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Act.031:音楽が恋人!

 体育祭のリハーサルがあった金曜日の放課後。

 優花ゆうか達と池袋駅で別れた詩織しおりは、真っ直ぐ家に帰ると、パンツルックの私服に着替え、眼鏡はそのままで、歩いてカサブランカに向かった。

 毎週、火曜日、金曜日そして日曜日の午後五時から九時までカサブランカでバイトをするようになり一か月ほどが過ぎて、バイトに行く前に感じていた緊張感はほとんどなくなっていた。

 それは、詩織と一緒にバイトをしているのが、椎名しいなだということも影響していた。

 椎名は、詩織がキューティーリンクの桜井さくらい瑞希みずきだということをバイト初日に見破ったが、詩織の願いを聞き入れてくれて、そのことを言いふらすことなく、むしろ、詩織ができるだけ不特定多数の人の目に晒されることのないように、進んでレジカウンターの仕事をしてくれた。今の詩織にとって、椎名は、父親以外の男性では唯一、気兼ねなく話すことができる相手になっていた。

 詩織がカサブランカに入ると、店内には数えるくらいしか客はおらず、椎名も暇そうにレジカウンターに両手を着き、顔を伏せていて、詩織も、一瞬、居眠りしているのかと思ったくらいだった。

 実際、カサブランカは、それほど忙しくなかった。この客の入りでは、赤字もしくは黒字がほとんど出ていない状態ではないかと思われたが、オーナーとも古い間柄という椎名が言うには、オーナーは、賃貸マンションや貸しビルを江木田駅周辺に複数持っていて、カサブランカ程度の店が出す赤字など、まったく問題でないとのことで、経営上の問題で、突然、カサブランカが閉鎖されるということはあり得ないそうだ。

 スタッフルームで店名入りの黒いエプロンをつけた詩織は、レジカウンターの椎名の隣に立った。

「今日も寝不足ですか?」

「分かってるんなら訊くなよ」

「はい、すみません」

 詩織が苦笑して答えた。

 椎名は、少しくせ毛だが耳が隠れる程度の長さで綺麗にカットされた黒髪で、背が高く、服装のセンスも良いイケメンだが、その表情や話し方は無愛想そのものだった。

 詩織も、最初は、常に不機嫌なのかと思ったが、別に怒っている訳ではなく、普通に話しているだけなのだ。そんな椎名の口調にも最近やっと慣れた。

 詩織が、ふとレジカウンターの後ろを見ると、床に置かれたプラスチック製の籠の中にDVDのケースが貯まっていた。

 スーパーマーケットで使用されているようなこの籠は、レジカウンターに返却されたDVDをまとめて棚に返却するために、一旦、貯めておくためのものだ。

 DVDのレンタル回転率を上げるためには、早く客が借りられる状態にしなければならない。だから、返却されたDVDは早く棚に戻すようにしていた。

 そのDVDが整理されずに貯まっていることで、詩織が来る前からバイトをしている椎名がサボッていたのではないかと、詩織が椎名をジト目で見つめた。

「ああ、悪い。さっきまで超忙しかったんだ」

 椎名の弁解がましい言い方が少し可愛く思えて、詩織は、くすりと笑ってしまった。

「信じることにします」

「そうしてくれ。けっして居眠りしていた訳じゃないからな」

「はいはい。じゃあ、私、整理してきます」

「ああ、頼む」

 詩織はその籠を持って、該当する棚に行き、タイトルや写真がプリントされている外ケースの中身が抜き取られているものに、該当するDVDが格納された透明な内ケースを差し込んでいった。棚の配置も憶えて、スムーズに仕事をこなすことができた。

 レジカウンターの後ろにあった籠の一つを残して、すべてのDVDを棚に戻すことを終えた詩織は、椎名に声を掛けた。

「椎名さん、赤い籠をお願いして良いですか?」

「ほいよ」

 カサブランカでも、成人指定のレンタルDVDがあり、それはパーティーションで仕切られた店の奥に収納されていた。そして、そこに返却するDVDは、赤い籠に入れるようにされていた。

 詩織がレジカウンターに立つと、椎名が赤い籠を持って、店の奥に向かった。

 アルバイト初日に、詩織が知らずにそのコーナーに行って、真っ赤な顔をしてレジに戻ったのを見た椎名が、そのコーナーのDVDのみ整理をしてくれることになったのだ。

 詩織がレジカウンターに立つと、一人の男性客が手にDVDケース数枚を持って、レジカウンターにやって来た。

「いらっしゃいませ」

 この言葉も自然に出るようになった。

「一週間で」

 客も常連のようで、慣れた様子で貸し出し期間を述べ、DVDケースとともに会員カードを差し出した。

 会員カードのバーコードを読み込んでから、客が持ってきたDVDケースを見ると、その箱には裸の女性の写真がプリントされていて、先ほど椎名が向かった成人指定コーナーに収納されているものばかりだった。

 詩織は、男性と目を合わせることなく、黙々と手続を進めた。

 さっき、DVDの整理作業をしている時に、その男性客は既にDVDケースをいくつか持って、棚の間にいた。詩織が整理をしている時も、何となくジロジロと見られているような気がして、少し気味が悪かった。きっと、椎名から詩織にレジが変わる時を待っていたのだろう。

「この女優さんの演技が最高なんだよねえ。特に喘ぎ声が」

 男性客がレジをしている詩織に、DVDケースを指差しながら言った。

「は、はあ」

「店員さんなのに見てないの?」

「は、はい」

「駄目だよ。客に勧めることができる作品なのかどうかを、ちゃんと確認してから貸し出さないと」

「は、はい」

 生返事しかできなかった詩織は、次第に足が震えてくるのが分かった。カウンター越しだから、店の中で襲われることはないだろうが、詩織の反応を楽しんでいるかのような男性客の視線が怖かった。

