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Act.055:動き出した関係

 次の日の金曜日。

 詩織しおりは、休み時間に三年E組の教室を訪ねて、呼び出してもらったひとみと廊下で向かい合った。

「瞳さん、昨日はありがとうございました。友達もアクセス数がすごく伸びたって喜んでました」

「良いって! 詩織だって、自分が良いって思ったことは、人に紹介したくなるでしょ? 私も、あのバンドが本当に気に入っちゃったんだ」

「あ、あの、友達にも伝えておきます」

「七月十二日に、あのバンド、ライブをやるんだよね? 友達のバンドなんだから、詩織も行くよね?」

「えっと、あの、ちょっと、その日は別の予定もあって」

「そうなの? 詩織が行くのなら、一緒に行こうかなって思ってたんだけどな」

 よく考えたら、そういう展開になってもおかしくはなかったのだが、そこまで計算できる詩織ではなかった。

「知り合いが一人もいないライブには、なかなか行きづらいけど、メンバーの友達の詩織と一緒だと入りやすいかもって思ったんだ。それに、私もバンドのライブって行ったことがないし、お兄ちゃんに話したら、お兄ちゃんも行ってみたいって言ってるんだよ」

「えっと、たぶん、私、都合がつかないような……」

「もし、詩織が行くことになったら教えてよ。一応、当日の予定を開けてるからさ」

「は、はい」

「あっ、それとさ。また、うちにおいでよ」

「はい?」

「お兄ちゃんも詩織に会いたいって言ってるんだ。妹として、ちょっと、ジェラシーを感じちゃうけど、詩織なら許せるし」

「あ、はい」

 ずっと、生返事しかできない詩織であった。

「残念ながら、今は、お兄ちゃんは新作の執筆で忙しいし、私も前に話した応募作の執筆に忙しくて、招待できるのは、ちょっと先になるとは思うけど」

 初ライブを控えている詩織にとってはありがたいことだった。

「あ、あの、瞳さんも、執筆、頑張ってください。それと、先生にもよろしくお伝えください」

「ありがとう。私も、今度のやつは、少しは手応えを感じてるんだ。もっとも、審査員さんが同じように感じてくれるとは限らないけどね」

「きっと、入賞します! 根拠はないですけど、努力はきっと報われます!」

「あはは、確かに根拠はないね。でも、詩織にそう言われると、そんな気になっちゃうよ」

 自分と同じように、高校生でありながら、既に自分の夢に向かって走り出している。そんな瞳を、詩織はもっと応援したくなった。また、バンドのことを拡散してくれたお礼をしたいという気持ちもあった。

「瞳さん、小説はもう書き上がっているんですか?」

「うん。締め切りが再来週の初めだから、ほぼ、できてはいるけど、まだ、自分でも納得できていない箇所が何か所かあってさ。文章表現が気に入らないところもあるんだけど、ストーリーも少し変えたいなって思ってるところもあって、ちょっと焦ってる」

「私、瞳さんのお手伝いとか何もできないですけど、事前に読ませていただいて、感想を述べるくらいなら」

「本当に?」

「はい」

「嬉しい! 文芸部の部員もほとんどが応募を狙ってて、みんな、テンパってる状態だから、お互いに読みあって批評しあうことも頼みづらかったんだ。詩織が読んでくれるのなら、本当に嬉しいよ」

 瞳は詩織に抱きつかんばかりに喜んでいた。

「じゃあ、この週末で自分でも納得できるようにして、来週、印刷して持ってくるよ。少し重いかもしれないけど」

「持って帰れる程度ですよね?」

「当たり前じゃん。それじゃなきゃ、私が持って来れないし」

「そ、それもそうですね」

「詩織って、少し天然が入ってるよね。そこがまた可愛いけど」

 かなでにも言われた「天然」という言葉に、詩織自身は納得しかねるのだった。



 クレッシェンド・ガーリー・スタイルがPVを投稿した週の土曜日。

 六月最後の土曜日であるその日には、PVのアクセス数は、それぞれ五千回を超えていた。

 奏は、レッスンが一息ついた合間を見計らって、それをスマホで確認をすると、嫌でも顔がほころんでしまった。

 音大には、世界に羽ばたくピアニストを夢見て入学したが、たかだか田舎で「ピアノが上手い」などと褒められていただけでは、実現不可能な夢でしかなかった。

 そこから何となく、自分でも下向きな考え方をするようになった気がする。自分の人生がうまく行かないのは、自分が悪いのではなくて、巡り合わせや人のせいだと責任をなすりつけて、自分を庇っていた。

 音大を卒業して、山田楽器店の専属ピアノ講師に就職できた。その時には、若い先生が来たと当時の店員達からもてはやされ、少し溜飲を下げたが、楽器店の店員は離職率も高く、次から次に新しく若い店員が入社してくると、相対的に若くなくなってきて、また、愚痴の多い人生となった。そんな奏に寄り添って来たのは、最初だけは愚痴を聞いてくれるが、次第に言い訳しか言わなくなる男ばかりだった。

