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クレッシェンド・ガーリー・スタイル     ―Crescendo Girly Style―  作者: 粟吹一夢
第四楽章 転べば立ち上がり、また走る!
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Act.076:自らを犠牲にしてでも

 ひびきひとみをスタジオリハに招いた次の日の火曜日。

 詩織しおりは、珍しく朝寝坊をしてしまった。

 もっとも、まだ夏休み中で、眠ろうと思えば一日中眠っていられるが、午前十時過ぎに掛かってきた電話で目覚めた。

「も、もしもし」

「詩織? おはよう」

 瞳だった。

「お、おはようございます」

「寝てた?」

「は、はい」

「ああ、ごめんね」

「い、いえ」

「ふふふ、詩織の寝ぼけ声も可愛い」

「す、すみません」

「あはは、本当に寝ぼけてる。大した用事でもないから、掛け直すよ」

「い、いえ、大丈夫です。何ですか?」

 やっと、詩織の頭が回り出したことが、詩織の声で、瞳も分かったようだ。

「来週から二学期じゃない?」

「はい」

「詩織は、電車で池袋駅まで来ているんだよね?」

「はい」

「何時に着く電車?」

「いつも、八時くらいに着く電車で行ってます」

「そっか。あのさ、詩織」

 瞳は、照れているように、口ごもった。

「詩織は、朝、誰かと一緒に登校してるの?」

「いえ、特に。クラスメイトと会えば、学校まで一緒に歩きますけど」

「だったらさ。その、朝、詩織と一緒に登校しても良いかな?」

「良いですけど」

「本当に? ありがとう、詩織!」

「そんなに感謝されるようなことじゃないですよ」

「だって、詩織と一緒に行って、いろんな話をしたいんだ。それに、もし、詩織が桜井さくらい瑞希みずきだって見破った芸能記者が、登校途中に襲撃してきても、詩織を守れるかもしれないと思って」

「瞳さん……」

「今度、あのフレッシュの記者が襲ってきたら、絶対に跳び蹴りを食らわせてやるんだから!」

 瞳が実際に跳び蹴りをする姿が想像できた詩織は、「制服で跳び蹴りは止めておいた方が良いと思います」と押しとどめた。

「あはは、それもそうか」

 お互いにひと笑いした後、待ち合わせ時間と場所を決めて、瞳との電話は切れた。

 瞳には、本当の自分を洗いざらい話し、そして見せている。他の生徒には内緒にしていることも、瞳には、もう隠すことはない。

 瞳一人であるが、生徒の中にそんな人ができただけでも、詩織は、心が軽くなっている気がした。

 今朝、目覚ましを掛けるのを忘れて、朝寝坊したのも、その現れかもしれない。

 瞳とは、もっと早く知りあって、仲良くなれていたら良かったと悔やんでしまう詩織だった。



 昼間は、ずっとギターを弾いて過ごした詩織は、午後四時半頃、バイトのため、家を出た。

 カサブランカに着くと、今日も、椎名しいなが気怠そうにカウンターに立っていた。

 挨拶をして、カウンターの前を通り過ぎ、スタッフルームで店名入りエプロンを着けると、椎名の隣に立った。

「椎名さん、ありがとうございました」

「どうして、俺が桐野から礼を言われるんだ?」

 椎名は、本当に何のことか分からないようだった。

「フレッシュの記事のことです」

「……気にするなとは言ったが?」

「そうやって慰めてくれたことが嬉しかったんです。でも、もしかしてですけど、椎名さんは何かしらの手を打ってくれたのではないんですか?」

「しがない学生の俺に何ができるって言うんだ?」

「あ、あの、実は、前回のバイトの時、椎名さんがスタッフルームに引っ込んで、電話を掛けている間に、オーナーから、椎名さんのお父さんが講英社の社長をされているって聞いたんです」

「オーナーが?」

 椎名が少し呆れた顔をした。

「オーナーとは、昔から気が合って、お互いの家の話もしたからなあ。まさか、桐野にばらしていたなんて」

「そんなに秘密にしたかったことなんですか?」

「友人には誰にも言っていない。それは、桐野が昔の自分のことを秘密にしていることと同じだ。つまり、俺が何かしらの成功を手にすることができたとしても、結局、父親の力添えがあったのではないかと勘ぐられるのも鬱陶しいんでな」

