Act.060:ファーストライブ!
二番手のバンド「ゆきらっこ」のメンバーが楽屋に下がってきた。
「お疲れ様です!」
クレッシェンド・ガーリー・スタイルのメンバーがねぎらいの言葉で迎えた。
「ありがとう! 客席で聴かせてもらうね」
ゆきらっこのメンバーからの激励を背中に受けて、詩織達はステージに出た。
非常灯程度の明るさの光が天井から降り注ぐ薄暗いステージで、メンバーはセッティングを始めた。
客席を見ると、隣の人と肩が触れあう程度にぎっしりと埋まっていて、最初に演奏したマーマレード・ダンスの時よりも明らかに人数が増えていた。PV動画を見て、自分達のライブを目当てに来てくれた人がいるのかもしれない。
椎名が、客席の最後尾で、ビデオカメラをセットした三脚を立てて、その横に立てた低い脚立の上に立って、手持ちのビデオカメラをチェックしていた。
そんな周りの景色を見る余裕があることに、詩織自身が驚いた。
さっきのリハーサルで、バンドとして初めてステージで歌い演奏することへの不安も吹き飛んでいたし、自分達の曲がどう評価されるかについても、今さら心配しても仕方がないという気持ちになっていた。
いつもどおりの自分でいよう!
そんな気持ちでいられた。
メンバーを見渡した。
大丈夫だ。みんな、いつもの表情だ。
PAブースの横には、榊原の顔も見えた。榊原の隣には、ヘブンズ・ゲートのマスターもいた。以前に見た時と同じエビス顔であったが、その眼光は鋭かった。
「じゃあ、行くぜ」
玲音がメンバーだけに聞こえる声で囁くと、全員が大きくうなずいた。
琉歌のカウントが響く。
オープニングは、アップテンポでノリノリのロックナンバー「ロック・ユー・トゥナイト」だ。
曲が始まると同時に、ステージの照明が灯る。
イントロの短いギターソロが終わると、詩織のボーカルが入る。少し低めの音域から始まり、サビに入ると一気に高音でたたみ掛ける。
最初は、リズムに合わせて、肩を揺らしていた観客だったが、一番が終わり、ベースとドラムがオフになって、ギターのカッティングだけになる箇所で、玲音がリズムに合わせて拳を突き上げると、最前列に立っていた観客が煽られて、拳を振り上げたまま、体を上下させだした。
二番が終わると、ハモンドオルガン音色のキーボードソロで、奏が観客を唸らせた。
そして、三番のサビが終わると、最後は詩織のギターソロ!
早弾き、ライトハンドとさまざまな技を駆使していると、隣にやって来た玲音が「前に出ろ」と目で話し掛けてきた。
玲音と一緒に、詩織がステージの最前列まで出てくると、観客のボルテージは既に最高潮に達したようで、前列だけではなく、客席全体が波のように揺れた。
最後は、ドラムを連打する琉歌のタイミングに合わせて、ギターをかき鳴らし、ジャンプをして曲が終わった。
客席からの大きな歓声に包まれて、詩織は涙が出て来てしまった。
観客に見られないように後ろを向くと、大きく肩で息をしている琉歌と目が合った。
琉歌が両手でピースサインをしてくれたのを見て、詩織は笑顔を琉歌に返すと、汗を拭くような仕草で、涙も一緒に拭った。
「どーもー! クレッシェンド・ガーリー・スタイルでーす!」
玲音がMCを始めた。玲音の声もうわずっているようではなく、それがまた、詩織を落ちつかせた。
「アタシらは、この四月に結成したばかりで、今日がこのバンドとしては初ライブなんだ! 思いっ切りやるから、みんなも楽しんでいってよ!」
玲音のMCに答えるように、客席から歓声が上がった。
「ありがとう! じゃあ、次の曲、行きます! まずはポップな曲で『扉を開いて』! 続けて同じくポップな雰囲気で『君の空の下』! 二曲続けて聴いてください!」
一曲目の「ロック・ユー・トゥナイト」と違い、ポップな二曲では、詩織もパワフルではあるが、可愛げのある声で歌った。アイドル時代の声に似ているところがあるかもしれないが、今の詩織には、昔の自分のことがばれたらどうしようなどという不安は居場所をなくしていた。どの曲も観客の反応は良く、その反応に詩織も触発されて、さらに演奏と歌に集中していくという好循環で、ステージも客席も更に盛り上がっていった。
その二曲が終わると、玲音のMCがまた入った。
「ここで簡単にメンバー紹介をするぜ!」
玲音が、誰から紹介しようかという風に、ステージを見渡した。実際、メンバーは紹介される順番を聞いていなかった。
「まずはキーボード! いつもは、この池袋にある山田楽器でピアノの先生をしてるから、どこかで顔を見たって人もいるんじゃないかな? うちのオリジナル曲にキラキラとした彩りを付けてくれる素晴らしいキーボーダー! 藤井奏!」
奏が、少し照れながらも、丁寧にお辞儀をした。
「次はドラム! アタシの妹なんだけど、もう十年近く一緒にバンドをやってきてる! アタシとは切っても切れない最強のパートナー! ドラムス、萩村琉歌!」
琉歌は座ったまま、得意の両手ピースをした。
