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Act.039:歌に込める気持ち

「失礼ですが」

 かなでの背後から声を掛けてきた男性がいた。

 振り向くと、体格の良い男性が立っていて、奏を見つめていた。

 まだ記憶に新しい、榊原さかきばらだった。

「ああ、やっぱりそうだ。山田楽器のピアノ講師をされている藤井ふじいさんですよね?」

「はい。榊原さんですね? その節は、ごちそう様でした」

「いえいえ! 今日は?」

「下見です」

「ああ、確か、ご自分のバンドをされているとおっしゃっていましたね。ひょっとして、こちらが?」

「ええ、一緒にバンドをしているメンバー達です」

「そうですか。初めまして! 『エンジェルフォール』という音楽芸能事務所をやっています、榊原と申します」

 榊原が、詩織しおり玲音れお琉歌るかにまとめてお辞儀をした。三人も同時に頭を下げたが、詩織がそれとなく玲音の後ろに隠れるように立ち位置を変えたのが分かった。

「藤井先生。よろしければ、メンバーの皆さんをご紹介していただけませんか?」

 奏は、一瞬、詩織の顔を見たが、すぐに紹介しない方がおかしいし、かえって怪しまれると思い、自分でみんなを紹介することにした。

「ベースの萩村玲音、ドラムの萩村琉歌、そしてギターボーカルの桐野詩織です」

 三人は、改めて、榊原にお辞儀をした。

「榊原さんは、少し前に山田楽器においでになって話をさせていただいたの。将来有望なミュージシャンの発掘をされているんですって」

 しばらく、何かが喉につかえていたような顔をしていた玲音が、「あっ!」と大声を上げた。

「どこかで会ったことがあるなって思っていたけど、マーブルチョコの!」

 榊原も、すぐに玲音のことを思い出したようだ。

「ああ、江木田のコンビニにいた威勢の良い方ですね!」

「あ、はは、どうも! って、音楽芸能事務所で働いている方だったんですね?」

「働いているっていうか、社長さんよ」

 奏が説明すると、玲音の顔つきが変わった。

「マジで! アタシらのバンドにも興味があるんですか?」

「ええ、藤井先生が組まれているバンドということで、ぜひ、演奏を聴いてみたいですね」

 奏は、玲音が嬉しそうな顔をした一方で、詩織が不安げな表情を見せたことも見逃さなかった。

「榊原さん。私達は、まだ、ライブもやっていません。そのライブで自分達が納得できる演奏ができれば、その後に連絡をさせていただいてよろしいですか? それに今日はこれから、ここでのライブも楽しみたいですし、落ち着いて話もできませんから」

 興奮している玲音を横目に、奏が冷静に対応した。

「そうですね。ライブをされる時には、ぜひ、お声掛けをお願いします。必ず、聴きに行きますから」

「ありがとうございます。その節には、以前にいただいたお名刺の連絡先にご連絡させていただきます」

「了解です。皆さんの演奏を聴けることを楽しみにしております」

 榊原は、メンバーに会釈をすると、客席の一番後ろで、一段高くなった所にあるPAブースに行き、そこに並んで二人座っている男性のうち、年配の男性に話し掛けていた。

「あれが、ここのマスターだよ」

 玲音がマスターだと教えてくれた男性は、いつもニコニコと笑っているようなエビス顔で、短く刈った髪にも白髪が交じった小柄な男性だった。

「何だか、人の良さそうなおじさんね」

 奏が思い描いていたイメージとは掛け離れていて、まるで幼稚園の園長先生のような穏やかな雰囲気を持っていた。

「あのエビス顔でけっこう辛辣なこと言われるから、逆にショックが大きいんだよな」

 前回の出演の時に酷評されたという玲音の苦々しい表情からすると、本当にそうなのだろうが、奏は、あの顔で厳しいことを言っているシーンが想像できなかった。

 玲音からPAブースに視線を移すと、榊原がマスターと笑いながら話をしていた。どうやら旧知の仲のようで、ともに音楽を生業なりわいにしようという若者を数多く見てきているはずで、いろいろと情報交換もしているのだろう。

