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Act.030:瞳に映る二つの姿

 今をときめく売れっ子小説家で、その容姿から「小説界の王子様」との異名を持つ桜小路さくらこうじひびきとの面会をセットしてあげるというひとみの厚意を断ったことで、瞳が怒ったのではないかと、詩織しおりは思った。

「ご、ごめんなさい! せっかくのご厚意を無下むげにして」

「……ううん。そうだね。詩織の言うとおりだよね。お兄ちゃんは作家なんだもんね」

 なぜだか、瞳は自分に言い聞かせるように言った。

「何か、詩織みたいな子、初めてだなあ」

「はい?」

「ああ、独り言。気にしないで」

 詩織と瞳は、生徒の椅子が並んでいる白組の席の後ろで話し込んでいたが、競技に出る生徒の行き来が頻繁にあったからか、瞳が詩織を手招きをすると、詩織に背を向け、校庭の隅に向かって歩き出した。

 自然と詩織もその跡を追った。

「ねえ、詩織」

 校庭の隅にたどり着くと、瞳は振り向いて、詩織を見た。

「詩織は、何かクラブをしているの?」

「い、いえ、どこにも入っていません」

「そうなんだ。じゃあ、文芸部に入らない? 詩織みたいな子がいたら、部活ももっと面白くなると思うんだよね」

「私、真っ直ぐ家に帰って、やらなくてはいけないことがあって」

「何?」

「親が仕事の関係で東京にいなくて、今、一人で生活しているので、家のことをいろいろとしなければいけないんです」

 それは、優花ゆうか達にも話している、詩織が部活をしていない理由であった。

「そうなんだ。一人暮らしかあ。それは、確かに大変そうだね」

「大変ということはないですけど、他にやってくれる人もいないので」

 クラブに入っていないのは、「実はギターをしているから」なんて言えるはずがなかった。

「そっか。じゃあ、時間がある時だけでも良いから、文芸部の部室に遊びにおいでよ」

「あ、あの、基本的なところから分かってなくて申し訳ないんですけど、文芸部ってどんな活動をしているんですか?」

「うちはね、創作活動に重点をおいて活動しているんだ」

「創作活動……ですか?」

「うん、自分達で小説とか詩とかを書くってこと」

「すごいですね! ひょっとして、瞳さんも将来は小説家を目指しているのですか?」

「ちょっとね。でも、お兄ちゃんの小説とか読んでいると無理かなあって思う。やっぱり、お兄ちゃんの文章はすごいもん」

「そうなんですね。私は、詞ならまだしも、文章を書くのがすごく苦手で」

「詩織は詩を書くの? ひょっとして、ポエマー?」

「ち、違います! 詩の方が短いから、小説を書くよりはマシかなって思っただけです」

 オリジナル曲の歌詞という意味で言ってしまった詩織は、慌てて言い訳をした。

「でもさ、その短い文章の中に、感情とか情景とかを詰め込まなければいけないんだから、詩の方が難しいような気がするよね」

「それはそうかもしれませんね」

「でしょ? でも、『詩を織る』って名前からいうと、詩織はポエマーが向いているのかもしれないね」

「そ、そんなことはないと思います!」

「そうかな? でも、良い名前だよね」

「私の名前は、父親が付けたらしいのですが、『美しい詩を織り込んだような人生を送ってほしい』という想いを込めたって聞いたことがあります」

「へえ~、素敵だね。ちなみに私の名前は、『世の中の真実を見抜く人間になれ』って意味で付けたんだって」

 瞳という名前に込められた深い意味に感心していた詩織に、瞳が言葉を続けた。

「でも、今の私は、桜小路響の瞳なんだ」

 それは、目が不自由な兄の世話をしたいという瞳の想いのことを言っているだろう。

「その瞳には、今、詩織が映っているんだよ」

「はい?」

「私さ、詩織にちょっと興味が湧いた」

「えっ?」

 瞳が一歩、詩織に近づき、詩織の顔を近くでマジマジと見つめた。

 昔の自分のことがばれるのではないかと恐れたが、変に嫌がると、かえって怪しまれると思い、瞳の顔が離れるまで、じっと待った。

 瞳は、にこっと笑い、顔を元の位置に戻すと、後ろで手を組んだ。

「詩織って、眼鏡を掛けてるから、みんな、誤魔化されているのかもしれないけど、本当に可愛いね」

「そ、そんなことはないです!」

「あはは、そうやって照れるところも可愛い! ああ、でも心配しないで。私は別に百合の趣味は持ってないから」

「は、はい」

「でも、百合の小説は書いたことがあって、可愛いものは愛でたいというのは、男でも女でも同じだと思うんだよね」

「は、はあ」

「お兄ちゃんも綺麗でしょ?」

「き、綺麗?」

「お兄ちゃんは、近くで見ても、うっとりするくらい綺麗なんだよ。男なのにさ」

「桜小路先生をお近くで見たことがないので」

「じゃあ、やっぱり、お兄ちゃんに会わせてあげる。今度、うちにも遊びにおいでよ」

「えっ、そ、そんな、いきなり」

「詩織なら大歓迎だよ」

「じゃあ、先生の作品を読んでからで良いですか?」

「お兄ちゃんにも早く紹介したいから、詩織も早く読んでよ」

「えっ! そ、そんな」

「あははは」

 瞳は本当に楽しそうに笑った。

 しかし、昨日まで、まったく話をしたこともない間柄だったのに、今し方、競技を一緒にしただけで、これほど馴れ馴れしく接してくる瞳のことが不思議であった。

「瞳さん」

「うん? 何?」

「今日、初めて親しくお話をさせていただいたのに、どうしてそんなに優しくしていただけるんですか?」

「さっき言ったじゃない。詩織に興味が湧いたって」

「私のどんなところが?」

「そうだな~。詩織って、他の人とは何かが違うんだよね。それが何かは、まだ分からないけど、少なくても詩織とこうやって話していても、気が短い私をイライラさせない雰囲気があるんだよね」

