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Act.058:夢への階段

 七月十二日、土曜日。

 まだ、梅雨が明けておらず、前日に降った雨で、アスファルトの道路のあちらこちらに小さな水たまりができていたが、厚い雲に覆われた空から雨は降っていない午後一時。

 クレッシェンド・ガーリー・スタイルのメンバーは、全員が楽器を携えて、池袋のライブハウス「ヘブンズ・ゲート」の前にいた。

 歌と演奏で勝負するということで、特にステージ衣装など用意してなかったメンバーは、それぞれ思い思いの服装で来ていた。

 詩織しおりは、西洋の古い街並みがプリントされた黒いTシャツに、下はロールアップしたダメージシーンズと黒いローカットバスケットシューズという、いつもの少年のようなファッション。

 玲音れおは、腕まくりしたロング丈のダンガリーシャツに、下は黒色のレギンズパンツとオペラパンプス。

 琉歌るかは、アニメ柄のTシャツに、いつものオーバーオールジーンズと黒いスニーカー。

 かなでは、白の半袖ブラウスに黒い膝丈のフレアスカート、黒いソックスに黒いヒールパンプスという、四者四様のスタイルであった。

「じゃあ、行こうか」

 玲音がメンバーに声を掛けて、最初に地下への階段を降りる。その後を琉歌が、続いて詩織が、そして最後に奏が階段を降りていった。

 一か月半前には、観客として降りていった階段を、今日は出演者として降りているのだ。メンバー全員が感慨深げな表情をしているのは当然だ。

 地下に降り立った所にある鉄製の扉を開けると、中に細長い中間の部屋があり、正面にある金属製の防音扉を更に開いた。

 窓のない店内は、照明が点いていても薄暗かったが、すぐに目が慣れた。

 営業中は、客席に一定の間隔で置かれている背が高い丸テーブルが、今は、すべて壁側に寄せられて、多くの人がフラットな客席に立っていた。

 みんな、楽器を抱えていて、今日、出演するバンドのメンバーだろう。

 ステージでは、ヘブンズ・ゲートのスタッフと思われる男性が、マイクチェックをしているところだった。

「おはようございます! クレッシェンド・ガーリー・スタイルです! よろしくお願いします!」

 玲音が客席にいた人に大きな声で挨拶をすると、みんなが会釈をしてくれた。

「玲音!」

 その人達の中から女性が一人、玲音に近寄って来て、玲音をハグした。

「今日はありがとう! 助かったよ」

「こっちこそ、渡りに船で、ありがたかったぜ」

 セミロングの髪も控え目な茶髪で、メイクもそんなに濃くはなく、普段着だろう服も街を歩くと普通に見掛けるパンツルックの、玲音と同じ年くらいと思われる女性が、詩織達に視線を移した。

「初めまして! アンドロメダ・センチュリーでベースをしてます、カホと言います」

「今回、このライブに誘ってくれた、アタシのダチだよ」

 玲音の紹介を受けて、詩織達もカホに「よろしくお願いします」と頭を下げた。

「いえ、こちらこそ助かりました。ライブまで一か月って時に、一緒に出るはずだったバンドが解散しちゃって、どうしようかと思ってたんです。でも、玲音が、最近、新しいバンドを始めたって聞いたから、ダメ元で連絡したら、出てくれるって言ってくれたんです」

「カホとは、本当に古いつきあいで仲が良いんだけど、いかんせん、二人ともベースだから、同じバンドでできないんだよな」

「本当だよ。ただでさえ、玲音と長くつきあえる人は少ないのにね」

「それを言うなって。でも、今のメンバーとは長くつきあえるはずだぜ」

「その話は何度も電話で聞いたわよ」

「そうだっけ?」

「バンドの皆さん! こちらに集合してください!」

 玲音とカホの話を中断するように、マイクチェックが終了したステージに一人の男性が立ち、マイクを持って、客席にいるバンドメンバー達に呼び掛けた。

 ステージ前に共演メンバー達が集まったのを確認すると、その男性は、お辞儀をしてから話を続けた。

「今回の合同ライブを企画したアンドロメダ・センチュリーのリーダーをしています、小島と申します。今回は出演をしていただきまして、ありがとうございます」

 小島は、今回の合同ライブを企画した経緯などを簡単に述べた後、出演するバンドを紹介していった。

「出演順に、お名前だけを紹介させていただきます。まず、トップバッターは、マーマレード・ダンス!」

 聞き覚えがあったバンド名に、詩織が一斉にお辞儀をした人達を見ると、あの「リッカ」という女性ギタリストもいた。

「二番手が、ゆきらっこ! 三番手が、クレッシェンド・ガーリー・スタイル!」

 玲音に併せて、詩織達もお辞儀をした。

「四番手が、我がアンドロメダ・センチュリー!」

 いつの間にか自分のバンドメンバーの所に戻っていたカホもメンバーと一緒にお辞儀をした。

「五番手が、R・E・K(アール・イー・ケー)! トリが、ビブラート・ホリック!」

 出演バンドが揃っていることを確認した小島は、会場を見渡しながら、話を続けた。

「本日、出演のバンドは、いずれもプロを目指しているバンドと聞いています。レベルの高いライブとなるものと期待をしています。熱く楽しく盛り上がりましょう!」

 最後はまるで、格闘技の入魂をされたかのように、バンドのメンバー達も拳を振り上げて雄叫びを上げた。

 早速、リハが始まった。

 最後に出演するバンドから順番に行われたが、客席に陣取っている共演バンドのメンバー達も、他のバンドの力量が気になるようで、ほとんどが居残って、敵情視察のように目をこらしていたり、ライバル心を剥き出しにしてステージを睨んだりと、さまざまであった。

