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Act.042:盲目の作家

 ひびきからの最初の質問が「歌が好きか?」ということに、詩織しおりは、驚き、戸惑ってしまった。

「お兄ちゃん! いきなり、そんな質問なの?」

 ひとみも響の質問の意味が分からなかったようだ。

「うん。桐野きりのさんの声がすごく魅力的なんだよ。何と言うか、耳が幸せを感じるような」

 響が、昔の自分のことに気づいていたのかと思ったが、どうやら、そうではないようだ。

 しかし、今まで学校でも声に注目されたことなどなかっただけに、詩織は、どう答えて良いものか思いつかずに、じっと、響を見つめることしかできなかった。

 響は、そんな詩織の様子が分かったのだろう。詩織を慰めるような優しい笑顔を返した。

「すみません、桐野さん。僕は、もう、目から情報を得ることができません。だから、初対面の方の印象は、耳から入ってくる情報、つまり、声で決まってしまうことが多いのです。桐野さんの声は、しゃべっている時には控えめに話されているような気がして、瞳が言っていた、出しゃばらない性格ということも納得できました。でも、本気でお腹から声を出すと、けっこうパワフルな声を出すことができるのではないかなと思ったんです。腹式呼吸がちゃんとできているようですから、歌か演劇の練習でもされているのかなと推理したのです。この僕の推理、はずれてますか?」

 響の前で歌を歌った訳ではないが、響自身が言ったように、響の耳の感性が他の人よりも研ぎ澄まされていて、詩織の声の隠されたパワーに気づいたのだろう。

「あ、あの、歌は好きです」

 響が言い当てたことを否定するのは、さすがに響に対して失礼だと思った詩織は、正直に答えた。

「じゃあさ、詩織もカラオケとかに行くの?」

 瞳が嬉しそうに訊いてきた。

「いえ、歌は好きですけど、聴く方が好き……です」

 行くと言えば、すぐにカラオケに誘われそうだと考えた詩織は、また、咄嗟に嘘を吐いた。

「そうなの? 私も詩織の歌を聴いてみたいけどなあ」

「瞳。また、桐野さんを困らせないように」

 優しい言葉遣いの響に、瞳は、素直に「はーい」と返事をして、それ以上、歌のことについて突っ込んでこなかった。

「すみません、桐野さん。僕が勝手に想像したことを、一方的に述べてしまって」

「い、いえ」

「じゃあ、お詫びという訳ではないですが、今度は、桐野さんの方からのご質問をお受けしますよ。何なりとどうぞ」

 と響が言ったが、すぐに質問が浮かぶものでもなかった。

 もちろん、訊きたいことは、いっぱいあった。しかし、それを訊くことで、響を不快にさせてしまうかもしれないと思うと、躊躇してしまうのだった。

「みんな、不思議に思っているはずですけど、僕の髪、これ、染めてないんですよ」

 詩織が訊きたいと思っていたことの一つが分かったのか、響自らが話し出した。

「これは、先天性の色素欠乏症アルビノという症状なんです。聞いたこと、ありますか?」

「はい」

「髪やまつげなどの黒い色素が生まれつき無くて、こんな色になっているんです」

「あ、あの、先生の公式ホームページで読んだのですが、それで昔は虐めに遭っていたって」

「そうですね。小学校の時などは、『不良』だとか『外人』だとか言われて、虐められました」

 小学生くらいであれば、見た目が他の人と違っている人に、自分の感じたことをストレートに言ってしまうことは仕方がないところもあるだろう。しかし、言われた方が傷付くことは、悪気があろうがなかろうが変わらない。

「それと、この目は後天性で、小学生の頃までは普通に見えていたのですが、高校に入った頃から次第に視野が狭くなってきて、ぼやけて見えるようになったんです。最初は、近視かと安易に考えていたのですが、進行性の弱視で、今ではぼんやりとしか見えないんです。今、この距離で、そこに桐野さんが座っていることくらいは、なんとなく分かりますが、顔も服も分かりません」