 そんな奏を変えてくれたのは詩織だ。

 変わった自分の姿を、ネットを介してではあるが、五千回以上も見られていると思うと、無くしていた自信が蘇ってきて、自分でも生き生きとしていられるのが分かった。

 レッスン室のドアがノックされた。

 奏は反射的に壁の掛け時計を見たが、まだ、次の生徒がやって来る時間ではなかった。

「どうぞ」

 楽器店の店員が何か用事を伝えに来たのだろうと、奏はドアに向かって返事をした。

 簡単な防音構造になっているドアが開かれると、「お邪魔します」と入って来たのは、榊原さかきばらだった。

「先生、ご無沙汰しております」

 榊原が大きな体を折るようにしてお辞儀をした。

 椅子に座っていた奏も立ち上がり、お辞儀をした。

「少しお話をさせていただいて、よろしいですか?」

「次の生徒さんが十五分後に来ますので、それまでであれば、けっこうです」

「恐縮です」

 榊原は、奏が示したパイプ椅子に座った。小さな子供の生徒が来た時に、付き添いの保護者に座っていてもらうための椅子だ。

「先生のバンドの動画を拝見させていただきました」

 今まで、そのアクセス回数の多さに喜んでいたが、実際に見たと、面と向かって言われると、途端に恥ずかしくなってしまった。

「そ、そうですか。ありがとうございます」

 しかし、榊原は、奏が顔を赤くしていることには気づかなかったようで、言葉を続けた。

「いや~、驚きました。先生は当然のことながら、メンバー全員が素晴らしいテクニックをお持ちですなあ」

「お恥ずかしいです」

「いやいや、ご謙遜。しかし、それにもまして、ボーカルが素晴らしい。私も聞き惚れました」

 奏も、自分のことよりも詩織のことを褒められると、俄然、嬉しくなった。

「もう、うちのメンバー全員が、あのボーカルに打ちのめされましたから!」

「納得です。ぜひ、メンバーの皆さんと正式にお会いしたいのですが?」

 榊原とバンドメンバーは、他のバンドのライブ会場で会ったことがあるが、その時は自己紹介をしあった程度であった。

「それは、どういう意味でしょうか?」

「もちろん、興味があるからです。お時間がある時でけっこうですので、実際の演奏を聴かせていただいて、自分で確信が持てれば、ぜひ、うちに来ていただきたいです」

 榊原は、音楽芸能事務所「エンジェルフォール」の代表だ。そして、音楽芸能事務所に入るということは、将来のプロデビューが半ば約束されたようなものだ。

 しかし、奏は飽くまで慎重だった。

 元アイドルがやっているバンドという話題性だけで注目されたくないというのが、メンバーの共通した気持ちだが、音楽芸能事務所に所属すれば、自分達の考えがそのまま通るとは限らない。

 今、PVのアクセス回数が伸びているのは、コメントなどを見ると、曲や演奏を認めてくれているからだと分かった。この調子でもっと前に進みたい。奏はそう思ったし、メンバーもみんな、そう思っているはずだ。

「来月十二日に、ヘブンズ・ゲートでライブをいたします。そこで実際にバンドの音を聴いていただいた上で、お会いしたいと思います」

 PVがネットで話題になっていることから、他の音楽芸能事務所のスカウトなどもライブに来るかもしれない。もしかすると、クレッシェンド・ガーリー・スタイルの争奪戦が始まるかもしれない。榊原は少なくともそう考えたのだろう。奏が仕事中であることを承知の上で、いち早く、「つば」を付けに来たのかもしれない。榊原は奏の返事に少し残念そうな顔をした。

「そうですか。分かりました」

 その後、少し雑談をしてから、榊原は、「また、食事にでも行きましょう」と、社交辞令なのか本気なのか分からないことを言って、レッスン室から出て行った。

 奏は、レッスン室の壁に掛けられているカレンダーを見た。

 七月十二日。土曜日。

 その日、クレッシェンド・ガーリー・スタイルは、初めて人前で演奏をする。

 PVでは、詩織は背中向けで歌っていたが、ライブではそういう訳にはいかない。むしろ、メインのボーカリストなのだから、観客はみんな、詩織に注目する。

 素晴らしい歌声はもちろんだが、元アイドルの可憐な容姿にも視線が集まるだろう。そして、その容姿とパワフルな歌とのギャップに打ちのめされるはずだ。少なくとも、奏はそう思っている。

 その日に、詩織が桜井さくらい瑞希みずきだとばれてしまっても仕方がないことだ。それは、詩織はもちろん、みんなが覚悟をしている。そして、ばれてしまったとしても、昔の詩織のことを全面に出して活動することはしないとの意見も一致している。

 しかし、自分達が選んだその道を、そのまま突き進むことができるかどうかは、今はまだ分からない。

 七月十二日。自分達にとって、大きな転機になるかもしれないその日は、約二週間後に迫っていた。


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