「あ、あの、五百四十円になります」

「あれえ、この作品は作製されて一年以上経ってるから、旧作の値段になるんじゃないの?」

「そ、そうなんですか?」

「そうだよ。ちょっと、作製年月日をよく確認してよ。箱に書いてると思うから」

 男性客は自分でそのDVDケースを詩織の目の前に差し出した。裸の男性と女性が絡んでいる写真がプリントされていて、詩織はそれを正視できずに、うつむき加減になり、どうしようかと困ってしまった。

「俺が見ますよ」

 椎名の声がした。

 詩織が顔を上げると、男性客の隣に立った椎名が、男性客が差し出していたDVDケースを取り上げて、自分の顔に近づけて、そのケースに印刷されている細かい文字を読むように見つめていた。

「残念ながら、まだ十一か月目で旧作ではないですね」

「そ、そう。僕の勘違いだったかな」

 キマリが悪そうに言った男性客に、椎名が「五百四十円です」と重ねて言った。

 男性客はブツブツと聞き取れない声で文句を言っていたが、五百四十円を詩織に支払うと、詩織が差し出した、四枚のDVDの内ケースを入れた貸し出し用のビニールケースを受け取って、カサブランカを出て行った。

「大丈夫か、桐野?」

「は、はい」

「ああいう輩は、女の子が恥ずかしがっているのを見て、喜びを感じるんだ。こんな裸の写真なんて、どうとでもないという態度で接しないと、どんどんと調子に乗ってくるぞ」

 椎名が、カウンターの上に残されたDVDの外ケースを指差しながら話した。

「そうだろうなって思っても怖くて」

「やれやれ、桐野は本当に清純派なんだな」

「な、慣れていないだけです!」

「そんなにムキにならなくても良いだろ。桐野も意外と負けず嫌いだな」

 椎名がカウンターの中に入って来て、空の赤い籠をカウンターの後ろに置いた。

「そ、そういう訳ではないですけど」

 椎名に馬鹿にされているみたいに思えて、詩織は口を尖らしながら不満げな態度を見せた。

「今度からは、怪しい客がいないかどうかを確認してから、レジを離れるようにするよ」

 口は悪いが、ちゃんと詩織のことを心配してくれる椎名がバイトの同僚あるいは先輩として頼もしく思えた。

「ところで、桐野」

「はい」

 詩織が背の高い椎名を見上げるようにして見た。

「ライブの予定とかは、まだ、ないのか?」

「そうですね。オリジナル曲もけっこうできたので、演奏がまとまれば、夏前にはやろうかって、メンバーと話しているんですけど、具体的には、まだ、何も決まっていません」

「そうか。ライブが決まれば教えてくれ。ぜひ、桐野の歌を聴きに行きたい」

「はい! ぜひ!」

「俺に限って言えば、昔の桐野の歌との聴き比べができるというレアな体験ができるからな」

「……昔の私の歌はご存じなんですか?」

「いや、実は聴いたことがない」

 桜井瑞希がセンターを務めたキューティーリンクは、当時、ナンバーワンアイドルであって、歌番組はもちろん、バラエティでも見ない日はなかったほどであり、出す曲出す曲がすべてヒットチャート一位を取っていたから、椎名のように、曲を聴いたことがない人の方が珍しかった。

「中学・高校と、アイドルなどには興味がなかったからな」

「じゃあ、何に興味があったのですか?」

「今と同じさ。中学生になった途端に、大人ぶって洋画を見だしてから、どんどんとはまっていった」

「そんなに前からですか?」

「ああ、とにかく、できるだけ映画を見たかったから、小遣いをすべて映画代につぎ込んでいた。反面、お洒落なんかには、まったく興味がなくて、中学の時は、髪はボサボサで瓶底眼鏡を掛けている根暗少年だったからな。さぞかしキモかっただろうと、我ながら思う」

 今の椎名からは、そんな中学生の時の様子はまったく想像できなかった。

「いつからお洒落に目覚めたんですか?」

「高校三年の時だな。同じ映画好きの彼女ができてからだ。その子がけっこうお洒落に詳しくて、いろいろと教えてもらったんだ。眼鏡もコンタクトにしたし、行きつけのブランドもできた」

「その彼女さんとは今も?」

「いや、お互い、別の大学に行きだして自然消滅してしまった。どうやら、俺は遠距離恋愛などできない性格のようだ」

「今、おつき合いしている方は?」

「何だ? 気になるか?」

 椎名がニヤリと口角を上げた。

「そうですね。椎名さんのような方とおつきあいできるような我慢強い方がいらっしゃるのだろうかって思ったので」

「ふふっ、言うようになったな、桐野」

「はい、いつまでも負けていられませんから!」

「桐野と勝ち負けを争うようなことはしていないと思うんだが?」

 そう言われるとそうだが、常に冷静な椎名を慌てさせてみたいと思う詩織であった。

「それで、我慢強い方はいらっしゃるのですか?」

「残念ながら、いない。今は映画が恋人だ。桐野はどうなんだ?」

「い、いません! 私も今は音楽が恋人です!」

「じゃあ、桐野」

「はい?」

「桐野がその恋人と一緒の時の表情を映像に収めさせてもらって良いか?」

「えっ?」

「桐野のバンドのライブ映像を撮影したいんだ。俺もライブの映像は撮ったことがないし、ライブの熱狂感とか臨場感を映像上でどれだけ再現できるかも試してみたい」

「あ、あの、その時が来れば、椎名さんにお願いしたいと思います」

「楽しみにしているよ」

 その時、椎名が見せた笑顔に、少しの間、見とれた詩織であった。

 

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