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Act.037:化学反応

 私立アルテミス女学院の体育祭も無事に終わり、午後四時頃、下校となった。

 今日は土曜日で、月曜と木曜がスタジオリハの日であるクレッシェンド・ガーリー・スタイルのメンバーが集まる日ではなかったが、今夜は午後七時に、かなでの家に集合することになっていた。

 今日、集合する目的は、琉歌るかの希望で応募することになった、ネットゲーム「イルヤード」のオープニングソングを、みんなで一緒に作ることだった。

 もっとも、夕食も一緒に食べようということになっていたから、おしゃべりで費やされる時間がかなりの割合になるだろう。

 詩織しおりは、玲音れおと琉歌と一緒に江木田駅から電車に乗り、池袋駅から歩いて十分という場所にある奏のマンションまでやって来ると、三階にある奏の部屋に向かった。詩織と玲音は背中にソフトギターケースを背負い、琉歌もリズムマシンが入ったリュックを背負っていた。

 玄関の呼び鈴を鳴らすと、すぐにエプロンを掛けた奏がドアを開けた。

「いらっしゃい」

「こんばんは!」

 詩織が元気に挨拶をすると、奏は嬉しそうに笑った。

「奏! 酒もいっぱい持ってきたぞ!」

 その詩織を押し退けるようにして、玲音がレジ袋から溢れるほどの缶ビールや缶チューハイを掲げた。

「今日は宴会するんじゃないでしょ!」

「でも飲むだろ?」

「まあ、いただくけど」

「そうこなくっちゃ!」

「でも、ちゃんと曲を作ってよ~」

 発起人である琉歌が、玲音と奏が酒を飲み過ぎて作業から脱落することを恐れた。

 奏の部屋は、玲音や琉歌の家と違い、ドアを入るといきなり部屋ではなく、リビングまでには短い廊下があり、そこに浴室とトイレがあった。廊下の突き当たりには室内ドアがあり、そこを開けるとキッチン付きの広いリビングだった。

 大卒後、すぐに山田楽器に就職して、その頃からずっと暮らしているだけあって、大型テレビやセミダブルのベッドなどの家電や家具も充実しており、玲音曰く「ひとクラス上の生活」をしていた。

