Act.062:気持ちを伝えるだけで
ライブがあった翌日の日曜日。
その日は、ライブ後、初めてのバイトの日だった。
ライブ前に、椎名から、「ライブが終わったら話がある」と言われていたこともあり、詩織は、少し緊張しながら、カサブランカに向かった。
カサブランカに入ると、椎名は、いつもどおりに眠そうな顔をして、レジカウンターに立っていた。
「こんばんは」
詩織が椎名に挨拶をすると、椎名は右手を怠そうに上げた。
詩織が、スタッフルームで店名入りエプロンを掛けてから、椎名の隣に立つと、椎名から話し掛けてきた。
「桐野、昨日はお疲れ。良かったぜ」
「あ、ありがとうございます」
「やはり、客がいると、メンバーの盛り上がり具合も全然違うな」
「それはそうですね。お互いに触発しあって、気分が高まっていきますから」
「そうだな。客席の後ろで見ていて、それは実感した。それで、桐野」
「は、はい」
早速、本題に入るのかと思って、詩織は、うわずった声で返事をしてしまった。
「何だ? 虫でもいたのか?」
「い、いいえ。な、何でしょう?」
「ライブを撮影した映像だが、前回と同じように、今、編集をしている。PAを通じた音源を玲音から送ってもらう予定なので、それと同期することも併せてする予定だ」
「あ、ありがとうございます」
「せっかくの初ライブの記念なので、いろいろと手を加えたいとは思っているが、いかんせん、ハンディカメラの映像も、客席やステージを自由に動けずに、客席の後ろから、ズームインやズームアウトを繰り返して撮っただけだから、素材としてはPVの時より寂しいものにならざるを得ない」
「それは仕方ないですよ」
「しかし、学芸会の記録映像程度にしかならないことが、俺的には残念至極なんだよ。できれば、前回のPVのように、自由に撮れる環境で、桐野達のライブ映像を撮りたいと考えているんだ」
「メンバーで、また、話してみますね」
「ああ、そうしてもらうとありがたい」
椎名はそう言うと、詩織から視線をはずして、正面を向いた。
店内に客はおらず、二人はレジカウンターの中で手持ちぶさたの状態であった。今なら、いくらでも話ができるはずだ。
「あ、あの、椎名さん」
「うん? 何だ?」
椎名は、カウンターに両手を着いたまま、首だけを捻って、詩織を見た。
「お話はそれだけですか?」
「はあ? 何のことだ?」
あれだけ思わせぶりなことを言っておきながら、とぼけているのだろうか?
「確か、ライブの前に、私に話があるとおっしゃっていましたけど?」
椎名は少し気まずい顔をした。
「憶えていたのか?」
「はい。その話って、何ですか?」
詩織は中途半端な状態に置かれることが嫌いだった。それが、「思ったら即実行」という、詩織の行動原理の源でもあった。
椎名は、しばらく、顔を伏せて考え込んでいるようであったが、顔を上げると、体ごと、詩織の方に向いた。
「桐野」
「はい」
「桐野と一緒にバイトをしだして、三か月ほどになるな」
「そうですね」
「俺は、女子高生という生き物にも、桜井瑞希というアイドルにも興味はない」
「……」
「しかし、桐野詩織というバイトの同僚には、少し興味がわいてきている」
「……」
「それは、素晴らしいミュージシャンという点でもそうだが、こうやって話をしている時に感じる、不思議と心地良い感覚についてだ」
「……」
「俺は、きっと、桐野のことが好きになっている」
予想していたことだが、面と向かって言われると、何と返事をしていいのか、思い浮かばなかった。
「そして、桐野の頭の中にある俺は、映像関係に詳しい、バイトの同僚という認識でしかないことも分かっている」
「そ、それは」
「違うのか?」
「い、いえ、……そうです」
「まあ、これが告白というのであれば、そうなのかもしれないが、桐野の返事も分かっている。それに、桐野には、今、目指さなければならないことがあり、俺がそれを邪魔することはできない。だから、今、俺が言ったことは、俺の独り言だと思ってくれ。俺の気持ちはそうだと知っていてくれれば良い」
「分かりました。……という返事で良いんでしょうか?」
「ああ。俺は、今までどおり、桐野とつきあいをさせてもらうつもりだ。今以上のつきあいにするのも、つきあいを止めるのも、桐野が決めたら良い。俺は、素直にそれに従うし、変に桐野を恨んだり、つきまとったりしない」
「……」
「悪かったな。桐野を嫌な気持ちにさせたかもしれない。桐野から何も言われなかったら、このまま、何も言わずにおこうと思ったのだけどな」
「何も言われずに悶々としている方が、気持ちが良くないです」
「それも、桐野らしいな」
「でも、どうして、あの時は話があるって?」
「あの時は、桐野に俺の気持ちを分かってほしかった。しかし、桐野のライブを見て、桐野は、俺なんかが独り占めできるような存在ではないと思い知らされたんだ」
