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Act.051:感動を詰め込む情熱

 PV撮影をした次の日の金曜日。

 学校から帰った詩織しおりは、いつもどおり、アルバイトに出掛けた。

 詩織がカサブランカに入ると、これもいつもどおり、椎名しいなが眠そうな顔でカウンターに立っていた。

「こんばんは」

「うっす」

 カウンターを通り過ぎながら挨拶をした詩織に返ってきた椎名の返事は、いつも以上に覇気がなかった。

 詩織は、一旦、スタッフルームに入り、店名入りのエプロンを掛けてから、椎名の隣に立った。

 店内には、二、三人の客がいたが、まだ、お目当てのDVDを探しているようで、すぐにレジに来る様子ではないことを確認してから、詩織は椎名に話し掛けた。

「椎名さん」

「うん?」

 呼ばれて、詩織の方に向いた椎名の目の下にはクマができていて、かなでにいきなりキスしたことの理由を問い質そうと思っていた詩織は、その勢いを削がれてしまった。

「す、すごい顔になってますよ」

「昨日、あれから一睡もしていない。夢中で編集作業をしていたんだ」

「そんなに急がなくてもけっこうですよ」

「いや、俺がやりたいんだ。やりたくて仕方ないんだよ。そして、やっていると面白くて、時間をつい忘れてしまうんだ」

「で、でも、健康を壊されても困ります」

「心配するな。高い栄養ドリンクを普段の二倍は飲んでいるから」

「そういうことじゃなくて」

「何だ? この顔でレジに立たれると、お客様に失礼か?」

 椎名は、長時間、映像編集に没頭しすぎていたせいで、変な興奮状態になっているようだった。

「このバイトをしている時間も惜しいと思っているくらいだが、オーナーと桐野きりのに迷惑を掛ける訳にいかないから、仕方なく出て来ている。だが、本音では、桐野一人に店を任せて、今すぐ、家に帰って、続きをしたいくらいだ」

 詩織は、これまでの話の中で、椎名が映像編集に掛ける情熱は理解していたつもりだったが、ここまで熱中してしまうとは思っていなかった。

「椎名さんの熱意は嬉しいですけど、椎名さんの体が心配です」

 詩織が心からそう思い、椎名に告げると、椎名はあからさまに嫌な顔をした。

「ほら、その顔だ。その顔には負けてしまいそうになる」

「はい?」

「お願いだから、そんな顔は見せないでくれ」

 椎名は、右手に立っている詩織の視線を遮るように、右手で自分の右目を覆った。

「椎名さんの心配をしてはいけないんですか?」

「今はな」

 椎名は、険しい表情で詩織を見た。

「俺は、桐野の歌を聴いて、今までにないほど感動をした。だから、その俺が直に聴いて、そして見て、感じた想いを、この映像の中にできるだけ詰め込みたいんだ。いや、絶対に詰め込んでやる! これを見た連中が、俺と同じ感動を味わえるようにしてやる! そう思ってる! 桐野から頼まれたPV作りは、少々オーバーな表現だが、今の俺の生き甲斐だと言って良い」

 詩織は、椎名のひたむきで一生懸命な姿勢に、奏にキスをしたことはおろか、健康を顧みないで編集作業に没頭していることについても、椎名を責め立てるようなことが言えなくなってしまった。

「今の椎名さんには、何を言っても無駄なんですね」

 椎名の表情が和らいだ。

「そういうことだ。明後日の日曜日には完成品を渡せると思う。それまでは死なないさ」



 椎名は、自分で言った納品期限を守ってくれて、日曜日にアルバイトに行った詩織に一枚のDVDを手渡してくれた。

 そして、月曜日のスタジオリハの後、メンバー全員が奏屋でそれを視聴した。

 映像の最初には、「クレッシェンド・ガーリー・スタイル」というバンド名と、「涙のキスを」というタイトルが表示され、それがフェイドアウトしていくと、霧の中から浮かび上がるようにして、奏の手元の画面になった。

 奏の手がイントロのピアノソロを演奏し始めると、次第にズームアウトしていき、奏の上半身からスタジオの風景に画面が変わっていった。

 ドラムが正面に見えて、画面に向かって右にベースアンプが置かれ、その前に玲音れおが立っていて、ドラムの左にはキーボードが置かれ、奏が立っていた。そして、玲音、琉歌るか、奏と向き合うように、詩織の後ろ姿が映っていた。

 演奏の映像に、事前に録音していた音源がミックスされていたが、実際に演奏をしているかのように自然であった。

 途中、何度か、それぞれのメンバーのアップに画面が切り替わった。各自のソロパートのシーンはもちろんだが、それ以外の時でも、カメラが動きながらシーンが切り替えられ、昔、実際にPV撮影をしたことのある詩織も納得の出来映えであった。