「次は、アタシ! 知ってる奴は知ってる! 知らない奴は知らない! ベース命の玲音様とはアタシのことだ! ベース! 萩村玲音! よろしく!」
両手を挙げて、ゆっくりとステージの最前列まで進み出て歓声に応えた玲音は、すぐにマイクの位置まで戻った。
「さあ、待たせたな! 今日、うちのボーカルの歌でノックアウトされた奴! 正直に手を上げろい!」
客席のほぼ全員が歓声を上げながら手を上げた。
「そうだろ、そうだろ! うちの最終兵器にして最強歌姫だからな! もちろん、ギターもすげえだろ!」
天才的とも言える玲音の煽りで、客席からは「早く紹介しろ!」というヤジまで飛ぶ始末であった。
「慌てるなよ! じゃあ、行くぜ! ギター&ボーカル! 桐野詩織!」
一段と大きな声援で会場が満たされた。アイドル時代とは違った感動に包まれながら、詩織はお辞儀をした。
一気に盛り上がった客席だったが、玲音が「押さえろ」というジェスチャをして落ちつかせた。
「じゃあ、次の曲は、もしかして見てくれた人もいるかもしれないけど、動画で上げていた曲をするぜ」
大歓声が上がった。
「その後には、続けて、ノリノリのラストナンバー『シューティングスター・メロディアス』をやるから、最後は一緒に暴れようぜ!」
会場からは、「もう終わりかよ」という声も聞こえた。
「それじゃ、うちの歌姫が心を込めて歌うから、じっくりと聴いてくれ! 『涙にキスを』!」
照明が落ちたままのステージで、イントロのピアノが流れ始めた。
客席は一転、シーンと静まりかえった。
歌の始まりとともに、スポットライトが詩織に当てられたが、詩織は目を閉じ、既に曲の中に入り込んでいた。
最初は囁くような歌声、Bパートから徐々に感情が昂ぶってくるように歌い込み、サビでは、詩織の実力をこれでもかというくらいに見せつける圧巻の歌唱力で、息を飲んで聴き入っているような静かな客席に、詩織の歌声がクリアに響いた。
気持ちの昂ぶりは、詩織に、また、涙を溢れさせたが、今度は涙を拭うことすら忘れて、詩織は歌った。
――気持ちを込めて。感情を抑えきれずに。
最後は、美しいビブラートを残しながら、詩織の声が客席の中に溶けていった。
少し間が開いて拍手が起こった。詩織が目を開けて客席を見ると、何人かの女性客が目頭を押さえているのが見えた。
自分がこの歌に込めた感情をそのまま伝えることができたと思った詩織は、また、涙が溢れてきた。
しかし、ライブは待ってくれない。琉歌がアップテンポでカウントを取ると、ラストナンバー「シューティングスター・メロディアス」が始まった。
詩織は、頭を思い切り振って、涙を吹き飛ばすと、気持ちをトップギアに切り替えた。
客席を大興奮のるつぼにして、クレッシェンド・ガーリー・スタイルの初ライブは終わった。
合同ライブなので、アンコールは無しだったが、客席の歓声は鳴り止まなかった。
メンバーが楽屋に下がると、次のバンド、「アンドロメダ・センチュリー」が「お疲れ!」と詩織達を出迎えてくれた。
カホが呆れ顔で「やってくれたね。出にくいったらありゃしない」と玲音に言うと、玲音は「悪い悪い」と、全然、悪びれてない様子で謝った。
アンドロメダ・センチュリーがステージに出た後、次のバンドが楽屋に入ってくるまでに、すばやく後片付けを終わらせて、楽屋から控えの間に出た。
「会場には戻らない方が良いな」
玲音がみんなを見渡しながら言った。
「そうね。特に、詩織ちゃんがもみくちゃにされそうで心配だし」
「そうだな。一旦、外に出よう」
メンバーは店の出入り口のドアを開けて階段を昇り、夜の池袋の街に出ると、そのまま池袋駅の西口公園に行った。
全面にタイルが敷き詰められ、ところどころに木が植えられている都市公園で、人はそれなりにいたが、広い園内に適度にばらけていた。
詩織達は、自動販売機で好みのジュースを買い込むと、玲音が先頭に立って、園内でも人が少ない場所まで行き、腰を掛けたり、もたれ掛かったりできる柵にベースを立て掛けた。あとのメンバーもそれにならい、楽器を立て掛けると、その柵にもたれ掛かるようにして、琉歌、詩織、奏、玲音の順に、横一列に並んで立った。
全員が脱力して、ジュースを飲みながら、ぼ~と夜の公園を眺めた。
「終わったな」
玲音がぽつりと呟いた。
「終わったわね」
奏が続けて呟いた。
「どうだった?」
「面白かったわよ」
玲音は、詩織と琉歌には「どうだった?」とは訊かなかった。奏の言葉が全員の気持ちを代弁していた。
詩織は、今まで張りつめていた気持ちが次第に解けてきているのに気づいた。そして、それとともに、また、涙が溢れてきてしまった。隣にいた奏が気づいて、無言で詩織を抱きしめてくれた。
それを見て、玲音と琉歌が、それぞれ、詩織と奏の肩を抱くようにしてに、詩織と奏を包み込んだ。
アイドルを辞めてからの二年間、一人で黙々と練習をしていても辛いと思ったことはなかったが、追い掛けてきた夢に手が届く所まで来ることができた詩織の目からは、知らず知らずの間に溜まっていたその二年分の思いが、涙とともに止めどなく溢れてきていた。




