prelude04:藤井奏
ピアノの個人レッスンが終わり、次の生徒さんが来るまでの休憩時間。
バッグから、スマホを出してみると、着信ランプが点滅していた。
急いで画面を見た奏は失望の表情を隠そうとしなかった。
実家からだった。
どうせ、いつものことだろう。耳にタコができるくらい聞かされている。
「良い人できた?」
「そろそろ帰ってらっしゃい」
「親戚から良い人を紹介してもらったのよ」
――うんざりだ。
どうせ、答えもいつもと同じだ。
でも、もし、今の彼氏との仲が進展すれば、良い知らせを連絡することができるだろう。そう、進展すれば……。
レッスン室のドアが開き、楽器店の女性店員が声を掛けて来た。
「先生! 次の生徒さん、いらっしゃいました!」
「分かりました」
八畳ほどの広さの部屋にグランドピアノが設置されている教室。その壁に掛けられている鏡を見る。
ウェービーボブの茶髪、メイクもばっちり決まっていて、好きなブランドのスーツを身にまとっている。素早くチェックを済ませる。おかしなところはない。
「よろしくお願いします、先生」
教室に入って来たのは年配の男性。ちょっと渋い。
でも、左手薬指に指輪。
指輪がなかったら……? いやいや、そこまで飢えてないから!
今日の分のレッスンが終わり、スマホを見ると、待ち人からの着信があった。
生徒が帰った後のレッスン教室で、奏が電話を掛けると、しばらく呼び出し音が鳴ってから、相手は出た。
「もしもし、奏です! ごめんなさい! レッスン中で電話に出られなくて」
「分かってるよ。それで、これから会える?」
「もちろん!」
「それでさ、また、奏にお願いしたいことがあるんだけど?」
「何?」
「……い、いや、やっぱり良いや。最近、奏に頼ってばかりだよな、俺」
「良いよ! 私、聡史の役に立ちたいの! 私ができることなら何でもするから」
「いや、駄目だよ。奏に頼ってばかりじゃあ、自分が駄目になっちゃう」
「困っている時は、お互い様だよ。とりあえず、話を聞かせて」
「そう? ……実はさ、俺のお得意様が株で大損を出してしまってさ。俺の同僚が担当した取引だったんだけど、同僚が何とか補填してあげたいって言ってるんだ」
一か月ほど前に、街で声を掛けられてから、つき合い始めた聡史は、大手証券会社に勤めているらしくて、客からの依頼に応えるため、お金を立て替えなくてはいけないことがよくあるそうだが、聡史はまだ若くて給料も安いことから、いつも困っていると言っていた。
「もちろん全額を補填することなんてできないから、心ばかりの気持ちを示したいって、同僚が言ってて、俺も少しでも助けてやりたいんだけど、給料日前で、俺も苦しくてさあ」
「いくら出してあげたいの?」
「十万円くらいかな」
「それくらいなら大丈夫! 私がとりあえず出してあげる!」
「この前も、奏にお金を借りて、まだ返していないし」
「お給料でやりくりするの大変なんでしょ? ボーナスが出た時に返してくれたら良いから」
「そうか。すまない、奏」
「じゃあ、途中でお金を降ろしてから行くね」
「分かった。じゃあ、八時にいつものコーヒーショップで! 今夜はイタリアンでディナーでもするか?」
「うん」
どうせ、そのディナー代も私が出すことになるはずだ。
きっと、騙されてる。奏は分かっていた。
でも、お金を渡さないと、彼は去って行ってしまうはずだ。
――こんな私でも好きになってくれた彼を失いたくない!