「自分達の贔屓目があるかもしれないけど、けっこう、引き込まれる気がするぜ」

 玲音が画面から目を離さずに言った。

「そうね。あの日、固定カメラの映像を見た時、練習風景を映しただけのような気がしたけど、これ、ライブをしてる感じだよね?」

 奏も感心しているようだった。

 切ないバラードナンバーなので、メンバーの表情は笑顔ではなかったが、生き生きと演奏しているのが分かる映像だと詩織も思った。

 そして、背中からの映像だったが、詩織が熱唱していることが、臨場感溢れる迫力で伝わってきた。

 椎名は何度も何度も自分が納得できるまで編集を繰り返すと言っていた。映像と音声のズレの修正、カメラを切り替えるタイミングなどについて、細かな調整をして、それをその都度、確かめながら作り上げていったのだろう。

 詩織も映像編集の技術的なことはまったく分からなかったが、この完成されたPVを見れば、どこのプロの会社が制作したのかと思われるくらいのクオリティだと思われ、それをあのカメラ二台だけでこなしてしまう椎名の技術力と感性の高さを実感せざるを得なかった。

 PVが終わった。

「間違いなく、おシオちゃんの歌の魅力が百パーセント詰め込まれているよな」

「これを椎名さんが一人でやったの?」

 奏が詩織に訊いた。

「はい、そう言ってました。これを受け取った昨日の夜も、見るからに寝不足って感じでした」

「ノーギャラでこんだけ頑張ってもらったんだ。お礼の言葉だけじゃ申し訳ないな」

 さすがに玲音も心苦しくなったようだ。

「でも、椎名さんは、絶対、ギャラは受け取らないって言ってましたよ」

「でも、私達としては、何らかの形で感謝の気持ちを表したいわね」

 そう言った奏に玲音が突っ込んだ。

「奏は、キスの件は、もう良いのか?」

「これ見ちゃったら、もう何も言えないわよ。自分でもびっくりするほど、自分の表情が自然だなって思うもの」

 詩織もそう思った。いつも練習中に見ているメンバーの表情が再現されていた。そして、PVに使用されているのは、椎名が奏にキスをした後に収録されたテイクがほとんどだと分かった。

「じゃあ、慰労会でも開くか?」

「そうね。とりあえず、椎名さんのご都合を訊いて、時間があるようなら、ご招待しましょうか?」

 玲音の提案に、奏も賛同した。もちろん、詩織も琉歌もだ。

「じゃあ、店でやると高いから、アタシの部屋でしようか。とりあえず、椎名さんも江木田なんだろ?」

「はい、帝都美大の近くに住んでるって言ってました」

「奏屋が広くて良いけど、池袋まで呼び出すのも何だし。そうしようぜ」



 二日後の水曜日の夜。

 詩織と椎名は、今日はアルバイトの日ではなかったが、玲音の家と同じ江木田駅の北口にあるカサブランカの前で待ち合わせをしてから、玲音の家に向かった。

 五分ほどで玲音のマンションに着いた詩織と椎名は、二階の玲音の部屋に向かった。

 詩織と椎名が部屋に入ると、玲音はもちろん、琉歌も奏も既に中にいた。

「五人も入ると、ちょっと狭いかもしれないけど、まあ、どうぞ」

 玲音がワンルームの中心に置かれたローテーブルに椎名を案内した。

 ローテーブルの上には、玲音と奏の手作りの料理が既に並んでいて、いつでも宴を始められるようになっていた。

「俺もけっこう酒を飲むので、自分の分だけでも補給をしておこうと思って、持って来ましたよ」

 椎名が、持って来た細長い手提げ紙袋の中から赤ワインを一本取り出した。

「おお! これ、けっこう高い奴じゃないですか?」

 玲音は、そのワインを見て、かなり喜んでいた。

 ここに来るまでに、詩織が椎名から聞いた話によると、本場フランス製の高級ワインだそうだ。

「以前、とある人からもらっていたんだが、自分一人で開けるのはもったいないので、しばらく置いていたんです。開けるのに良い機会だと思ったので」

「じゃあ、遠慮なく」

 玲音は、すぐにワインオープナーを器用に使って、そのワインを開けた。

 酒が好きな玲音も、さすがにワイングラスは持ってなかったようで、琉歌がシャンパングラスを四つ、勝手知ったる姉のキッチンから持って来た。

 椎名が、その四つのグラスにワインを注いだ。細身のシャンパングラスに注がれた鮮やかな赤色のワインに、ワインを飲んだことのない詩織もしばらく見とれてしまった。

「桐野も少し飲んでみるか?」

 その様子に気づいたのか、椎名が詩織に勧めた。

「未成年にお酒を勧めちゃいけません!」

 詩織の隣に座っている奏が、椎名を睨むようにして言った。

藤井ふじいさんは本当に真面目な方ですね」

「い、一応、社会人してますから」

 椎名にキスされたことは、飽くまでPV撮影のための本当の「おまじない」だったんだと、奏も割り切れたようだったが、美形の椎名からクールな微笑みを返されると、やはり、気にせずにはいられないようだ。

 ワインが注がれたシャンパングラスが四つと、ジュースが注がれたコップが一つ準備できると、玲音がグラスを掲げた。

「それじゃ、椎名さんに感謝を込めて! 乾杯!」


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