Act.048:感動をパッケージ
次の週の木曜日。
練習の時はいつも、玲音と琉歌と一緒に池袋に向かう詩織だったが、今日、二人には先に行ってもらい、椎名と江木田駅で待ち合わせをしていた。
江木田駅の改札前でギターケースを背負った詩織が待っていると、待ち合わせの時間ぴったりに椎名がやって来た。
椎名は、背中に大きなリュックを背負い、ビデオカメラが入っていると思われるケースを右手に提げていた。
「椎名さん、今日は、よろしくお願いします!」
「ああ、こちらこそ」
そう挨拶をしてから、椎名は、詩織の顔をじっと見つめた。
「な、何か?」
「いや、やはり、桐野は眼鏡をしていない方が良いなと思ったんだ」
いきなりの椎名の「デレ」に、詩織も少し焦ってしまった。
「し、椎名さん! いつも、そうやって、女性を口説いているんですか?」
「こんなもんじゃないさ。言葉だけじゃなくて、体も使って、愛を語るのさ」
詩織は照れてしまって、「早く電車に乗りましょう!」と、椎名を置き去りにして、改札を入った。
「おいおい、何か誤解してないか?」
すぐに椎名が追い掛けてきた。
「べ、別に誤解なんてしてないです!」
「俺は、言葉だけじゃなくて、態度でも、自分の気持ちを精一杯伝えるって言ったつもりなんだが」
「顔がにやついてます! 私を誤解させようとしたんですねよ?」
立ち止まった詩織が、頬を膨らませて、椎名を睨んだ。
「桐野こそ、そういった立ち振る舞いは、男を誤解させるぞ」
「えっ、どういう意味ですか?」
「桐野は、生まれつきのアイドルなんだよ。アイドルという言葉が嫌なら、『男殺し』と言い換えても良い」
「もっと、感じ悪いです!」
「ははは、でも、まあ、そういうことだ」
「どういうことなのか分かりません!」
「そのうち分かるよ。それより、今日のことを話さないか?」
電車の中で、詩織は、作りたいPVの内容について、メンバーと話し合ったことを事細かく、椎名に伝えた。椎名は、それをメモに取ることもなく、頭の中に整理をしながら格納をしているように見えた。
池袋に着き、ビートジャムまで歩いて行くと、玲音、琉歌、そして奏が待合室で待っていた。
詩織が椎名を連れて行くと、三人は立ち上がり、詩織と椎名を迎えた。
「今日、撮影をしてくれる、椎名さんです」
「椎名です。よろしく」
椎名は、最初に会った時と同じように、無愛想に挨拶をした。
椎名の無愛想なところは気にしなくても良いと、詩織に言われていた玲音と琉歌は、普通に挨拶をした。
しかし、椎名とは初対面の奏は、椎名に見とれているように、ぼ~と、椎名を見つめていた。
「奏さん?」
詩織が奏に声を掛けると、奏は我に返ったように慌てて、「ふ、藤井です」と名乗った。
「何だよ、奏? 椎名さんがけっこう男前だから見とれてたのか?」
「ちょっと、玲音! 椎名さんに失礼よ」
「図星かよ」
奏が見とれるのも無理はない。
奏は、優男が好みのタイプだと、奏屋でのミーティングの際に酔って自白していた。
今、目の前にいる椎名は、背が高く、整った顔立ちで理知的に見える。きっと、奏の好みの、どストライクだったのだろう。
「奏! 緊張して、演奏を間違えるなよ」
「しないわよ!」
と言いつつも、チラチラと横目で椎名を見つめる奏であった。
「玲音さん! 第九スタジオ、空きましたよ!」
カウンターの中にいるミミが大きな声で伝えてくれた。ミミも椎名のことをチラチラと見つめているのが分かった。
詩織は、自分のことを「男殺し」などと言った椎名の方が「女殺し」ではないかと思った。
スタジオに入ると、全員がセッティングを始めた。
「皆さんの立ち位置は、今の所で良いですか?」
椎名が誰にともなく訊いたが、そんなことまで決めてなかった詩織達は、お互いの顔を見渡すことしかできなかった。
どうせ、そんなことだろうと思っていたのか、椎名は、すぐに言葉を続けた。
「とりあえず、ドラムは動かすことはできないでしょうから、ドラムの正面に固定カメラをセットします。桐野の顔はなるべく映さないということだから、桐野はドラムに向き合うようにして立ってくれ。できるだけ後ろ姿を撮るようにする」
「分かりました」
詩織は、椎名の指示どおりに、琉歌と向き合うようにして立った。
椎名が右手に提げていたケースを床に置いてから開けると、ハンディ用ビデオカメラより少しだけ大きなカメラが二台格納されていて、そのうちの一台を、リュックから取り出した折りたたみ式三脚の上に取り付けて、ドラムの正面にセットした。
「ドラムの左右にベースさんとキーボードさんが立つことにしましょう。向きはカメラ正視方向が良いか、それか、少し内側に向きますか?」
「絵づら的にどっちが良いすか?」
テキパキと指示をする椎名に、玲音も無愛想で不気味な奴という印象を少しは和らげたようだ。
