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Act.057:弱い自分をさらけ出せる関係

 ひとみから応募作品の原稿を受け取った日の翌日。水曜日。

 学校から帰った詩織しおりは、瞳から預かった小説原稿を一気に読み終えた。

 義務感とか責任感に駆られた訳ではなく、続きが読んでみたいという自然な気持ちに従っただけだ。

 ストーリーは単純だが面白かったし、文章もその意図する表現が理解できない箇所が数か所あっただけで、読むのに詰まることもなかった。

 ただ、詩織もそんなに多くの小説を読んでいる訳ではないので、それが応募作として注目されるものなのかどうかは分からなかったし、友人の瞳が書いているということで、無意識のうちにアドバンテージを与えていることは否定できないだろう。

 しかし、詩織は、評論家ではないのだから、自分の正直な感想を伝えようと思った。もちろん、瞳が求めている、耳の痛い感想も遠慮なく盛り込むつもりだ。

 ファンシーな絵柄の便せん一枚に、びっしりと手書きで感想を書き込んだ詩織は、それを同じ柄の封筒に入れ、封をした。



 次の日の木曜日。

 詩織は、昼休みに三年E組を訪ね、その教室の前の廊下で、瞳に便せんを渡し、原稿を返した。

「ありがとう、詩織!」

「本当に面白かったです。でも、ところどころ、気になった点もあったので、そのまま書かせていただきました。私のような素人の感想が、どれだけお役に立てるのか分かりませんけど」

「それが良いんだって。審査で読むのは専門の人だろうけど、最終的に小説を読むのは、一般の人なんだから、そういった人達にどれだけ受け入れてもらえるかは、大事なことだと思ってる」

「それもそうですね」

 それは、バンドの世界でも同じだ。バンド仲間や音楽評論家の評価が高いバンドが、必ずしも多くの人々に受け入れられるとは限らない。技術やセンスがどれだけあっても、一般の人に受け入れられず、商業ベースに乗れなかったら、プロとしては失敗なのだ。

「瞳さん。最終の推敲、頑張ってください!」

「うん! ああ、詩織!」

「はい?」

 踵を返して自分の教室に戻ろうとした詩織を瞳が呼び止めた。

「ねえ、今日の放課後、ひま?」

「今日ですか?」

「できれば、お礼をしたいなって」

「あ、あの、今日は、ちょっと用事があって……。お気持ちだけ受け取っておきます」

 今日はバンドの練習がある日だった。

「そうなんだ。残念。ひょっとして、デート?」

「ち、違いますよ! そんな男性はいません!」

「あはは。焦る詩織って、本当に可愛いなあ。だから、ちょっと、いじってみたくなるんだよね」

「瞳さん!」

 詩織が頬を膨らませて瞳を睨むと、瞳は詩織の頬を人差し指でつついた。

「ほらっ! その顔! 詩織は、めっちゃ可愛いんだから、男の人にそんな顔を見せてると、みんな、誤解しちゃうよ」

「えっ? 誤解って?」

「男ってさあ、喜怒哀楽を素直に見せる女は、自分に惚れてるって思うらしいんだよね。だから、詩織のさっきの顔を見ると、男はみんな、誤解して嬉しくなるんじゃないかな」

 詩織は、椎名しいなのことを思い出した。

 椎名は、たまに「その顔だ!」と言って、詩織を責めるような表情をすることがある。詩織は、今の瞳の話を聞いて、それは、もしかして、椎名が自分に恋愛感情を持っているのではないだろうかと思い至った。

 ライブが終わってからするといった椎名の話とは、ひょっとして、詩織に告白をするつもりなのではないだろうか? 

 そう思うと、俄然、ドキドキとしてきた。

 我ながら鈍感だと思ったが、正直、詩織にとって椎名は、頼りになるバイトの先輩であり、映像に関する知識や技術はリスペクトしているクリエーターであり、そして、今のところ、父親以外で、何の気負いもなく話せる唯一の男性である。確かにイケメンだが、それ以上でもそれ以下でもない。

 つまり、詩織は、椎名に対して恋愛感情というものを意識したことはなかった。だから、もし、椎名から告白されても、今はバンドのことで頭がいっぱいなのだから、交際をすることはできないと言って断ることになるはずだ。