 対面式キッチンの前には、ちゃんと四つの椅子がセットになったお洒落なテーブルがあり、その上には卓上コンロが置かれ、既に土鍋がセットされていた。

「まずは腹ごしらえしようか?」

「さんせ~い!」

「何のお鍋なんですか?」

「ブリをしゃぶしゃぶにしようかと思ってさ」

「マジで!」

「これよ」

 奏がキッチンから持ってきた大皿には野菜とともにブリの切り身が山盛りになっていた。

「こんなに?」

「奏、バンドの会計から出そうか?」

 玲音も奏に負担を掛けたのではないかと心配になったようだ。

「心配無用よ。ブリは実家から送ってもらったものだから只! 野菜も今日は近所のスーパーの特売日だったからね」

「ごちっ!」

「玲音、こういうときだけ、お礼が早いわね」

「奏の気が変わらないうちにな」

「そんなにせこくないから!」

「早く食べよ~よ~」

 琉歌が腕を振り回しながら急かした。

「うん、食べましょう!」



「美味しかった~」

「もう、お腹いっぱいです」

 未成年の詩織と飲み気より食い気の琉歌が上半身を反らしながらお腹をさすった。一方、玲音と奏の前には、それぞれ三本ほどチューハイの空き缶が並べられていた。

「奏! あとは乾き物で行くか?」

「そうね」

「ちょっと~、酔っ払う前にやろうよ~」

 玲音と奏の飲み足りない様子に、琉歌も自分の心配が現実のものになりそうだと危惧したようだ。

「終わってから、ゆっくりと飲んでくださいね」

 詩織が玲音と奏に笑顔で言うと、二人とも恐縮した顔を見合わせた。

「ありゃあ、一番年下のおシオちゃんに注意されちまった」

「まったく、これだから玲音は」

「奏も飲む気満々だっただろ?」

「ま、まあ、ちょっとね。でも、詩織ちゃんに叱られたら従うしかないわね」

「そ、そんな大袈裟な」

 十歳も上の奏からそんなことを言われて、逆に詩織が恐縮してしまった。

「可愛い妹のような詩織ちゃんには敵わないってことよ」

「娘じゃねえの?」

 玲音の奏イジリは、わずかな隙間も逃さなかった。

「十歳で子供が産める訳がないでしょ!」

「お姉さんですよ! 奏さんも玲音さんも琉歌さんも、私の大好きで大切なお姉さんです!」

 詩織の言葉に三人がデレた。

「じゃあ、玲音、やろうか?」

「おうよ! アタシだって、やるときゃやるぜ!」

 奏が食卓を立ち、部屋の隅に置かれていたキーボードの前に座った。詩織達もキーボードの周りの床に座った。

「じゃあ、琉歌ちゃん、お願い」

「ほ~い」

 琉歌が、キーボードの横に置かれていた真新しい小さなミキサーにリズムマシンを接続した。このミキサーは、編曲に使用するために、奏が、最近、買ったものだ。

「じゃあ、行くよ~」

 琉歌がリズムマシンのスイッチを入れると、あらかじめセットされていたリズムが流れ出した。ミディアムテンポのエイトビートだ。そして、それに併せて、奏がキーボードを演奏しだした。

 詩織が書いた詞に玲音が曲を付けて、玲音が自ら弾くギター一本の伴奏で仮歌として録音した音源を、ネット上でメンバー全員がシェアできるようにしていて、今日は、みんなで話し合いながら、まだ骨しかないその曲に編曲アレンジという肉付けをしていくのだ。

 まずは、奏が伴奏の核となるフレーズやリフを披露した。

 奏の部屋なので大きな音は出せないが、Aパートはピアノ系、Bパートからサビについてはパイプオルガン系の音に変えて演奏されたフレーズからは、「イルヤード」の重厚な世界観が伝わってきた。

「かっけー! さすが、奏だ!」

 玲音が、いつになく素直に奏を褒めた。

「そ、そうかな。詩織ちゃんの詞も壮大な感じだったので、それに合わせてみたんだけどね」

 ゲームの世界をイメージすることができなかった詩織は、この話を聞いた時に、琉歌の部屋に行き、実際にゲーム画面を見せてもらった。テレビゲームすらしたことがなかった詩織は、綺麗で迫力があるゲーム画面に驚いた。そして、その画面の中に引き込まれそうになった。好きな人は、リアル世界と違うゲーム世界で「生きている」という感覚になることもあるだろうなと納得もした。そして、琉歌が語った「イルヤード」の魅力を自分なりに解釈をして詞を書いたつもりだった。

 玲音も琉歌からゲームの雰囲気について聞いていたのだろう。玲音が作った曲調もゲームの壮大さをよく表していて、きっちりと作り込むと、すごく良い曲になるのではないかと、詩織もそんな予感がしていた。

 そして、今、奏が考えた伴奏のフレーズやリフを聴いて、曲の全体像が何となく見えてきた気がした。

「ああ、それで玲音」

 玲音に褒められて照れていた奏が、真顔になって、玲音を呼んだ。

「サビに移る直前のところ、シーよりエーマイナーの方が良いんじゃない?」

「弾いてみて」

 奏がコードを変えて弾いてみた。

「う~ん」

 玲音が顎を手に乗せるようにして考え込んだ。

「確かに、奏の意見も有りなんだけど、アタシのイメージとは、ちょっと違うんだよな」

「分かった。そこは、私も特にこだわりはないから、とりあえず、元どおりでいこうか?」

「うん、よろしく!」

「あと、今、弾いてみて思ったんだけど、サビは、もうちょっと交響曲ぽくしても良いかもね」

「どんな感じ?」

「えっとね、こんな感じかな」

 玲音のリクエストに、奏も少し考えただけで、すぐに即興でサビのフレーズを弾いた。

 さすがにシンセサイザーでも吹奏楽団の音など出せる訳がないが、「それっぽい」音とフレーズで壮大さがより増していた。

「おお! それ! それだよ、奏! 早く出してよ!」

「別に出し惜しみしてたんじゃないわよ!」

 自分のイメージにドンピシャだったのか、玲音が目を輝かせた。

「でも、それ、すごく良い感じです! ギターはあえて、十六で刻んでみたらどうでしょうか?」

 詩織もインスピレーションがわいて、ギターのフレーズが浮かんできた。

「面白いかも~。でも、ドラムまで十六刻むとせわしない感じになっちゃうかも~」

 いつもはのほほんとしている琉歌も自分の意見をしっかりと言った。

「ベースとドラムは、リズムを変えない方が良い気がするな。サビだけギターがカッティングで十六を刻むか?」

 四人から次々に案が出された。

 みんなが自分の意見をぶつけ合うが、他のメンバーの意見を頭ごなしに否定するのではなく、選択肢の一つとして検討をする。実際に演奏もしてみる。そして、また、みんなで話し合う。それの繰り返しで、曲は磨かれていった。