「そ、そんなことは」
「いや、そうなんだ。元人気アイドルだったってこともそうだが、桐野には人を惹き付ける魅力がある。それは間違いない。それに、あの歌声が加わったんだ。俺は、桐野のバンドは絶対に成功すると確信している。そんな桐野の輝かしい未来を、俺が邪魔することなんてできないからな」
「……あ、あの、椎名さんのお気持ちは分かりました。私も今までどおりのおつきあいをさせていただきます」
「これからもよろしく頼む」
「こちらこそです」
「俺の言ったことは、玲音達にも言ってもらって良い。俺も桐野と同じで、隠し事をするのもされるのも好きでないのでな」
「分かりました」
ドアが開いて客が入って来たことから、詩織と椎名は話を止め、詩織は返却されたDVDを元に戻す作業を始めた。
そして、その翌日の月曜日。
練習後の奏屋で、詩織は、昨日、椎名から言われたことを、正直にメンバーに話した。
「へえ~、椎名がねえ」
玲音は、それほど驚いているようではなかった。
「まあ、何となく、そんな気はしていたけどな」
「私達も虜にしている詩織ちゃんなんだから、椎名さんのような人は、これからも出てくるわよ」
奏は、椎名がタイプの男性で、キスまでされたが、椎名の興味は自分には向いてないと分かっていたようで、今は、椎名に対して特別な感情までは抱いていないようだ。
「私は、まだ、男性とおつきあいするつもりはありません。だって、今は、バンドに夢中なんですから!」
「おシオちゃんって、男が嫌いって訳じゃないんだよね~?」
琉歌がそう思うのも無理はなかった。
中学時代には、母親によって「隔離」されていたし、高校は女子校だし、バンドデビューを夢見ながら一人で練習をしていて、男性とつきあったこともない詩織は、男性に対する免疫はできてなかったが、普通に男性が恋愛の対象だった。
「えっと、少し苦手意識はありますけど」
「じゃあ、ボクがおシオちゃんの恋人になれる~?」
また、琉歌の百合攻撃が始まった。
「あ、あの、皆さんは大好きですけど、恋愛の相手としては対象外ですから」
「え~、そうなの~?」
琉歌が残念そうな顔をした。
「る、琉歌さんって、実は、そうなんですか?」
「あははは、おシオちゃんなら抱かれても良いって思ってるよ~」
「そ、そうなんですか?」
そういえば、琉歌は、まだ処女だと言っていたし、玲音と奏がする恋愛話にも乗ってこないし、男性と話をすることも苦手だとも言っていた。
ひょっとして、ガチな百合なのだろうかと思ったが、すぐに玲音が否定した。
「琉歌も、昔は男とも普通に話せていたんだけど、まあ、いろいろとあって、今は、男とつきあうことが苦手になっているだけだよ」
「そうなんだ~。それに、ボクも今は、バンドのことで頭がいっぱいだから~。あっ、イルヤードのことも少しね~」
琉歌自身もそう言って、百合であることを自ら否定した。
「私もしばらく男は良いかな。バンドを頑張って、自分にもっと自信が付いてから考えてみるわ」
玲音曰く「男運が避けて通る女」こと奏も、以前のように、焦って、男を漁ることはなくなっていた。
「じゃあ、『僕、奏さんのファンなんです! 僕とつきあってください!』って、イケメンが言い寄って来たら、どうするよ?」
「ま、まあ、その人次第かな」
「何だよ! 姿勢に一貫性がねえな!」
「いや、チャンスは逃さないようにしないとさ」
「そう言ってると、また、つまらない男に捕まったりするんだよ」
「そういう玲音はどうなのよ?」
「どうなのよって?」
「彼氏を作ろうとか思わないの?」
美形だし、背も高く、モデルのような容姿の玲音なら、彼氏の一人や二人いてもおかしくはなかった。
「残念ながら、彼氏にしたいような男はいねえな。ひょっとしたら、これからも現れないかもしれない」
「でも、この前の日曜日にはデートしてたって、琉歌ちゃんに聞いたわよ」
「息抜きだよ、息抜き。それに本命じゃねえから。アタシが言ってる彼氏とは、本命のことだから」
「じゃあ、日曜日に会っていたのは、キープ君とかアッシー君とかなの?」
「いつの言葉だよ? 死語じゃね、それ?」
「えっ、もう?」
「とにかく、今のアタシの目の前には、彼氏にしたい男はいないんだ。でも、良い男がいたら、とりあえず、遊ぶぜ」
「玲音みたいな考え方ができれば、私ももっと身軽になれるんだろうな」
「別に、アタシみたいな生き方が良いとは限らないよ。奏には奏に合った生き方があるんじゃね? 無理に人に合わせることないって」
「それもそうね。いつになく良いこと言うじゃない、玲音」
「いつになくって何だよ! この歩く名言辞典のアタシに向かって」
「あんたが名言辞典なら、私は神の言葉を集めた福音書ね」
「失恋の神様のだろ?」
「……反論できない」