 それに、椎名の話は必ずしも告白だとは限らない。椎名が目指す道に関して、詩織に何かしらの協力を求めてくるのかもしれない。

 とにかく、仮定に仮定を重ねて、一人で思い悩んでも仕方がない。今、集中すべきは、目前に迫ったライブのことなのだ。

 ライブが終わった後、椎名の話を聞いてから考えれば良いことだ。

「詩織!」

 瞳の声で我に返った詩織は、目の前で心配そうな顔をしている瞳と目が合った。

「どうしたの、何か考え込んじゃって?」

「ご、ごめんなさい! 何でもありません!」

「詩織も何か心配事があったら何でも相談して! 話を聞くことしかできないかもしれないけど」

「あっ、はい。ありがとうございます」

 瞳が、近くに誰もいないことを確かめるように、辺りを見渡してから、少し恥ずかしげな顔をして、詩織を見た。

「えっとさ、詩織」

「はい?」

 少しの間、視線が泳ぐように左右に振れ、言葉を絞り出すことを躊躇していた瞳だったが、おもむろに口を開いた。

「そ、その代わり、……私が何か相談したいことがある時には、詩織に相談させてもらって良い?」

「今、何か悩みがあるんですか?」

「ううん。今は、この原稿を仕上げることで、いっぱいいっぱい。だから、将来の話」

「分かりました。私も適切なアドバイスなんてできずに、話を聞くだけになるかもしれませんけど」

「詩織に話を聞いてもらうだけでも癒やされる気がする。でも、……こんなこと言ったの、詩織が初めて」

「そ、そうなんですか?」

「だって、心配事を相談するってことは、弱い自分をさらけ出すってことでしょ? 私は昔から弱い自分を見せたくなかった。だから誰にも頼ってこなかった。でも、本当は、すごく心細かったんだ。お兄ちゃんがすごく努力をして頼れる存在になってからは、少しは楽になった。そして今は、詩織がいてくれる。詩織になら、私のこと全部、さらけ出すことができる気がする」

 バンドのことや昔の自分のことを隠している詩織は、瞳の言葉に返事をすることができなかった。そんな詩織の様子を見て、瞳も申し訳なさげに微笑んだ。

「ああ、ごめんね。詩織に負担を掛けるようなこと言って」

「い、いえ。あの、私も瞳さんにすべてをさらけ出すことまではできていませんけど、いつかはできると思います」

「そうだね。詩織とそういう仲になれたら良いなって思う」

 詩織と瞳は、しばらく無言で見つめ合った。

「詩織! また、うちに来てね。お兄ちゃんの新作も目処めどが立ったみたいだし、そのうち、お兄ちゃんも少し余裕ができると思うからさ」



 そして、その日の夜。

 合同ではあるが、クレッシェンド・ガーリー・スタイルの初ライブを来週の土曜日に控えて、ビートジャムのスタジオに入ったメンバーは、いつも以上に気合いが入っていた。

 明日以降の練習日は、来週の月曜日と木曜日の二日しかない。本番前日の金曜日にも臨時練習を入れようかという話もあったが、それは取りやめた。

 メンバー全員が卓越した演奏技術を有しており、演奏面での問題点はこれまでの練習ですべてクリアされていて、あとはライブ当日の気持ちの持ち方次第ということで、意気込むことなく、普段の自分達をさらけ出すためには、特別なことはせずにライブに臨んだ方が良いだろうという玲音れおの提案に、全員が納得したのだ。

 今日は、ライブで演奏する曲の編曲アレンジの最終チェックをした。特に、バンドを結成してから全員が協力して作り上げた二つの新曲は、試行錯誤の結果、つい最近、編曲が確定したばかりで、それを実際に演奏して、おかしなところがないかを確認していった。

「うん! これで良いんじゃね?」

 ライブでの演奏曲をひととおり演奏し終えて、玲音が、みんなの顔を見渡しながら尋ねた。

「うん! 良い感じに仕上がったと思うよ」

 かなでもすぐに同意した。詩織と琉歌るかもだ。

「よっしゃ! じゃあ、来週は、通しリハをしよう」

「それより、玲音。MCは考えてるの?」

 普通、MCはメインボーカルが担当することが多いが、今回は、玲音が担当することになっていた。玲音と琉歌が以前に組んでいたバンドでは、玲音がずっとメインボーカルをしていて、MCにも慣れているとの、玲音の自己申告によるものだった。

「アタシって、細かいことが嫌いだからさ。何も考えていない」

「いやいや、ぶっつけ本番って大丈夫なの?」

「アタシもその場の雰囲気でしゃべっちゃうけど、何とかなるって」

「余計に心配になったんだけど」

「キーボード! 花婿絶賛募集中!って言い忘れないようにするから心配するな」

「それは言わなくて良いから! って、どこまで、そのネタを引っ張るのよ?」

「まだまだ使えそうだし」

「言っておきますけど、私も、今は結婚よりも、このバンドをどうやって発展させていくかという方に興味がわいてるのよ。だから、花婿募集中は、一時中断よ」

「全面中断じゃないんだ?」

「い、一応、逃げる先も確保しておかないとね」

「奏は冒険しないタイプだよな。椎名にも定職に就けって説教してたし」

「それはそうよ」

「じゃあ、この先、仕事はどうすんの?」

 玲音が少し不安げな顔をして訊いた。

「もちろん、バンドの活動を優先させるようにはするよ。それで会社に迷惑を掛けるようになるのなら、その時点で退職すると思う」

 玲音は、「そ、そうか」と言いながらも、すごく嬉しそうだった。

「まあ、このバンドで生活ができるようになることが前提だけどね」

「何だよ、そのロックミュージシャンにあるまじき生活感溢れる台詞は?」

「ロック魂だけじゃ、お腹は膨らまないの!」

「お姉ちゃんと奏さんなら、漫才コンビを組んで営業もできるんじゃない~?」

 琉歌の言葉に、詩織も吹き出しながら、納得してしまった。

「そうだな。いざというときにはそうするか? コンビ名は、カナ&レオとかどう?」

「なんでだろ~って? しないわよ!」

 相変わらずの玲音と奏だったが、来週に初ライブを控えているにもかかわらず、いつもの雰囲気であることが頼もしく思えた詩織であった。

 

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