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Act.032:自立という名の鎧

 詩織しおりが学校で体育祭のリハーサルをした翌日の土曜日。

 玲音れおは、いつもどおり、自宅近くのコンビニでアルバイトをしていた。

 バイト中は邪魔にならないようにポニーテールにしている髪を揺らしながら、新たに配達されてきた商品を棚に並べていた玲音は、「レジ、お願いします!」と言う同僚のバイトの子の声で、作業を一旦中断して、レジに駆けつけた。

 レジカウンターには、二台のレジがあったが、一台のレジの前に四人ほどの行列ができていた。

 玲音は、もう一つあるレジの前に立つと、「次にお待ちのお客様、こちらにどうぞ」と呼び掛けた。

 レジの前で精算している客の次には、気の弱そうな中学生らしき男の子が並んでいて、玲音の呼び掛けにこちらのレジに来ようとしたが、その子を追い抜くようにして、二番目に並んでいたチャラい男が玲音のレジの前に立った。

「煙草、ちょうだい。六番ね」

 男は悪びれることなく、玲音にそう告げた。

 しかし、相手が悪かった。玲音は、そういうずるいことが大嫌いだった。

「次にお待ちのお客様を先にレジさせていただきますので! お客様、どうぞ」

 玲音が泣きべそをかいている男の子に優しい笑顔を見せて呼んだ。

「もう少しで向こうのレジが空くから、向こうに行けば良いじゃん。俺は、君にレジしてほしいんだよ」

「ふざけたこと言ってんじゃねえぞ、こら!」

 玲音が思わずになって、チャラ男にすごんだが、チャラ男は、バイト中の玲音が強硬手段に出られるはずがないと、タカをくくっているようだった。

「そんな汚い言い方なんていけないんだ~」

 玲音は頭の血管がぶち切れそうになったが、バイトをしている今、この客をぶちのめすことなどできやしない。すれば、すぐにクビだ。

 そうしているうちに隣のレジが空いて、男の子は、そちらに向かった。

「ねえねえ、煙草、頼んだんだけど~」

 玲音は唇を噛みしめながら、レジの後の煙草棚から注文された煙草を取り出し、チャラ男の前に差し出した。

「これでよろしいですか?」

「うんうん。後は、君の笑顔かなあ」

「アタシの笑顔は売り物ではないですので、四百四十円になります」

 嫌な客が来るのは日常茶飯事だ。いちいちキレていたら、クビがいくつあっても足りない。これまで実際に何度もキレていたが、玲音は何とか爆発させないように我慢してきていた。

「ねえねえ、バイト、何時まで? 俺、君のバイトが終わるまで待ってるから、飯でも食いに行こうよ」

「そういうお誘いは、すべてお断りしてますので」

「そんなこと言わないでさあ」

「いえ、本当に駄目なんです」

「何が駄目なのさ~?」

 玲音は目を伏せて右手を握りしめた。

 ――しばらく、琉歌の稼ぎで養ってもらおうか。

 玲音は、そんなことを考えて、チャラ男の胸ぐらを掴もうと、顔を上げた。

 しかし、その時、チャラ男の後に大きな影が立っていることに気づいた。

「おい! てめえ、しつこいぞ!」

 低く図太い声の先を見てみると、百八十センチは優にあると思われるほどに背が高く、胸板も厚い男性が、玲音と同じくらいの身長のチャラ男を後ろから見下げるようにして睨んでいた。ノーネクタイの白いボタンダウンシャツに、濃紺のジャケットを羽織り、下は折り目がしっかりと付いたベージュのチノパンというスタイル。

 チャラ男は、ドスの利いたその低い声に、顔を引きつらせながら振り向き、見上げるようにして男性を見ると、すぐ横っ飛びにレジの前から移動した。

「な、何だ、お前?」

 チャラ男の声は明らかにびびっていて、細かなビブラートが掛かっていた。

「通り掛かりの客だが?」

 そう言って、男性はチャラ男の胸ぐらを掴むと、チャラ男の足が浮く高さまでチャラ男を片手で持ち上げた。チャラ男が足を振り回して抵抗したが、男性はびくともしなかった。

「とっとと煙草代を出して、レジを空けやがれ!」

 男性の威圧感ある言葉に、チャラ男は無言で何度もうなずいた。それを見て、男性がチャラ男を降ろすと、チャラ男はすぐに煙草代をレジに置き、煙草を持って、そそくさと店を出て行った。

「あ、ありがとうございます」

 玲音が男性に礼を述べると、男性は照れくさいように後頭部を掻いた。

 男性の短く刈った髪の毛は清潔そうにセットされていて、太い眉毛に筋が通った鼻、そしてはっきりとした口が浅黒い顔に理想的に配置されていて、顎には綺麗に切り揃えられた髭を生やしていた。