 目が見えないということで、また、詩織に疑問が浮かんだ。

「あ、あの、こんなことを訊いて良いのかどうか分からないんですけど」

「何でもどうぞ。瞳は、きっと、これからも桐野さんに遊びに来てもらいたいと思っているはずです。そうだよね、瞳?」

 響が詩織から瞳に顔を向けて訊いた。

「もちろん!」

 その瞳の返事を聞いて、響は、また、詩織の方に顔を向けた。

「だとすれば、お互い、最低限の情報は知っていた方が、変に気を遣ったりしなくて済むでしょう?」

 それはもっともな話だと、詩織も納得した。

「分かりました。あ、あのですね、目が見えないということは、作家さんにとって、すごく大きなハンディだと思うんです。音楽家で言えば、耳が聞こえないことにも匹敵するような」

「そうかもしれませんね」

「先生は、小説をどのようにして書かれているのですか?」

「口述ですよ。僕がレコーダーに吹き込んだものをスタッフが文字起こししてくれています。そして、それを朗読してもらいながら推敲するというやり方です。プロになる前は、その役目を瞳にやってもらっていました」

「そうなんですね」

「ええ、少し時間は掛かりますけど、他人に読んでもらう分、台詞の言い回しとか、場面の展開が、自分の頭の中で描かれているものと違っていれば、すぐに分かります」

「うちの文芸部でも、推敲には朗読を取り入れているんだよ」

 瞳が口を挟んできた。

「自分が書いた小説を自分で読み返しても、目で文字を追い掛けるだけになってしまって、誤字、脱字もそうだけど、矛盾点とか表現がおかしいところとかも、けっこう、スルーしちゃっていることも多いんだよね。でも、他人に読んでもらうと、よく分かるんだ」

 それは詩織も何となく納得できた。

 夢中で作詞をしている時には気づかなかったが、実際に曲になって、スタジオで歌ってみると、自分が思っていた表現と違うと気づくことが、よくあったからだ。

「でも、それで、人気作を次から次に生み出していけるなんて、すごいと思います」

「ありがとうございます。でも、いつまで小説家を続けることができるかなって、少し不安もあるのですよ」

「でも、次の作品もすごく期待されているようですけど?」

「もっと、長いスパンで見た話です。やはり、先ほど桐野さんがおっしゃったように、目が見えないということは、作家としての致命的な欠点になり得るんです」

「致命的な欠点ですか?」

「そうです。例えば、物の描写です。まだ、目が見えていた頃の記憶でしか書けなくて、今は、実物を詳しく見ることができないのですから、昔は無かった品物のディテールとかの描写は、実際にできません」

「そ、そうかもしれませんね」

「特に、物にトリックを仕掛けるミステリー小説などは、はっきり言って書けません。でも、恋愛小説は、物の描写よりは心の描写の方が重要ですから、目が見えなくても書くことができるのだと思ってます」

「だから、恋愛小説を書かれているのですか?」

「それも理由の一つですが、もともと、恋愛小説が好きなので書いているのです。なぜなら、僕は恋愛をしたことがありませんから」

 今をときめく人気作家で、その容姿からも女性達からアイドル視されていると言っても過言ではない響が、恋愛をしたことがないということは、詩織も意外であった。

「私も、最近、先生の『恋人たちの風』を読ませていただきましたが、序盤からすごく素敵なお話だなって思いました。だから、先生も素敵な恋を重ねられているのかなっと思ったのですが?」

「僕は、これまでも今もずっと、恋を夢見る乙女ならぬ、恋を夢見る男子だったのです。つまり、素敵な恋をしてみたいと、ずっと憧れているだけなのです」

「あ、あの、こんなことを言うと、また、すごく失礼なことだと思うのですが」

「どうぞ、ご遠慮なく」

「瞳さんもおっしゃっていたのですが、桜小路先生は、すごく綺麗なお顔立ちをされています。女性のファンの方も多いと聞いています。だから、先生が恋をしたことがないとおっしゃったことが、すごく不思議に思えるんです」