「椎名さんが作った作品を見ると、そんなことなんて必要ないと、みんな、分かってくれますよ。少なくとも、私は、そう思ってます」

「桐野がそう思ってくれるだけで、ありがたいよ」

「それで、椎名さんは、お父さんに何か言ってくれたんですか?」

「もし、俺が桐野のために何かしたと分かったら、桐野は、俺に何か恩返しでもしてくれるのか?」

「とりあえず、感謝の気持ちを伝えたいです」

 即座に答えた詩織に、椎名は、呆れ気味な顔を見せた。

「……やれやれ。やっぱり、桐野は純粋で、俺は歪んでるな」

「はい?」

「何でもないよ。確かに、あの時、親父に桐野の写真のことを頼んだよ」

「やっぱり! もっと正面から撮られた写真もあったはずなんですけど、掲載されていたのが、私の顔が分からないものだったので」

「今まで、まったく消息が分からなかった桜井瑞希に出会えたんだ。そんなニュースバリューの高い記事を掲載するなとは、いくら社長でも言えないが、写真の差し替えならと願いを聞き入れてくれたんだ」

「どうやって説得されたんですか?」

「説得はしていない」

「はい?」

「言うなれば脅迫かな」

「えっ?」

「実は今、俺は、桜井瑞希と知り合いになって、その居場所も知っている。自主制作映画の作製のため、街でたまたまスカウトした女性が桜井瑞希だったんだと嘘を吐いた。しかも、昔と変わらないその可愛さに我慢できずに、その体も奪ったともな」

「……」

「東京にはな、青少年育成条例というのがあって、将来を誓いあった仲でない限り、成年者が十八歳未満の者と性交渉を持つことは犯罪とされている。桜井瑞希は、まだ、十七歳だよな?」

「は、はい」

「だから、俺は、その犯罪者になってしまった訳だが、桜井瑞希の顔写真が出回ると、他の週刊誌も一斉に桜井瑞希を追い掛けるだろう。そして、いずれ、その居場所があぶり出されて、取材を受けた桜井瑞希の口から俺の犯罪が明らかにされる恐れがある。それでも良いのか? と脅した訳さ」

 大手マスコミの、それも社長の息子が淫行で逮捕されるなど、洒落にもならないし、社長としての立場も危うくなる。

「ど、どうして、そんなことを?」

「そもそも、なぜ、俺が桜井瑞希のことで申し入れをするのか、俺と桜井瑞希との接点やその理由が必要だろ?」

 自虐的な笑みを浮かべた椎名が詩織を見た。

「いかに元アイドルとはいえ、今は、芸能界を引退した、ただの一般人の顔写真を無断で掲載して良いのかということは、写真を差し替える理由として成り立つが、それをなぜ、俺が申し入れるのかの理由がない」

 いかに高尚な正義感に駆られたとしても、自分とは関係のない雑誌の編集内容に口を挟むことなどできない。その写真が掲載されることで、災厄が自分に降り掛かってくるかもしれないから、椎名の父親も椎名の願いを聞き入れてくれたのだ。

「でも、そのために、椎名さんがそこまで自分をおとしめることはないですよ!」

「貶めてなどいないさ。父親の俺に対する評価なんて、最初からそんなもんだよ」

「でも!」

「桐野が気にすることじゃない。それでも気になるというのなら、さらにバンドに打ち込んでくれ。そうしてくれることが、俺が願っていることだからな」

 詩織の目から涙が溢れてきた。

「ごめんなさい、椎名さん。私のわがままのために」

「おいおい! こんな所で泣くなよ」

 椎名が焦って店内を見渡したが、店内にいた数名の客は、お目当てのDVDを探していて、レジカウンターに注目している者はいなかった。

 椎名は、詩織の背中を押して、カウンターの正面から見ると自分の影になるように、カウンターの奥に向けて詩織を移動させた。

 そして、椎名は一人、カウンターに向き直った。

「俺は、桐野がわがままだとは思っていないぜ」

 椎名の背中を見るように立っている詩織に、椎名は、振り向くことなく、背中越しに言った。

「それに、いつも一生懸命な桐野を応援したいと思っているのは、俺だけじゃなくて、きっと、バンドのメンバーもそうだろう」

 客が一人、いくつかDVDのパッケージを持って、レジカウンターに向かって来ているのが見えた。

 泣いているのを見られないように、詩織は振り返って、カウンターに背中を見せ、カウンターの奥に置いている返却用籠の整理をしているフリをした。

 椎名がレジを済ませて、客が店から出て行ったのを確認してから、詩織は振り向き、椎名の背中を見つめた。

 瞳も、「詩織が困っていることがあれば何でもする」と言ってくれた。

 バンドのメンバーも、詩織を慰めてくれて、力づけてくれた。

 そして、椎名も、父親に嘘を吐いてまで、詩織が桜井瑞希だとばれることを防いでくれた。

 それは、詩織のバンドへの熱い気持ちを、みんなが応援してくれているからだ。

 だから、椎名が言ったみたいに、自分がバンド活動に向けて邁進することが、その気持ちに応えることだと、詩織は思った。

「椎名さん。私、頑張ります!」

「ああ」

 もし、みんなが、将来、困ることがあれば、自分が出来ることをして、せめてもの恩返しをしようと、詩織は、心の中で誓った。


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