Act.059:楽屋裏でのカウントダウン
ヘブンズ・ゲートの楽屋は、それほど広くはなく、一つのバンドが入れば満杯なので、次に出演するバンドが順番に入るようになっていた。
三番目に出演するクレッシェンド・ガーリー・スタイルのメンバー四人と、四番目に出演するアンドロメダ・センチュリーのベーシストであるカホは、リハが終わってから、最初のバンドの開演時間までの間、近所のハンバーガーショップに入り、小腹を満たしていた。
「しかし、驚いたよ。おシオちゃんだっけ? 玲音から話は聞いていたけど、すごいね」
カホが、斜め横に座っている詩織に人懐っこい笑顔を向けて言った。
「だろ? これまで不遇なバンド人生を送ってきたアタシと琉歌に、神様が贈りたもうた奇跡の歌姫だよ」
「玲音さん、大袈裟ですよ」
自分のことを褒められると照れてしまう詩織が、顔を赤くして言った。
「いやいや、『奇跡の歌姫』ってことには納得しちゃったよ」
カホも詩織のボーカルにはノックアウトさせられたようだ。
当の詩織は腕時計を頻繁に見ていた。
「緊張してるの?」
カホが詩織に訊いた。
「い、いえ、最初のバンドさんのライブを見たいなって思ってて」
「最初って、マーマレード・ダンスだよね?」
「そこのギタリストが、ちょっと気になっててさ」
玲音が話を引き継いで、カホに言った。
「リッカのこと?」
「そうそう! その『リッカ』な」
「ひょっとして、メンバーに加えようと思ってんの?」
「いやいや。アタシらは、この四人がちょうど良いんで、他にメンバーを入れるつもりはないんだけどね」
「ふ~ん。しかし、あの玲音が丸くなったもんだね。いつもメンバーと喧嘩をしちゃ、私のところに愚痴の電話してきてたのにさ」
「あはは、ごめんよ。ほんと、カホには感謝だよ」
「カホさんと玲音は、本当に気が合いそうね」
奏が言うと、カホは微笑みながら奏を見た。
「玲音とは電話でよく話をするんですけど、今は、だいたい、奏さんのことを聞かされていますよ」
奏がすぐに玲音を睨んだ。
「また、私のことを面白おかしく話してるんでしょ?」
「あはは、それはそうですけどね」
玲音の代わりにカホが答えた。
「でも、私も玲音とのつきあいは長いですけど、奏さんみたいな人は初めてですよ」
「えっ、それはどういう意味でしょう?」
「人のちょっとした言動に、すぐ腹を立てる気の短い玲音が、このメンバーのことで怒ってるのは聞いたことないですし、何よりも、奏さんのことを話す時の玲音って、すごく楽しそうなんですよね」
「カ、カホ! そんなことはねえだろ!」
「そんなことあるよ。私、憶えてるんだよ。いつだったか、玲音が『お姉さんが欲しい』って言ってたこと」
「そ、そんなこと言ったっけ?」
「うん。私にはお姉ちゃんがいるから羨ましいとも言った。だから憶えてるの」
「……」
「奏さんは念願のお姉さんなんでしょ?」
「ち、違うし! 同じバンドメンバーだし!」
こんなに焦った玲音を見たのは初めてだった。
しかし、カホの指摘は当たっている気がした。玲音が奏にちょっかいを出すのは、年上の奏に、実は甘えているのではないかということだ。
「あっ、もう本当に始まっちまう! 行こうぜ!」
この話題を打ち切るためか、玲音は腕時計を見ながら席を立った。
ヘブンズ・ゲートに戻り、バックステージパスで客席に入ると、思っていたより多くの観客で埋まっていた。
「これも玲音達の動画のせいじゃない?」
「どうかな? それはそうと、カホ」
「何?」
「あの『リッカ』て、ギタリストのこと、知ってんのか?」
照明が落ちたステージで、今まさに演奏を開始しようとしているマーマレード・ダンスのギタリストを見ながら、玲音がカホに訊いた。詩織もカホの返事に聞き耳を立てた。
「杉林律花っていう子で、私らより二つ下だから、琉歌ちゃんと同学年かな」
「へえ~、一緒にやったことあるのか?」
「セッションで何度かね。あのギターは、確かに、ちょっと魅力だよね」
「カホもそう思ってるんだ」
「もちろん! でも、誰が付けたか、『サイレント・デストロイヤ−』、『静かなる破壊者』って呼ばれてるよ」
「何だよ、それ?」
「彼女はいつも物静かで、強引に我を通したり、人に文句を言うような子じゃないんだけど、不思議と彼女が在籍したバンドは、すぐに解散しちゃうらしいんだ」
「そ、そんな、あだ名がある奴をバンドに入れるのは、勇気がいるな」
「ちなみに、あのマーマレード・ダンスも今日がラストライブらしいよ」
「マジで?」
「ええ、あそこのベースさんともちょっと話したんだけど、メンバー間の音楽性の違いからなんだと。でも、律花はそこでも、どのメンバーに付くということもなく、中立だったらしいけどね」
カホがそこまで話すと、ステージが明るくなり、マーマレード・ダンスのライブが始まった。
前回、ここで演奏を聴いた時より、バンド全体として粗い演奏だったが、カホの話を聞いていると納得できた。バンドの音自体は、既にバラバラに「解散」しているのだ。