「小学校や中学では、色素欠乏症アルビノのせいで気味悪がられていました。高校生になると、さすがにそんな偏見はなくなりましたが、その頃には目がほとんど見えなくなっていて、誰も僕を遊びに誘ってくれませんでした。だって、考えてみてください。外出する時には、必ず、誰かの助けを借りなければならないのですが、僕の世話をしていたら、せっかく遊びに行っても楽しめないじゃないですか。僕もそんな負担を誰にも掛けたくないので、積極的に声を掛けませんでした」

 自分と一緒にいると迷惑を掛けてしまう。だから、誰とも一緒に遊びに行くことがなかったと言った響であったが、その表情から悲壮感は感じられなかった。

「車の運転もできないですし、暴漢から彼女を守ってあげることもできない。僕の小説に出てくるヒロインの恋人役の男性は、すべて、僕の憧れなのです」

 響は、自分に降り掛かってきた残酷な運命など、もう振り切っているように、表情を変えることなく、淡々と語った。

「今でこそ、僕の周りに女性が集まってきていますが、それは、『作家』という看板で集まって来ているだけなんですよ」

 恋愛小説を書いているにもかかわらず、響は意外と現実主義者リアリストのようだ。

「桐野さん」

「はい」

 詩織が見つめる先には、優しい微笑みが戻った響がいた。

「先ほども申しましたが、僕は、女性の容姿など見えないのですから、僕が一目惚れなんかすることはないと思っていました。でも、僕は、桐野さんの声に一目惚れ、いや、声ですから一耳惚ひとみみぼれと言うべきでしょうか? そんな気持ちになっているんです」

「えっと、そ、それはその、ど、どういう?」

 突然の恋の告白のような響の台詞に、詩織も焦ってしまった。

「ははは、すみません。いきなり大胆なことを言ってしまって。でも、桐野さんの声を聞くと気持ちが良いのは本当です。桐野さんの声に恋をしてしまったことは確かです。瞳が桐野さんを気に入っているのも、桐野さんの容姿とか性格もあるでしょうが、その素晴らしい声にも魅力を感じたからだと思いますよ。瞳はどう思う?」

 響が、顔を瞳の方に向けた。

「さすがに、そこまでは分析してないけど、お兄ちゃんの音に対する感性の鋭さは確かだから、きっと、そうなのよ」

 響が嬉しそうに表情を崩すと、また、詩織の方に顔を向けた。

「僕も、桐野さんの声を、これからも時々は聴きたいです。僕からもお願いします。ここには、ぜひ、気軽にいらっしゃってください」

「あ、あの、ありがとうざいます」

 この、今をときめく人気作家の響とのつながりが、将来、どのような運命をもたらすのか、今はまったく思い浮かばない詩織であった。

 その時、来客を知らせる呼び鈴が鳴った。

「ああ、もう二時かい?」

 響の問いに、瞳が、部屋に掛けられている時計を見ながら、「うん」と答えた。

「瞳、僕の書斎に通しておいてくれるかい?」

「うん。せっかく、詩織が来てくれているんだから、少し遅くなるって言っておくね」

「すまないね。できれば、瞳が何とか時間稼ぎをしてくれないかな。あと少しで良いから」

「分かった。詩織! 私がいない間に、お兄ちゃんを襲ったりしないでよ」

「え~! し、しませんよ!」

「あはは、焦る詩織も可愛い! じゃあ、十分くらい適当に相手をしてくるよ」

「ごめんよ」

 響の言葉を背中で受けてから、瞳がリビングを出て行くと、響が「出版社の人ですから、気にしないでください」と、来客が誰かを知らせた。

「僕もケーキを一緒に食べて、すぐにおいとまするつもりにしていたのですが、桐野さんの声に聞き惚れてしまっていたので、時間を忘れていました」

「でも、出版社の方をお待たせすると、お仕事に差し障りがあるのでは?」

「心配ご無用です。それより、桐野さん」

 響が姿勢を正して、詩織に深くお辞儀をした。

「瞳のこと、どうかよろしくお願いします」

 

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