。
しかし、今回のライブは、出演者の平均年齢も低く、詩織がアイドルとして活躍していた頃に、キューティーリンクに夢中になっていた年代の者が多いことは確かだ。
全員の準備が終わったことを確認した玲音が、客席の後ろにいるPAスタッフに手を上げて合図を送った。
「じゃあ、行くぜ!」
玲音の言葉に、琉歌のカウントが続いた。
一曲目の「ロック・ユー、トゥナイト」の一番の途中で、玲音が演奏を中断させた。
「おシオちゃん! ちょっと!」
玲音が詩織を厳しい顔をして呼んだ。そして、琉歌に向かって、「ちょっと、体育館の裏に行って来る」と告げた。
それがどういう意味なのか、玲音とずっと一緒にバンドをしている琉歌はすぐに分かったようで、「すみませ~ん。ちょっと、ドラムのセッティングを調整しますぅ~」とPAスタッフに言って、ドラムの部品をいじっているようなフリをし始めた。
玲音は、近づいて来た詩織の肩を組んで、後ろを向いた。
「おシオちゃん、どうしたんだよ? いつもの声が出てないぞ」
さすが玲音だと、詩織は、自分が叱られていることを置いて、感心してしまった。
「すみません。実は、会場から、桜井瑞希に似てるって声が聞こえてきたので、つい」
「そのことは、もう吹っ切れてたんじゃねえのか?」
こうやって、表だってバンドの活動を始めたのだから、いつ、ばれても仕方がないと、自分では吹っ切れていたつもりだったし、メンバーにもそうだと伝えていた。
しかし、いざ、実際に、昔の自分のことがばれるかもしれないと気になりだすと、やはり、冷静ではいられなかった。
「自分ではそのつもりで、さっきも気合いを入れ直したんですけど……」
詩織が琉歌と奏を見ると、二人とも玲音が詩織に何を言っているのか分かっているようであった。琉歌も奏も、いつもの詩織ではないと感じたのだろう。
「最近、フレッシュの襲撃とかもあったから、また、少し不安になってるのかもしれないけど、もう、ばれたって良いさ。アタシらも覚悟は決めてる」
「玲音さん……」
「ばれたとしても、ここにいるのは、昔は桜井瑞希って名乗っていたけど、今は、『クレッシェンド・ガーリー・スタイルの桐野詩織だ! 文句あるか?』って開き直れば良いんだよ。だから、いつもみたいに、おシオちゃんのありったけを見せつけてくれよ」
「すみません、玲音さん。玲音さんがおっしゃるとおりです。自分では吹っ切れていたつもりでも、心のどこかで、まだ、吹っ切れてなかったんですね」
「どうすれば本当に吹っ切れる?」
「……」
自分では吹っ切れたと思っていた詩織は、玲音の問いに対する答えを思いつかなかった。
詩織から答えが返ってこなかった玲音は、小さくため息を漏らすと、少し詩織から離れて、両手を腰にやり、厳しい顔を詩織に向けた。
「バカヤロー! 何やってんだよ、まったく! そんな歌でプロを目指すなんて、百年早いんだよ!」
会場で見ていた共演のバンドメンバー達も固まるほどの玲音の剣幕に、詩織も一瞬、唖然としてしまった。今まで、両親からはもちろん、誰からも大声で叱られたことのない詩織には、かなりの衝撃だった。
しかし、玲音が続けて言った台詞で、玲音の考えが分かった。
「ちょっと、桜井瑞希に似てるからって、良い気になってんじゃねえぞ! そんなもん、全然、役に立たねえからな!」
玲音のアドリブだろうが、詩織が本当に桜井瑞希だとしたら、そんなかつての大スターに向かって、プロミュージシャンの卵にすぎない玲音が罵声を浴びせるはずはないと考えるのが普通だ。
これで、今、会場にいる共演のバンドメンバー達には、詩織は「桜井瑞希に似ているだけの駆け出しミュージシャン」という刷り込みがされたはずだ。
「すみません! もう一回、お願いします!」
詩織は玲音に深く頭を下げた。
それは、玲音の偽装工作に乗ったというよりは、本当に玲音に謝りたかったからだ。
「仕方ねえな! 今度、しっかりやらなかったら許さねえからな!」
