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Act.047:聴かせたい歌

PVピーヴイ?」

 金曜日の夜。

 いつもどおり、「カサブランカ」でバイトをしていた詩織しおりは、客足が途絶えた隙を見計らって、レジカウンターに立っていた椎名しいなの隣に立ち、バンドのPVを撮りたいと言った。

「はい。今度、合同ですけど、うちのバンドの初ライブがあるんです。当然のことながら、うちのバンドを知っている人はほとんどいない訳ですから、スタジオでの演奏シーンを収めたPV風の動画を、ゆうチューブとニッコリ動画で流そうということになって」

「ほ~う。しかし、自分の顔がネットで拡散されることになるが、桐野きりのは大丈夫なのか?」

「できるだけ、私の顔はアップにしないようにするつもりです」

「なるほど。それで、その話を俺にしたということは、俺に協力しろということだな?」

「そ、そうです」

 椎名の物分かりの良さには、毎回、驚かされる詩織だった。

「うちのバンドはまだ貧乏なので、当然、ギャラとかは出せないですけど、撮影のための実費とか、お礼の食事くらいなら……」

 おねだりするような雰囲気になり、詩織は自然と上目遣いで椎名を見ていた。

「桐野にそんな目で見られると、さすがに断れないな」

「えっ、そんな目って?」

「無意識にやっていたのか? まさに小悪魔だな」

「な、何を言ってるんですか? 別に、椎名さんを利用しようだなんて……、少ししか思ってないです」

「ははは、良いよ。以前、桐野のライブ映像を撮らせてくれと頼んだのは俺の方だし、ノーギャラでやるよ」

「本当ですか?」

「ほらっ、その笑顔だ」

「はい?」

「桐野のその笑顔を見たいと思う連中は、桐野の頼みなど断れないだろう。俺もそうだが」

「あ、あの、それって……」

「深い意味はないよ。それで、いつ撮れば良いんだ?」

「実は、まだ、どの曲をするのかも決めてなくて、音録りもしていないんです。スタジオに入るのは、毎週、月曜日と木曜日なので、最短だと来週の月曜日に音録り、その次の木曜日に撮影ということになると思います」

 演奏シーンを収めたPVは、ライブ感を出すために録画の際の音源をそのまま使用することもあるが、その場合、録音と録画の双方のチェックが通るまで何度でも撮り直しとなる。したがって、通常は、別録りした音源に併せて、演奏シーンを撮ることが一般的だ。

「こう見えて、俺もいろいろと忙しいんだ。来週の木曜日の夜は、特に予定はなかったと思うが、できれば、月曜日に録音が終われば、すぐに教えてほしい」

「分かりました」

「ということで、桐野の携帯番号かアドレスを教えてもらうことはできるか?」

「アドレスですか……」

「おや、まだ、そこまで信用されてなかったか?」

「い、いえ、そういう訳ではないです。少なくとも、椎名さんは、いたずらメールなんかは送ってこないと思いますし」

「桐野を困らせてやろうと思ってメールを送ることはしない。それは約束する。ただ、俺には桐野を困らせるつもりはないが、結果的に、桐野が困ってしまうメールを送らないとは約束できないな」

「それって、どんなメールですか?」

「例えば、俺が桐野に交際を申し込むメールとかさ」

「……」

「ほらっ、そんなの送られてきたら、桐野は困るだろ?」

 言葉に詰まった詩織に、椎名がにやついた顔を見せた。

「本当に送ろうと思っていたんですか?」

「いや、今のところはない。しかし、これからもないとは言えない」

 椎名なりにあらかじめ予防線を張っているのだろうかと詩織は考えたが、バイトの同僚でもあり、今回、ノーギャラでPV撮影をお願いするのだから、アドレスを教えない方がおかしい。