 とりあえず、みんなの意見をまとめた曲のイメージができると、リズムマシンとキーボードの音が録音されたものに、ベースとギターを重ね録りしていった。

 その後、各パートのフレーズのマッチングやバランスをチェックしながら、何度か録り直しをするなどして、作業開始から二時間ほどでボーカルオフの仮デモテープができあがった。簡易な機器での録音なので音はしょぼいが、メンバーが曲の完成形のイメージを共有するためには十分であった。

 元の曲調からはかなり変わったが、ゲームのイメージにより近づいたのではないかと、詩織も納得する出来映えだった。

「かなり、良くなったんじゃね?」

「そうね。最初に思っていたのとは違ったけど、良くなったのは違いないわね」

 玲音と奏の意見が一致した。

「どうだ、琉歌?」

「良いよ~、ゲームのオープニングシーンが頭に浮かんできたよ~」

「琉歌がそう言うんなら間違いないだろう。おシオちゃんは?」

「私も、こんなに変わるとは思ってもなかったですけど、すごく良くなったと思います。やっぱり、バンドって面白いですね」

 今のクレッシェンド・ガーリー・スタイルのオリジナル曲作りは、詩織の書いた詞に玲音が曲を付けて、琉歌がリズムアレンジを、その他のアレンジ全般を奏が分担していたが、最終的に曲として完成させる際には、詩織自身がその歌詞に込めた想いをメンバー全員に説明して、メンバーがそれを理解した上で、イメージを膨らませながら曲に仕上げていくというスタイルをとっていた。

 しかし今回は、ゲームのテーマソングということで、実際のゲームのイメージが既にあって、それにどこまで近づけることができるかが一つの命題であった訳で、詩織の歌詞が百パーセント優先される訳ではなかった。

 実際に曲の肉付けができあがってくるに従って、今度は歌詞が合わないという箇所も出てきて、詩織もその都度、即興で歌詞を書き換えた。

 四人の個性と考えがぶつかり合って、あるいは融合しあって化学反応を起こすように、曲が劇的に変化していったのを目の当たりにした詩織は本当に感激してしまった。一人で音楽をしていたら、けっして味わえない醍醐味であり妙味だった。

 週明けの月曜日にはスタジオリハがある。そこで、更にブラッシュアップをして、その次のスタジオ入りの日に正式な録音という段取りになった。

「よし! じゃあ、一応の完成を祝して飲もう!」

「そうだね。頑張った自分達へのご褒美として飲もうか?」

「そうそう、それ! 自分達へのご褒美!」

 ちゃっかり、奏が言った「飲む理屈」に同調する玲音に、琉歌がふくれっ面を見せた。

「え~、じゃあ、ボクとおシオちゃんへのご褒美は~?」

「池袋で美味しいって噂のお店のケーキを買ってきてるわよ」

 奏が冷蔵庫の中から紙箱を取りだして来た。

「奏さん、ありがと~」

 琉歌が、まるで神様を拝むように、奏に手を合わせた。

「ここのケーキは私も一回食べてみたかったんだ」

 そう言いながら、奏がテーブルの上で紙箱の蓋を開けると、中には四種類のムース系プチケーキが入っていた。

「わあ、美味しそうです!」

 甘い物には目がない詩織も思わず声を上げてしまった。

「玲音は、まだ食べないでしょ?」

「てか、アタシはあまり甘い物を食べないんだよな。どうせ、奏だって、しばらく酒を飲んでるだろうから、琉歌とおシオちゃんが食べたら良いじゃん」と、缶チューハイ片手にポテチをかじっていた玲音が言った。

「いや、私も食べてみたかったって言ったでしょ? それに、このケーキ、一応、私が買ってきたんだけど」

 ケーキの提供者たる奏の意見も訊かずに、勝手に分配をする玲音に、奏が不満げな顔を見せた。

「バンドのオリジナル曲と同じで、この四人の前に出した瞬間から四人の共有になるんだよ」

「何、それ?」

 と言いつつも、奏の顔を見ると、玲音の考え方を否定していないようだった。

「しかし、奏は、酒も飲んで、ケーキも食べるつもりだったのかよ?」

「そ、そうだけど」

「カロリー取り過ぎじゃね? そういえば、出会った頃から、ちょっとふくよかになった?」

「……詩織ちゃん! ケーキ二つ食べて良いからね!」

 強引に詩織にケーキを勧める奏に、玲音が言ったことが図星だったのかと思った詩織であった

 

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