玲音は、そう言うと、会場の後ろにいるPAスタッフに「すみません! もう一回、最初からやります! 時間はオーバーしませんから」と告げた。
「おら! いくぞ!」
玲音が、まだ怒っているような口調で詩織に言って、ベースアンプの前に戻ると、詩織は、センターにセットされたマイクスタンドの前に立った。
詩織の心に、自分に対する情けなさと怒りが噴き出てきた。
フレッシュの記者に自分のことがばれて、響と瞳を逆恨みした時のように、昔の自分を隠すことを最優先しすぎていて、バンドメンバーはもちろん、響や瞳、椎名も含めて、自分の周りの人達に、あれだけ迷惑を掛けていたのに、その人達の優しさに甘えてばかりだった自分が許せなくなった。
「ああああああああああー!」
その気持ちが抑えきれなくなった詩織は、髪を振り乱しながら絶叫した。
マイクから顔を離して叫んだが、それでも詩織の叫びは会場中に響き渡り、「叱られて、気が触れたのか?」と、共演のメンバー達も腰が引けるほどだった。
そして、キッと正面を向くと、「私は、……私は、クレッシェンド・ガーリー・スタイルの桐野詩織だあー!」と叫んだ。
間髪入れず、琉歌のカウントが入り、「ロック・ユー・トゥナイト」が始まった。
初めて見る詩織の乱れ具合に、普通は心配になって演奏どころでないはずだが、玲音も琉歌も、そして奏も何事もなかったように演奏を始めた。何も言わずとも、詩織の葛藤する気持ちと、そして、詩織なりにそれが解決したことを、三人ともすぐに理解したのだろう。
詩織の歌声は、客席を押しつぶしかねないほどの圧力をもって、共演のメンバー達に襲い掛かった。
完全趣味のバンドをしているとはいえ、詩織の声のパワーのすごさを感じない訳がない。
一回目のリハの時には、さすが、プロを目指しているバンドだけあって、演奏は上手いという感想しか持てなかった共演のメンバーも、きっと、目眩がするくらいの衝撃を受けたはずだ。次第にステージに詰め寄ってくると、リズムに併せて、体を揺さぶりだし、ついには、拳を突き上げだした。
リハーサルなのに、まるでライブが始まってしまったかのようなノリになってしまい、会場中が揺れた。
玲音が琉歌と奏に目配せして、曲を途中で終わらせることなく、そのまま続けさせたが、詩織は、そのことには気づかなかった。それだけ演奏と歌に全神経を集中しており、会場と一体になった興奮状態の中にあった。
ギターソロも激しく体を動かしながら弾きまくり、ラストには会場の共演メンバー達を煽るようにギターを掻き鳴らして、最後は、会場にいる全員が、一斉にジャンプして終わった。
結局、「ロック・ユー・トゥナイト」一曲だけの演奏で、クレッシェンド・ガーリー・スタイルのリハーサル時間はなくなってしまった。
しかし、会場からは大きな拍手が起きて、素早く楽器を片付けて、ステージを降りたメンバー、特に、詩織の周りに人垣ができた。
「すげー! すげー! すげー!」とだけ連呼する者。
「ファンになりました! これからも、絶対、応援します!」と握手を求めてくる者。
これだけ至近距離で顔を合わせて、もみくしゃにされながらも、詩織は、それが嫌でも、怖くもなかった。
むしろ、自分達の歌と演奏に純粋に感動してくれた共演メンバーに感謝をしたくなった。
「皆さん! ありがとうございました! 本番でも頑張りますから、よろしくお願いします!」
自分を取り囲む四方に向けてお辞儀をした詩織に、会場中から拍手がわき上がった。
それで、涙が溢れてきた詩織を守るように、玲音、琉歌、そして奏が詩織を取り囲んだ。
「アタシらは、いつも全力を尽くすぜ! うちの歌姫が言ったみたいに、本番も全力でいくから、みんなのお客さんにも、ぜひ残ってもらって、アタシらのライブを楽しんでもらえるようにお願いしてよ!」
ちゃっかりと宣伝をした玲音を先頭に、四人は楽屋に下がって行った。