カサブランカでの気怠そうな椎名しか見ていない詩織も、生き生きとしている椎名を初めて見て、少し眩しく感じられた。
「そうですね。少し内向きが良いと思います。ベース、ドラム、キーボードがカメラ向きだと、一人だけ背中を向けている桐野が、すごく不自然に見える気がします。メンバーが輪になって演奏している雰囲気を出した方が、桐野が目立たなくて良いんじゃないでしょうか?」
「じゃあ、椎名さんの意見どおりにしよう。奏は右と左とどっちが良い?」
「どっちでも良いわよ」
「アタシもどっちでも良いけど……。椎名さん、どっちが良いすか?」
次第に、椎名に丸投げしだしている玲音だった。
「演奏中、ベースさんは、けっこう動きますか?」
「いや、バラードなので、そんなに動かないっすよ」
「キーボードさんはそんなに動けないので、ベースさんが動くと、左右で静と動のバランスが崩れると思います。だから、そんな場合には、慎重に立ち位置を決めるべきでしょうけど、ベースさんが動かないのであれば、どちらでも良いと思いますよ」
「じゃあ、奏が左で良い? そっちが今いる位置に近いから、キーボードを動かす距離が短くて済むからさ」
「それで良いわよ」
「じゃあ、キーボードを動かしましょう」
そう言うと、椎名が率先して、奏のキーボードをスタンドごと持ち上げて、指定の場所まで動かした。
「す、すみません」
「いやいや、力仕事は男の役目というと、好感度が上がるそうですからね」
にこやかにそういう台詞を言えば、奏を口説きに掛かっていると思われもするだろうが、椎名は事務的な表情と態度のままで、奏には興味がないと言わんばかりだった。
カメラに向けて、少し内側を向くように、斜めにキーボードをセットした椎名は、リュックの中から、折りたたみ式のコンパクトな脚立を出して、カメラの後ろに置いた。そして、その脚立の下から二段目の梯子の上に立って、それぞれ、メンバーを見下ろすようにして見渡した。納得したような顔をした椎名は、いったん、脚立を降りて、カメラをセットしている三脚の脚を伸ばすと、カメラがメンバーを見下ろすような高さにセットした。
そして、そのカメラの画面を確認しながら、カメラの向きを微調整すると、メンバーに向かって言った。
「少し俯瞰する感じで、この固定カメラをセットしました。できるだけ、このカメラは見ないようにしてください。そっちの方が自然な演奏風景になるはずです」
詩織以下メンバー全員がうなずいた。
椎名は、脚立を降りて、ケースからもう一台のビデオカメラを取り出した。
そのカメラを右手で持つと、椎名は、メンバーそれぞれの距離感を掴むように、メンバーの間を「8」の字を書くように移動して、最後は、四人の真ん中に立った。
「このカメラを持って、メンバー個々人の撮影をします。どの時に誰をアップで撮るかを決めたいので、とりあえず、曲を演奏してもらえますか?」
「了解! じゃあ、せっかくスタジオに入っているんだから、本当に演奏してみるか?」
前回の練習日である月曜日に、今回、PVに収める「涙にキスを」の録音を済ませていて、玲音の手元には、その時のマスターテープから落としたCDがあった。今日は、それに併せて、演奏風景を撮るのだが、せっかくスタジオにいるのだから、生演奏をしようと言うのだ。
「椎名さんが最初の観客だな」
玲音が言ったとおり、今まで練習中もメンバー以外の者を入れたことはなかった。
そう思うと、椎名との距離が近いこともあって、詩織は少しだけ照れくさかったが、椎名がカメラのファインダーをのぞきながら、メンバーそれぞれの映り具合をチェックしている、その真剣な表情に、ミュージシャンとしての気持ちに切り替えた。
「じゃあ、奏! よろしく!」
玲音がキューを出すと、奏がイントロを演奏しだした。
もともと、玲音が作っていたオリジナルのバラード曲である「涙にキスを」は、お互いにまだ好きなのに、やんごとなき事情で遠くに去って行く元恋人への消し去りがたい恋心を歌った、切ない曲だ。
短いピアノのイントロが終わると、すぐに全員での演奏が始まった。
詩織の目の前から椎名の姿が消えた。もちろん、本当に消えた訳ではなく、詩織の意識の外に出されたからだ。
詩織は、いつもどおり気持ちが良いバックの演奏に乗せて、思い切り、この曲に込められた気持ちを吐き出した。歌詞の主人公が自分に乗り移ってきたかのような気持ちになり、詩織の目には涙もにじんできた。
シャウトするサビが終わり、最後は囁くように歌い終えた詩織の目に、驚いた椎名の表情が入り込んできた。
曲が終わると、椎名はパチパチと拍手をした。
「驚いたな。元アイドルとは思えない歌唱力だ」
そう言った椎名に、玲音が近づき、「今の感動を映像に映すことができますか?」と尋ねた。
「ああ、映すとも! 絶対に映してやるとも!」
まるで玲音に売られた喧嘩を買ったかのように、自分に活を入れた椎名だった。