「分かりました。椎名さんからそんなメールが来たら、その時に対処の方法を考えます」

「賢明だ」

 バイトが終わると、詩織は椎名と携帯のアドレスを交換した。椎名は、父親以外で、詩織の携帯に初めて登録された男性となった。



 次の日の土曜日の夜。

 今日はスタジオ練習のない日であったが、クレッシェンド・ガーリー・スタイルのメンバー達は、緊急に奏屋かなでやに集合していた。

 椎名が動画作成を快諾してくれたことを、詩織がメンバーに告げると、玲音れお琉歌るかは、少し心配そうな顔を見せた。

「その椎名ってのは、何か神経質そうに見える、あの背の高い男だろ?」

 玲音と琉歌は、詩織がバイトの面接に行った時に一緒について行き、椎名と会っている。その時の椎名の無愛想な雰囲気が、そのまま、二人の脳裏にこびりついているのだろう。

「私もずっと一緒にバイトをさせてもらって分かったんですけど、椎名さんは、そんなに変な人じゃないですよ」

「まあ、詩織ちゃんの昔のことを見抜いても、秘密にしておいてくれてるんだから、それなりに紳士なんじゃない?」

 椎名のことは、詩織からの話でしか知らないかなでが援護してくれた。

「せっかく、やってもらえるんだから、ご厚意に甘えましょう」

 奏の意見に、玲音と琉歌も反対する理由はなかった。

「それじゃ、まずはレコーディングだな。何の曲をする?」

 とりあえず、来週月曜日のスタジオ入りの時に、ビートジャムのレコーディングスタッフの予定が空いていたことから、PVで演奏する曲のレコーディングをすることにしていた。

「うちのバンドのオリジナル曲のうち、今、公開に耐えられるのは、『ロック・ユー・トゥナイト』と『涙にキスを』の二曲かな?」

「そうだな。『扉を開いて』と『君の空の下』は、まだ、アレンジが変わる可能性があるし、新曲の二曲は、もうちょっと音をまとめたいから、自然とそうなるか」

 奏の案に玲音も同意した。琉歌もうなずいていたし、詩織もその考えには賛成だった。

「そうすると、『ロック・ユー・トゥナイト』と『涙にキスを』のどっちをする?」

「ロック・ユー・トゥナイト」は、アップテンポでノリノリのロックナンバーで、「涙にキスを」は、しっとりとしたバラードナンバーだ。

「両方ともやるってのは駄目~?」

 PVの言い出しっぺである琉歌が、まず、意見を述べた。

「アルバムのPVみたいに、その二曲をダイジェストでるの~」

「なるほどねえ。ロックとバラードという、違うイメージの曲を演ることで、私達のオリジナル曲には、いろんなタイプの曲があるというアピールにはなるかもしれないわね」

 奏が感心しながら言った。

「でも、それって編集が大変じゃないのか?」

 玲音は、まだ、椎名が気難しい性格ではないかと心配しているようだ。

「椎名さんは、映像編集が趣味の人ですから、渋い顔はしないと思います。でも」

 みんなが詩織の顔を見て、詩織の言葉の続きを待った。

「私は、一曲だけをフルで上げたいです」

「その理由は?」

 玲音が尋ねた。

「確かに、ライブで演奏される予定の曲を少しずつでも多く紹介することで、それぞれの曲の続きを聴いてみたいと思って、ライブに来てくれる人もいるかもしれません。でも、私は、自分達のオリジナル曲は、全体フルで一つの作品だと思ってます。それを途中でカットするのには抵抗があります。そして、そのフルの曲を一つ聴いてもらって、他の曲も聴いてみたいって思ったお客様に来てもらいたいです」

「うん、詩織ちゃんの案も、琉歌ちゃんの案もどっちもありだね」

「でも、どっちかというと、奏はどっちが良い?」

「そうね」

 奏は腕組みをして、しばらく、うつむいていたが、ゆっくりと顔を上げた。

「私は、詩織ちゃんの歌のすごさは、その伝わる感情がとてつもなく大きいことだと思うの」

 玲音も琉歌も無言でうなずいた。

「それを、PVを見た人にも感じ取ってほしいと思う。だとすれば、やっぱり、フルかなあ。最初から最後まで曲を聴いてもらうことで、その曲に込められた、詩織ちゃんの想いが伝わるんじゃないかなって思う」

「正直、アタシは迷っていたけど、今の奏の意見には納得させられた。アタシもフルに一票だ」

 玲音が奏に笑顔を見せながら言った。

「そうだよね~。ボクも奏さんが言ったことで、目から鱗が落ちたよ~」

「大袈裟よ」

 いつになく、自分の意見がすんなりと通ったことで、奏が少し照れていた。

「琉歌さん、すみません。生意気なこと言って」

 詩織が琉歌に頭を下げたが、琉歌は「何で謝るのさ~」と笑顔で言った。

「そうだぜ。何度も言ってるけど、同じバンドのメンバーである以上、年齢としなんて関係ないんだ。琉歌だって、ずっと、アタシと同じ、そんな気持ちでバンドをしてきてるんだからさ」

 玲音の言葉に、琉歌も「うんうん」とうなずいた。

 奏も、詩織の顔を優しく見つめながら、うなずいたが、すぐに、玲音に冷たい笑顔を向けた。

「でも、玲音には、目上の私に対する敬意ってものを、たまには見せてもらいたいものね」

「敬意をもって、おちょくってるだろ?」

「それには敬意を払わなくて良いわよ!」


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