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Act.038:敵情視察

 まだ爽やかな五月晴れの日が多かったが、雨の日もそれなりに増えてきた五月の最終週。

 梅雨の季節が近づいて来ていることが感じられる雲が垂れ込め、少し蒸し暑さも覚える水曜日の午後六時。

 かなでは、江木田駅から一緒に来た詩織しおり玲音れお、そして琉歌るかと池袋駅東口で落ち合った。

 バンドを始めたことで、少しシフトを変えてもらい、毎週水曜日が休みになっていたことから、それに合わせて、最近、ロックバンドのライブには行っていないという詩織と奏のために、今日は、池袋にあるライブハウスで他のバンドのライブ見物をすることにしていたのだ。

 いつもどおり可愛い笑顔で近づいて来る詩織はカジュアルなパンツルックで、ボーイッシュな格好が、かえってキュートさを際だたせている気がした。そして、玲音は、黒のカットソーとブラウンのミニキュロットに黒いレギンスをセンス良く合わせていて、琉歌はボーダーTシャツに定番のオーバーオールジーンズという三者三様のスタイル。

 奏は、白いTシャツの上に羽織ったダンガリーシャツの裾を前で結び、麻素材のミディ丈スカートに黒のショートソックス、足元は黒のオペラパンプスという、自分でもお気に入りのファッション。

「奏、その服、可愛いけどさ、ちょっと無理があるんじゃね?」

 開口一番、早速、玲音が突っ込んできた。

「うるさいわね! こんな服が好きなんだから仕方がないじゃない! 自分のスタイルを貫けって言ったのは玲音でしょ」

「そうだけどさ」

「とりあえず、ご飯、食べましょうよ! お腹、空きました!」

 玲音と奏の二人にとってみれば、その言い争いはレクリエーションに等しいのだが、詩織はハラハラしているみたいで、二人の仲を取り持ってあげようと、いつも割り込んでくるのだ。

「そうだね。じゃあ、奏の奢りで」

「詩織ちゃんと琉歌ちゃんの分は奢ってあげても良いけど、玲音の分は死んでも払わないからね!」

「この前、奢ってくれたじゃん」

「その時はそんな気分だったけど、今は違うから」

 などと、わいわいと騒ぎながら四人は、点心の店に入って行った。

「安くて美味しくてボリュームがあるのは中華だよね。ここは、いろんな点心を少しずつ食べることができて、お得なんだよ」

 この店は玲音の紹介だった。

 平日の夜なので、会社帰りのサラリーマンやOLの集団が多くいて、店内はざわついていた。店員から案内された四人掛けのテーブルに着くと、「みんな、好き嫌いとかないよね?」と言った玲音が、返事も待たずにテキパキとオーダーをした。

 飲み物もすぐに来て、一人だけサイズが大きいビールジョッキを掲げた玲音が「かんぱーい!」と音頭を取った。

「あんた、それ、全部飲むの?」

「これだけで足りるわけがないじゃん」

「……訊いた私が馬鹿だったよ」

「奏こそ、それで足りるのかよ?」

 玲音が奏の前に置かれている中ジョッキを指差して言った。

「玲音と違って、私は周りの目を気にするの」

「誰も見てないって」

「……家じゃないんだから、乱れるわけにいかないでしょ」

「飲むと乱れると自覚してんだ」

「あんたと同じにしないでよ」

「アタシは飲んでも変わらないから」

「……それもそうね」

 自分を飾り立てることのない玲音との言い争いは、奏のストレス発散に役立っていた。

 学生時代の友達も三分の一は結婚をして家庭に入り、残りの三分の二は音信不通という状態で、学生の時のような馬鹿話をする機会もほとんど無くなっていたが、バンドメンバーとの集まりは、その貴重な機会であった。



 お腹を満たした一行は、連れだって店を出た。

 午後八時過ぎで、多くの人がネオンの輝く通りを練り歩いていた。

 そんな雑踏をかき分けるように、先頭に立って歩いていた玲音が、ある雑居ビルの前で立ち止まった。そこには、道路に面して地下に降りる階段があり、階段の入口の脇には「Heaven’s・Gate」と書かれた電飾看板が立てられていた。

「ここがアタシの憧れのステージ! 『ヘブンス・ゲート』だよ!」

「憧れって、どういうこと?」

 奏の問いに、詩織もうなずいた。

「ここでワンマンライブを成功させることが、プロデビューの登竜門だと言われてるんだよ」

「どうしてですか?」

「ここのマスターのバンドの善し悪しを見極める目が確かだと言われていてさ。そのマスターのお眼鏡にかなって、ここで単独でライブできること自体が、プロデビューを目指すミュージシャンにとっては、一つの目標なのさ」

「そうなんですか」

「実は、前のバンドの時、合同ライブで、ここに出たことがあるんだ。自分達では良い出来だと思っていたんだけど、終わった後にマスターからもらった感想はメタメタだったよ。実際、その後、そのバンドはすぐに解散しちゃったけどね」

 奏の頭に、なぜだか、眼鏡を神経質そうにズリ上げながら、「君達は、いったい何をしたいんだい?」と冷徹に言い放つ男性のイメージが浮かんできた。

「とにかく、中に入ろうぜ」

 狭い階段を降りきった所に金属製のドアがあった。

 そのドアを開けると、真正面には防音仕様と思われる扉、少し離れた場所には普通の木製の扉があるだけの細く狭い部屋があり、そこには学校で使われているような机と椅子が一つだけ置かれていて、女性が一人座っていた。