「い、いや、俺も早くレジをしてもらいたかったから、つい、カーッとしてしまって。大声を出して申し訳なかった」

「とんでもないです。助かりました」

 体を小さくして照れ笑いをする男性が可愛く思えた玲音は、男性が手にチョコレートを持っていることに気づいた。

「あっ、それ?」

「ああ、そうだった。これをお願いします」

 男性が玲音にマーブルチョコレートを一つ手渡した。逞しく精悍な男性のイメージとのギャップに、玲音は思わず吹き出してしまったが、すぐに真顔になって頭を下げた。

「すみません。可愛い買い物だなって思ってしまったので」

「はははは、よく言われます。でも、子供の頃からこれが好きで、たまに食べたくなるんですよね。それにこのマーブルカラーを見ていると、心がウキウキしてきませんか?」

 子供のような男性の笑顔に、玲音も少しの間、見とれてしまった。

「ジェリービーンズと同じ、ポップなイメージですよね」

 玲音の言葉に男性もうなずいた。

「ああ、確かに。なるほど、CDジャケットにも使えそうだな」

「はい?」

「ああ、いやいや。独り言です。気にしないでください」

 男性は支払いを済ませると、ニコニコと笑いながら店を出て行った。

 玲音が何気なく男性を目で追うと、男性は、それほど広くはないコンビニの駐車場に停めていたドイツ製高級車の運転席に乗り込んだ。助手席には女性が乗っているのが見えたが、グレーのドイツ車はすぐに走り去って行った。



 玲音は、見た目の美しさから声を掛けてくる男性が後を絶たなかったが、玲音自身もかっこいいと思った男性には積極的に声を掛けて、おつきあいもした。

 しかし、誰とも長続きしなかった。何人もの男が玲音の体を通り過ぎて行ったが、玲音がずっとつきあってみたいと思う男性は今まで現れなかった。

 その原因は自分にあると分かっていた。

 シャキシャキと動き、話し、行動する男勝りな自分と、男に甘え、男に可愛がられることに喜びを見出している自分という、相反する二つの自分の存在に、玲音はいつも戸惑っていた。

 自分で何でも決めて、それを実行するだけの強い意志を持ち、抜群のリーダーシップを発揮して、周りのみんなをぐいぐいと引っ張っていく。それが、玲音を知る者の一致した玲音の人物像だ。

 琉歌るかから慕われるしっかり者の姉、強い指導力でメンバーから信用されているバンドのリーダー、友人達からは頼れる姉御として一目置かれていた。

 玲音は、そんな期待をへし折ることができなかった。

 長女として生まれた玲音は、知らず知らずの間に「自立」という名のよろいを身にまとうようになっていった。「お姉ちゃん、お姉ちゃん」と甘えて寄り添ってくる可愛い妹にも情けない自分を見せたくなかった。

 しかし、その鎧は時に、とてつもなく重くなり、玲音を苦しめることがあった。「自分は本当は弱いんだ! 強がっているだけなんだ!」と泣き叫びたくなる時があった。すべてを放り投げて逃げ出したくなる時があった。

 そんな時、玲音にその鎧を脱ぎ捨てさせてくれるのがセックスだった。それは、人から甘えられてばかりの玲音が自ら甘えることができる時間だった。

 しかし、本能が赴くままに心と体が満たされると、また、鎧をまとった自分が出て来て、自分を責めた。自分だけでなく相手の男も責めた。自己嫌悪するとともに、ベッドで間抜けづらを晒す男に嫌気が差してしまうのだ。

「玲音は甘え下手べたなんだよ」

 友人の女の子にそう言われたことがある。

 しかし、それは玲音が徹底的に甘えることができる男が今までいなかったからだ。今まで出会った男は、自分勝手だったり、馬鹿だったり、理由もなく男が偉いと思い込んでいる勘違い野郎しかいなかった。

 ――アタシは本当に恋なんてできるのかな?

 玲音は、いつも疑問に思っていた。

 男性を好きになっても、その本性や裏の顔を一瞬でも見てしまうと、すぐに冷めてしまう。自分が愛し続けることができる男性とは、いったいどんな人なのだろうと思う。

 理想の男性はいる。玲音の中にいる「二人の」玲音を理解してくれる人だ。

 玲音の突き進む道を邪魔しないし、場合によっては後押ししてくれるが、間違った道に進もうとしていると、強引にでも直してくれる。その一方で、玲音が疲れている時には、甘えさせてくれて、優しく抱きしめてくれる。

 ――そんな都合の良い男がいるはずがない。

 玲音は諦めかけていた。だから、一夜だけの温もりを得るために、耐えられなくなった鬱憤を晴らすために、男と抱き合う。

 みんな、使い捨ての男達だ。



 今、車で去って行った男性は、ずるいことをしたチャラ男に毅然とした態度で注意をした。そんな正義の味方なのに、それを自慢することなく、むしろ、照れていた。今まで玲音が出会ったことのない類型タイプの男性だった。

 しかし、左手薬指には指輪がはめられているのを、しっかりと玲音は確認していた。車の助手席に乗っていたのは奥さんかもしれない。

 今の男性とは、きっと、これからも会うことないだろうと、すぐにその記憶から消し去ろうとした玲音だったが、仕事をしていても、何かしら思い出されてしまうのだった。

 

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