しかし、それでも律花のギターは、さすがとしか言いようがないほど、良い音色とメロディを響かせていた。
マーマレード・ダンスのステージが終わると、二番手のバンド「ゆきらっこ」がステージで準備を始めた。それを見て、詩織達は楽屋に向かった。
楽屋は、一旦、客席から出て、店の出入り口との間にある細長い中間の部屋の奥にあった。
詩織達が楽屋に入ると、今、ステージを終えたばかりのマーマレード・ダンスのメンバーが楽器をケースに仕舞っているところだった。
「お疲れ様です!」
玲音がマーマレード・ダンスのメンバーに声を掛けると、「ありがとう!」、「頑張って!」と声を返してくれた。
「演奏を楽しみにしてますよ」と、マーマレード・ダンスのリーダーらしき男性ギタリストが詩織達に声を掛けて楽屋を出て行くと、他のメンバーが跡に続き、最後に、律花が出て行こうとした。
「あ、あの、素敵な演奏でした!」
感動を自分の中に仕舞っておくことができない詩織が、思わず、律花に声を掛けてしまった。
律花も声を掛けられるとは思っていなかったようで、驚いた表情で詩織を見つめた。
「どうも」
それだけ口にすると、律花は楽屋から出て行った。
「本当に物静かな人ね。玲音も少しは見習ったら良いのに」
「いやいや、待ってよ。口数の多さなら、奏の右に出る者はいねえだろ? うちのバンドでは」
「というか~、おシオちゃんやボクが話す隙すら与えてくれないもんね~。二人が~」
琉歌の言葉に反論できない玲音と奏であった。
そんな、みんなの様子に、詩織も、ぷっと吹き出してしまった。
「皆さん、本当に、いつもどおりですね」
これから初ライブだというのに、まったく緊張感のないメンバーに、詩織は安心をし、そして安心をもらった。
「そういう詩織ちゃんはどうなの?」
「さっきのリハで吹っ切れました。私もいつもどおりですよ」
「そうこなくっちゃ! まあ、悔いが残らないように、思い切りやろうぜ!」
玲音がメンバーに活を入れたところで、楽屋のドアがノックされた。
「どうぞ~」
玲音が声を掛けると、榊原が入って来た。
榊原は、まっすぐに奏の前に進み出た。
「こんにちは、先生」
「こんにちは、榊原さん。見に来ていただけたんですね?」
「もちろんですよ! 藤井先生のバンドというだけでも楽しみですが、あの動画を見て、これは絶対に見に行かなくてはと思っていましたからね」
「ありがとうございます」
奏は、いつもの常識社会人の顔と所作で、綺麗にお辞儀をした。
そんな奏にお辞儀を返した榊原は、顔を上げると、詩織を見つめた。
「この子がボーカルさんですね。動画では背中しか見えなかったので」
「彼女は、まだ高校生で、バンドをやっていることは学校に内緒にしているものですから、ああいう撮り方をしたんです」
「そうですか」
奏の説明に、榊原はあっさりと納得したようだ。
また、ドアがノックされた。
玲音が「どうぞ」というと、今度は、椎名が入って来た。カメラが入っているであろう、大きなケースを提げていた。
「あっ、お客さんでしたか?」
榊原を見て、椎名は楽屋から出ようとしたが、榊原の方が「私の用事は終わりましたから、どうぞ」と椎名に言って、楽屋から出て行った。
「良かったのか?」
椎名も人並みには気を使うのだなと、詩織も感心をした。
「ああ、音楽芸能事務所の人で、アタシらのライブを見に来たって言いに来ただけだよ」
「音楽芸能事務所? 早速、デビューが決まったのか?」
「まだだよ。それに、今日のライブは三十分しか演奏しないんだ。アタシは、単独ライブを張れるようにならないと、バンドとしては一人前だとは思ってないから、それからでも遅くはないかな」
玲音が椎名に言ったことには、メンバーは誰も言葉を挟まなかった。詩織もそうだが、琉歌も奏もそういう考えなのだ。
「それじゃあ、今、演奏しているバンドが終われば、客席の後ろにカメラをセットする。ライブハウスの許可は得ているんだよな?」
「もちろん! 今日も頼むぜ、椎名!」
「任せてくれ。じゃあ、みんなはライブを思いっきり楽しんでくれ」
「言われるまでもないさ」
椎名が楽屋を出て行った。
詩織は、このライブが終われば話があると、椎名に言われたことを思い出したが、今は、ライブのことだけに集中することにした。もっとも、ステージとはアコーディオンカーテンで仕切られているだけの楽屋には、客席の歓声がダダ漏れで、それは、詩織の頭からいろんな雑念を追い出してくれた。
ひときわ大きな歓声が上がり、前のバンドのステージが終わったことを教えてくれた。
「よーし! じゃあ、行くぜ!」
玲音が右手を前に差し出すと、輪になったみんなが、それぞれ右手を差し出し、玲音の手の上に重ねた。
「アタシらのスタイルを見せつけてやろうぜ!」
「おー!」
合わせていた四つの右手が力強く振り下ろされた。