「それより、玲音も榊原さんとどこかで会ってたの? それに、マーブルチョコって?」

「アタシがバイトしている江木田のコンビニに、マーブルチョコを買いに来たんだ」

「そんなんで記憶に残ってるの? ひょっとして、榊原さんは玲音の好みのタイプ?」

「コンビニで嫌がらせをするチンピラを追い出してくれたんで憶えてるんだよ。確かに、あの少し野性味溢れる雰囲気とかは嫌いじゃないぜ」

 榊原は、優男やさおとこがタイプである奏の好みとは違っていたが、玲音の嬉しそうな顔からすると、玲音の好きなタイプなのだろう。

「でも、残念ながら、奥様と子供さんもいらっしゃるわよ」

「やっぱりなあ。良い男は早く売れていくんだな」

「それじゃあ、残り物は良くないって言ってるようなものじゃない!」

「あはは、ごめんごめん! 奏のことを言ってるんじゃないから」

「私は、まだ、残り物なんかじゃないわよ!」

「そうですよ! 奏さんは、お肌もピチピチだし、今が旬なんですよ!」

 詩織が、奏と腕を絡めながら、弁護してくれた。

「ありがとう、詩織ちゃん!」

 奏は詩織と腕を組んで、どうだとばかりに玲音を見返した。

「詩織ちゃんだって、言ってくれてるもんね」

「奏、本当にピチピチのおシオちゃんに言われて、逆に虚しくないか?」

「……少しね」

「わっ、私、そんなつもりで言ったんじゃないんです!」

 奏の言葉で、詩織がテンパったように弁解をした。

 奏にバンドをしないかと声を掛けてきてくれた時のように、焦る詩織も可愛いと思った奏であった。



 間もなく、次のバンドのステージが始まった。

 ギター&ボーカル、ギター、ベース、ドラムの男性四人組で、演奏はシンプルで、どちらかというと、歌を聴かせるバンドのようだ。そのボーカルは、男性としては高音が良く伸びるクリアな声をしていた。

 チラシに書いてあったバンド紹介によると、噛めば噛むほど味がしみ出てくる音楽をやっていきたいということで、「おしんこブラザース」と名付けたらしいが、奏は、「噛めば噛むほど味がしみ出てくるのは、『おしんこ』じゃなくて『するめ』じゃない?」と、一人、心の中で突っ込んでいた。

 しかし、その演奏は洗練されていて、メンバーの爽やかそうな雰囲気と併せて、既に多くのファンを獲得しているようで、ステージ下には二十人ほどの女性達が詰めかけていた。

 曲が終わり、MCの時間になると、玲音が丸テーブルに肘を着いて、奏達に顔を近づけながら小さな声で話した。

「歌は上手いけど、何か心に響かないよな」

「玲音! あんた、いったい何様なの?」

 奏が玲音を睨んだ。

「えっ、自分の素直な感想を言っちゃいけないのかよ?」

「上から目線すぎるのよ」

「じゃあ、奏はどう感じたんだよ?」

「私は、……まあまあかな」

「何だよ、それ! 結局、アタシと同じじゃね?」

「もうちょっと、オブラートに包んだ言い方ってもんがあるでしょ」

「うちのメンバー相手に何でオブラートに包む必要があるんだよ? 奏だって、もっと、ずばって言っちゃいなよ」

「なんでよ?」

「あれっ、奏ってば、まだ、アタシ達に心を開いてくれてなかったんだ。アタシは悲しいぜ」

 玲音に煽られて、奏もその気になってしまった。

「分かったわよ! ええ、そうよ! ボーカルが自分に酔いすぎてて、気持ち悪かったわよ!」

「……奏さん、声、大きすぎです」

 詩織が顔を伏せながら小さな声で呟いた。

 ステージ前にいたファンの女の子がこっちを睨んでいた。

「れ、玲音! 本当にあんたはどんだけナルシストなのよ! 自分に酔いすぎなのよ! キモいのよ!」

 ファンの女の子達から半殺しにされそうな殺気を感じた奏は、咄嗟に玲音に対して大声で罵声を浴びせた。

 奏が言ったことが、自分達が応援するバンドのことではなかったと安心したファンの女性達もステージの方に向き直った。

「奏、酷くね?」

「ごめん! 玲音! 何でも言うこときくから許して!」

 奏は、手を合わせて拝むようにして、玲音に謝った。

「じゃあ、無料飲み放題三回で許してやろう」

「……何で三回も?」

「アタシ、傷付いたなあ。ガラスのハートが粉々だよ。もう立ち直れないかもしれないなあ」

「……分かったわよ!」

「えへへ、ごっち~。それはそうと、琉歌とおシオちゃんはどう思った?」

 まったく、ハートは傷付いていないような玲音が、詩織と琉歌に話を振った。

「ボクもね、BGMを聴いてる気がしちゃった~」

 琉歌の言葉に、玲音も「うんうん」とうなずいた。

「そうだよな。ライブでもCDと同じレベルの音が出せることはすごいことだし、目指したいことだけど、ただのBGMにしか思えないのは、ライブとしてどうなのって思うよな。おシオちゃんは?」

「上手く言えませんけど、そうですね、……その歌詞は、そういう意味じゃないんじゃないかなあって思いました」

「えっ、どういうこと?」

「あ、あのですね、歌詞と歌声が、ところどころ、合ってないなあって思ったんです。そこは、そういう気持ちを込めるところじゃないんじゃないかなって」

 詩織の歌を聴くと、その曲に込められた気持ちが当然のように伝わってくる。そんな詩織ならではの感想を聞いて、奏と玲音、そして琉歌は顔を見合わせた。

「うちのリードボーカルを早く自慢したいぜ」

「本当ね。ライブが早くできれば良いわね」

 珍しく玲音と奏の意見が一致した。

 

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