「いらっしゃいませ~」

 やる気のない挨拶をした女性だったが、玲音の顔を見て微笑んだ。

「あれっ、玲音さん! お久しぶりで~す! 今日、知り合いのバンドが出ているんですか?」

「うんにゃ。最近、新しいバンドを組んだので、敵情視察に来たのさ」

「な~るほど! じゃあ、お一人様ワンドリンク付き二千五百円で~す!」

 チケット代もバンドの会計から出すと、四人は防音扉を開けて、中に入った。

 いきなり轟音が耳に飛び込んで来た。頭が揺さぶられるくらいの音量だったが、すぐに慣れた。

 扉の中はオールスタンディングの客席で、ステージの近くには、今、演奏をしているバンドのファンだと思われる人達が集まり、腕を振り上げながら、体を揺らしていたが、客席の後方には、立って寄りかかれるくらいの高さの小さな丸テーブルが間隔を開けて置かれていた。見渡すと、ぎゅうぎゅう詰めということはなく、ある程度、余裕がある観客の入りだった。

 四人も、入口のすぐ近くにあるバーカウンターで好みの飲み物を受け取ると、一番後ろにある丸テーブルの周りに立った。

 間もなく、ステージで演奏していたバンドのステージが終わった。

 ステージが暗くなるとともに、客席の照明が点いた。

「今日は、四つのバンドのジョイントらしい。あと二つのバンドが演奏する予定だよ」

 入口でもらったチラシを見ながら玲音が話した。

「どんなバンドなの?」

「次は『おしんこブラザーズ』という名前の男性ボーカルバンド。最後が『マーマレード・ダンス』という名前の女性ボーカル。どっちもオリジナル曲をするんだって」

「最後の女性ボーカルさんが楽しみです!」

「私は、詩織ちゃん以上のボーカリストはいないって思ってるから、バックの演奏の方を楽しみにしてるわ」

 奏が詩織に言った。

 そのとおりだった。詩織のボーカルは、練習で何度聴いても飽きることがなかった。

「そ、そんなこと、ないですよ。ボーカルもそうですけど、ミュージシャンの魅力は千差万別ですから」

 照れて、控え目なコメントをする詩織に、奏はいつも感じていた疑問をぶつけた。

「ねえ、詩織ちゃんって、本当に桜井さくらい瑞希みずきをしてたの?」

 詩織を見ながら、奏が四人にしか聞こえない声量で訊いた。

「い、一応」

「何だよ、今頃? おシオちゃんは、本当は桜井瑞希のそっくりさんでしたってオチを期待してるのかよ?」

 今さらな奏の問いに、詩織のみならず、玲音も戸惑っているようだ。

「そうじゃなくて、詩織ちゃんって、本当に謙虚だなって感心をしたのよ。だって、桜井瑞希って、当時は天下を取ってたでしょ? 言うなれば、日本一のボーカリストだった訳じゃない。もっと、天狗になってても良いと思うんだけどな」

「て、天狗ですか?」

「うん。でも、そうならないのが、詩織ちゃんの奥ゆかしいところなんだろうけどね」

「そこが、奏とおシオちゃんとの違いなんだよ」

 玲音がお約束どおり突っ込んできた。

「私を引き合いに出す必要はないでしょ! それに、私は一日すら天下を取ってないから!」

「それもそうだな」

「そこですぐに同意しない!」

 と怒ってみたものの、一秒ですら、天下を取ったと言える出来事を思い出せない奏だった。



 次のバンドが準備をしている間、今まで出演していたバンドのメンバーが客席に出て来て、和やかな雰囲気で、ファンの人達と交流を楽しんでいた。

「私達にも、あんなファンが付いてくれるかしら?」

「奏にファンが付くかどうかは分からないけど、おシオちゃんには、絶対、ファンが付くに決まってるよ」

「相変わらず、ひと言多いわね! でも、いくら、歌と演奏で勝負するって言ってても、できたファンの人は大切にしないといけないでしょ?」

「そりゃあ、そうさ」

「すると、あの人達みたいに、ファンの人と交流をする必要も出てくるよね?」

 奏が詩織の顔を見ながら言ったことで、みんな、奏が言いたいことが分かったようだ。

「奏さん、心配してくれて、ありがとうございます。でも、私ももう吹っ切れてます。できるだけ隠したいですけど、私が昔の自分に気づかれまいとすることが、バンド活動のために悪いことであれば、その時には諦めます」

 詩織が元アイドルだと知れると、クレッシェンド・ガーリー・スタイルというバンドは、元アイドルが返り咲くためのご都合バンドという目で見られかねない。そしてそれは、魅力的な詩織のボーカルに真剣に耳を傾けることを阻害させるかもしれない。メンバー全員が、「曲が良い」とか「ライブがすごい」とか、そういう評判を先行させたかった。そのためには、昔の詩織のことを知られるのは、遅ければ遅いほど良かった。

「でも、本音を言うとね、あの桜井瑞希ちゃんと一緒にバンドをしてて、それを秘密にしている今の状態が、何だか楽しいってこともあるんだけどね」

 奏が本音を漏らすと、玲音と琉歌もすぐにうなずいた。

「ああ、それ分かるわ! アタシもそうなんだよね」

「ボクも~。何となく、密かな優越感とかに浸れちゃうよね~」

「そうなんですか?」

 当の詩織は、三人の気持ちが分からないようで、ぽかんとした顔をしたが、それも可愛いと思ってしまった奏であった。

 

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