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Act.041:モノクロな兄妹

 六月に入った、とある日。

 二時限目の授業が終わり、詩織しおりが教科書やノートを机の中に片付けていると、後ろから肩を軽く叩かれた。振り向くと、同級生が「E組の桜小路さくらこうじさんがお呼びですよ」と言って、教室の入り口を指差した。

 見ると、ひとみが教室の入口に立って、詩織に手招きをしていた。

 詩織が席を立つと、後ずさりするように廊下に出た瞳が、更に手招きをして、中庭に面した廊下の窓の前に立った。

 瞳は、隣に立った詩織に満面の笑顔を見せた。

「詩織、突然だけど、今度の日曜日は暇かな?」

「え、ええ、昼間は特に予定はないです」

 日曜日は夜にはアルバイトがある日だった。

「じゃあ、うちに来ない?」

「えっ? 瞳さんの家にですか?」

「うん! お兄ちゃんも詩織にもう一度会いたいんだって」

「桜小路先生が?」

「そう! 私があまりに詩織の話をするもんだからさ」

「そ、そうなんですか?」

 以前、ひびきに会わないかと瞳に誘われた時、響の本をまだ読んでないからと、一旦、断ったのだが、響本人が詩織に会いたいと言っているのに、理由もなく断ることなどできない。

「わ、分かりました。それじゃあ、お邪魔させていただきます」

「うん! それじゃ、携帯のアドレスを交換してもらって良い?」

「あっ、はい」

 詩織は一旦、自席に戻り、鞄からスマホを取り出すと、瞳とアドレスを交換した。

「これで、いつでも詩織と連絡できるね。待ち合わせの場所とか時間は、これで知らせるから」

 そう言うと、瞳は詩織に手を振りながら、E組の教室に去って行った。



 そして、日曜日。

 詩織は池袋西口公園で瞳を待っていた。

 いつものボーイッシュな格好では、いつぞや、ギターを持っている時に出会ったことを思い出させてしまうかもしれないと思い、スカートを衣装ケースの奥から引きずり出した。

 トップはともに淡い色合いのブラウスにサマーカーデガン、ボトムは膝上丈のフレアスカートにフリル付きソックス、足下はヒールの付いたオペラシューズという、どこから見ても、いまどきの女子高生ファッション。もちろん、学校に行っている時のように黒縁眼鏡も掛けている。

 最近はまったくしていなかった女の子的なファッションが、少し照れくさかった。

「詩織!」

 約束の時間の十分前には待ち合わせ場所に立っていた詩織だったが、五分前には、瞳もやって来た。

「待たせちゃった?」

「い、いえ、ついさっき、来たばかりです」

「詩織の服、可愛い! ほーんと、詩織って、何を着ても決まるよねえ」

「そ、そんなこと、ありませんよ。瞳さんだって素敵ですよ」

 瞳は、トップは白いスタンドカラーシャツ、ボトムは黒のミディスカートで黒ストッキングに足下は黒のショートブーツというモノクロ系のファッション。そういえば、以前に会った時も、響とお揃いのモノクロ系の服を着ていた。きっと、兄妹きょうだいのお気に入りなのだろう。

「私の家は、ここからすぐなの。行こう!」

 瞳について歩き出して、三分もしないうちに、瞳は「ここだよ」と言った。

 そこは、周りのビルよりも頭一つ高い高層マンションで、駅からの距離や、玄関ロビーのホテルのような豪華な造りからいって、かなりの高級マンションだと思われた。

 エレベーターで最上階三十五階に上がると、内廊下があり、その一番奥のドアに向かった。

 表札には「桜小路響」とその下に「瞳」と書かれていて、まるで新婚夫婦の家のようだった。

 ドアを開けると、中の造りも広々としており、玄関から奥に伸びる廊下の天井も高かった。

 その廊下の奥のドアを開けると、そこは、二十畳以上はありそうな応接間兼リビングで、ベランダのサッシからは池袋の街が一望できた。

「そこに座ってて」

 瞳が勧めたソファは二人掛け用だったが、詩織くらいの体格であれば、四人は並んで座れそうなほど、ゆったりとしていた。

 詩織がソファに座ると、瞳は対面式キッチンでお茶を入れる準備を始めた。

「あ、あの、瞳さん、お構いなく」

「そんな訳にいかないよ。だって、詩織は、初めて、私の家に遊びに来てくれた友達なんだもん」

「そ、そうなんですか?」

「うん。だって、ここは、お兄ちゃんの執筆部屋もあるから、誰彼呼ぶと、お兄ちゃんの邪魔をしちゃうことになるでしょ。文芸部の部員とかは、お兄ちゃんの空いた時間帯に、この近所にある喫茶店で会わせてるしね」

「そんな所に、私なんかがお邪魔して良かったんでしょうか?」

「詩織はね、お兄ちゃんも会いたいって言ってるんだから大丈夫だよ」

 響は、どうして詩織と会いたいと言っているのだろうか?

 体育祭の時の話で、瞳が詩織を家に呼びたがっているのが分かった響が、妹のために、その口実を作ってあげたのだろうか?