 最初にステージに上がった、トリを務める「ビブラート・ホリック」は、男性二人がメインボーカルを務めるバンドで、その名のとおり、演奏というよりは美しい歌声を聴かせるバンドのようだ。とは言っても、バックの演奏技術もなかなかのものだった。

 五番手のハードロックバンド「R・E・K」のリハが終わると、玲音の親友カホがいるバンド「アンドロメダ・センチュリー」のリハが始まった。

 二人のキーボーダーがシンセサイザーを駆使して、幻想的な音を縦横無尽に飛ばし、今では死語となっている「プログレッシブ・ロック」のような雰囲気を持ったバンドだった。カホのフレットレスベースも滑らかに歌っているようであった。

「次! クレッシェンド・ガーリー・スタイルさん、お願いします!」

 ヘブンズ・ゲートのPAスタッフの指示で、いよいよ、詩織達のリハとなった。

「よし! 行こう!」

 自分に気合いを入れるように言った玲音に続いて、詩織は、客席から五十センチほど高くなっているステージに、三段だけの階段を昇って上がった。わずか三段だけだが、詩織にとっては、ずっと夢見ていた階段だった。

 エフェクターを噛ませてから、ギターアンプにラインをつなぐ。下げられていたアンプのボリュームをゆっくりと上げて、ひと鳴らしすると、愛器ストラトキャスターは、いつもどおりの音色を出してくれた。

 ステージ中央にセットされたメインボーカル用のマイクスタンドの前に立つ。客席では、今日が初ステージだというこのバンドがどんな演奏をするのか、共演者達が興味津々という視線をステージに送っていた。

 当然、メインに立っている詩織にもっとも注目が集まっている訳だが、おそらく、今日の出演者の中では一番若く見える、明らかに高校生にしか見えない詩織が、どれだけの演奏と歌を聴かせるのかに注目をしているようで、まさか、かつてのトップアイドルがそこに立っているとは誰も思いつかないだろう。

 詩織が左を向くと、そこには既に準備を終えている玲音がいて、詩織の視線に気づくと、右手の親指を立ててみせた。

 詩織は、それにうなずいて答えると、今度は後ろを振り向いた。

 琉歌は、シンバルの位置を調整していたが、詩織に気づくと、いつもの穏やかな笑顔で手を振ってくれた。詩織も笑顔を返した。

 一旦、前に向き直り、今度は右を向くと、そこには、立って演奏できる高さにセッティングされたキーボードがあり、奏も既に準備万端のようだった。

 奏が詩織を手招きした。

 詩織が奏の近くまで行くと、奏が「ちょっと緊張しちゃうね」と小さな声で言った。

 それは、嘘ではないだろう。ピアノ講師として、人前で演奏をすることは何度もしている奏だったが、バンドとして、ちゃんとしたステージで演奏するのは、高校の時以来だからだ。

「私もです」

 詩織も正直に言った。

「もっと大きなステージで何度もコンサートをしてたのに?」

「ステージに立つのは三年ぶりですし、それに、私達の歌が、バンド仲間の人達に、どんな受け取られ方をされるのかが、ちょっと不安です」

「そうだね。でも、大丈夫! 玲音だって、琉歌ちゃんだって、それに私も、詩織ちゃんの歌にはノックアウトされたんだから!」

「奏さん……」

「いつもの詩織ちゃんを見せつけてやりなよ!」

「はい!」

 詩織は、再び、センターに戻った。

 琉歌のセッティングも終わったようだ。

「では、クレッシェンド・ガーリー・スタイルさん、お願いします!」

 琉歌がスティックでカウントを取った。



 最初の曲は、アップテンポの「ロック・ユー・トゥナイト」だ。

 詩織は出だしをよく憶えていなかった。ほとんど無意識に演奏を始めたようだった。

 かといって、歌や演奏をしくじった訳ではなかった。現に今、詩織は、マイクに向けて、思い切りシャウトしている。ギターをかき鳴らしている。

 客席の共演者達が、目を見開いて、詩織を見ているのが分かった。小さな女の子から発せられる声のパワーに、度肝を抜かれたようだ。

 もちろん、そのボーカルに力を与えているのが、バックの演奏だ。

 安定しているが躍動感溢れるリズム隊! 流れるようなキーボードの旋律! そしてキレの良いギター!

 それらが有機的に絡み合って、とてつもないエネルギーが発せられていた。

 曲の一番が終わると、玲音の合図で強制的に曲を終了させた。とりあえず、今日の演奏曲をすべてリハするつもりなので、すべての曲を一番のみ演奏する予定だった。

 客席から、パラパラと拍手が起きた。

 玲音が「ありがとう!」と礼を述べると、それに併せて、詩織もぺこりと頭を下げた。

「何、あのボーカル?」

「見た目と全然違うな」

「バックもすごくね?」

 客席から聞こえてきた囁きを打ち消すように、二曲目が始まった。


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