 詩織がそんなことを考えているうちに、瞳が苺のショートケーキと紅茶を持って来て、詩織の前のテーブルに置いた。

「これ、近所のケーキ屋さんのケーキなんだけど、超お勧めなんだよ」

 瞳は、詩織の対面と右横にも、それぞれショートケーキと紅茶を置いた。

「じゃあ、お兄ちゃんを呼んでくるから、ちょっと待っててね」

 瞳は、リビングを出て行くと、すぐに戻って来た。

 瞳の後ろには、白いスタンドカラーシャツに黒いパンツという、瞳と同じようなモノクロ系ファッションの響がいた。

 詩織は、すぐに立ち上がり、響がやって来るのを待った。

 響は、ゆっくりとした足取りでソファに近づいて来て、近くまで来ると、手でソファを触りながら、詩織が座っていたソファの右横に置かれた一人掛け用ソファに腰を降ろした。

 それを見てから、瞳が「詩織も座って」と言い、詩織の正面のソファに座った。

 詩織が再び腰を降ろすと、響が詩織の方に向き、「ようこそ、桐野さん」と頭を下げた。最初こそ、自分の目を見ずに話し掛けられることに戸惑ったが、次第に慣れてきていた。

「今日は、お招きいただきまして、ありがとうございます」

「詩織! 堅苦しい挨拶はなしなし! とりあえず、ケーキ食べよ! お兄ちゃんも」

「そうだね。桐野さん、どうぞ。僕もいただきます」

「は、はい」

 響は、注意深く、ゆっくりとテーブルの上を撫でるようにして、手に触れたティーカップを上手に握った。

「お兄ちゃんは、家の中のことは自分一人でできるんだよ」

 響のことをじっと見ていた詩織に瞳が言った。

「あっ、ごめんなさい!」

「そうやって、すぐに謝るのも詩織ならではだよね。それって、お兄ちゃんの仕草をじっと見てて、私を不快にさせたかもって思ったんでしょ?」

「は、はい」

「全然、気にしてないって。誰だって、身近に障害者がいないと、普段の生活はどうしてるんだろうかって、気にはなるよね。だから、最初は、いろいろと興味本位で見られても、別に何とも思わないよ」

「は、はい」

「むしろ腹が立つのは、障害を持ってる人が、何ができて、何ができないのかを確かめもせずに、最初から障害者は何もできないんだって決めつけて、お決まりの慰めの言葉を掛けてくる奴だよ」

 詩織が知っている勝ち気な瞳の顔が垣間見えた。

「瞳! 桐野さんが困ってるんじゃないのかい?」

「あっ、ごめんなさい! そうだ、ケーキ、ケーキ! ケーキ食べてみて!」

「はい、じゃあ、いただきます」

 詩織は、ショートケーキを一口大にフォークで切って、口に入れた。

 生クリームが口の中で溶けてしまい、スポンジ生地も滑らかだった。

「美味しいです!」

 本心から、詩織はそう思った。

「でしょ!」

 狙っていた言葉が出たからか、満足げな顔をした瞳が、詩織の顔をのぞき込むようにして見た。

「詩織ってさあ、絶対、嘘が吐けないでしょ?」

「えっ?」

「だって、ケーキを食べて幸せって気持ちが、そのまま、言葉に出たって感じたもん」

「う、嘘は……、いっぱい吐いてます」

 内緒でバンドをしていること。

 内緒でアルバイトをしていること。

 昔、アイドルをしていたこと。

 学校の友人には、いっぱい嘘を吐いていた。

「そりゃあ、誰にだって、人には言えないこととか、言いたくないこととかあるよね。それを秘密にしているってことじゃなくて、心に感じたことをそのまま声に出して言うこととか、自分の考えをそのまま行動に移しちゃうところとか? そういうところがない?」

 アイドルを引退してバンドを始めたことは、まさに自分の考えをそのまま行動に移したことだ。

「それはそうかもしれません」

「でしょ? だからだろうと思うんだけど、詩織と一緒にいても、疑心暗鬼にならなくて済むというか、こっちがいちいち気を揉む必要がないって感じなんだよね。そんなところが、私が詩織を好きな理由なのかもしれないなあ」

「瞳」

 優しい声で響が瞳を呼んだ。

「そろそろ、僕にも桐野さんと話をさせてくれないかな」

「あっ、ごめんなさい! お兄ちゃんも詩織と話をしたかったんだったね」

「うん、良いかな?」

「もちろん」

 瞳の返事を聞いてから、響は詩織の方に顔を向けた。

「実は、瞳がこんなに仲良くなった友人と呼べる方は、桐野さんが初めてなんです。だから、僕も桐野さんがどんな方なのか興味がわいたのです」

 瞳は、学校でも文芸部の部長として多くの部員を引っ張っているはずだし、体育祭の時、瞳の周りには同級生達もたくさん集まって来ていた。そんな瞳だから、響が言った言葉がすぐには信じられなかったが、詩織は、それを問い質すことまではしなかった。

 一方、響は詩織の顔をじっと見ていた。

「僕から、いろいろと桐野さんに質問をさせていただいてよろしいですか?」

「は、はい」

 いったい何を訊かれるのだろうと、詩織が少し身構えた雰囲気が分かったのだろうか、響が申し訳なさそうに少し頭を下げた。

「ああ、すみません。別に、桐野さんを尋問するつもりではありませんので、普通に雑談させてください」

「は、はい」

「桐野さんは、歌はお好きなんですか?」

 

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