 詩織自身も、自分のどんなところが、瞳の「ツボ」なのかは分からなかった。

 その時、各学年選抜リレーに出場する生徒は集合するようにとのアナウンスが流れた。

「あっ、これにも出るんだ、私!」

 瞳は、「また、話し掛けさせてもらうね」と詩織に手を振りながら、出場ゲートの方に走り去って行った。



 その日の放課後。

 終日、体育祭のリハーサルをしていたこともあり、生徒の疲労度を考慮したのか、今日は、体育系も文化系もすべてのクラブの活動が中止となって、全員が一斉に下校をすることになっていた。

 ということで、詩織も、普段はクラブをしている優花ゆうか美千代みちよ珠恵たまえと一緒に帰路に着いていた。四人とも電車通学だが、それぞれ行き先が違う電車に乗ることから、一緒に帰るのも池袋駅までであった。

 いつもどおり、優花達の話の聞き役に回っていた詩織だったが、突然、優花達が足を止めた。

「あれは?」と言った優花の視線の先には、通学路の真ん中で、背広姿の男性と向かい合っている瞳がいた。

 今日の昼間、詩織に見せていた穏やかな表情ではなく、厳しい顔付きの瞳は、その男性と何か言い争いをしているようだった。

 よく見ると、男性は名刺らしき紙片を瞳に差し出していた。

「E組の桜小路さんですわね」

 瞳も高等部からの編入組だと言っていた。そして、三年間クラス替えがなかったから、中等部時代からこの学校にいる優花達と瞳は同級生になったことはないはずだ。それなのに、瞳のことを知っているということは、自分がいかに他の組の生徒のことに無関心だったかと思い知らされた詩織であった。

「今日、一緒に競技をした人ですけど、皆さん、ご存じだったんですね?」

「桜小路さんって、我が校の有名人ですわよ、桐野さん」

「それって、小説家の桜小路先生の妹さんだからですか?」

「それもありますけど……」

 詩織達が注目している中、瞳が男性の差し出していた名刺を受け取ったと思うと、それを男性の目の前でビリビリに破り、男性の顔に投げつけながら「二度と顔を見せないで!」と大きな声で言ったことで、優花が言葉を飲み込んだ。

 私立アルテミス女学園から池袋駅への最短ルートである通学路だから、当然、辺りには同じ学校の女生徒がたくさんいた訳だが、その女生徒達の注目を浴びながらも、瞳は何事もなかったかのように去って行った。

 あとに残された男性が女生徒達の視線に気づいたのか、周りを見渡すと、それまで、その男性に注目して立ち止まっていた女生徒達がそしらぬ顔をして、一斉に歩き出した。

 男性は後頭部をかきながら、瞳が向かった方向に小走りに去って行った。

「あれが修羅場というものなのでしょうか?」

 普段はおっとりしている美千代も興奮気味に話した。

相良さがらさん、さっきの話の続きですけど」

 詩織は、瞳が「我が校の有名人」だという理由を知りたくて、優花に先ほどの話の続きを促した。

「えっと、何でしたっけ?」

「桜小路さんがウチの学校で有名な訳です。桜小路先生の妹さんということだけではないとおっしゃってましたけど?」

「ああ、そうでしたわね。それとも関係しているんですけど、文芸部を私物化しているって噂があるんです」

「何でも、新入部員には、桜小路先生に会えるとか、いろんな特典をちらつかせて募集をしたり、実際に、部員には桜小路先生のサイン本を贈呈したりして、文芸部を実質的に『桜小路響ファンクラブ』にしているという批判が上がっているようなんですよ」

 職員室に呼ばれていた時や新入部員勧誘の時の瞳は、確かに、そのような言動をしていた。

「ひと……桜小路さんは、お兄さんの応援をされているだけじゃないんでしょうか?」

 これまで二年間つきあってきた優花達も名字で呼んでいることを思い出した詩織は、瞳のことを名字で言い直した。

「そうかもしれませんけど、度が過ぎているって言われているんです。プロの作家さんの宣伝を、学校の部費を使ってやっているようなものですから」

 言われてみれば、そうだ。

 響が出版をしている小説は売られていて、出版社などもそれで利益を得ているのだ。そんな特定の者の利潤行為の支援を、学校の部費を使ってやることは適切とは言えないだろう。

「それに、言葉遣いも礼儀作法もまったくなっていないそうですけど、学園が厳しく注意しないのは、桜小路先生のご機嫌を損ねないように、学園が気を遣っているからだという噂もありますしね」

 お嬢様であっても、ゴシップネタは嫌いではないようで、珠恵が言ったその噂は優花も美千代も知っていたようだ。

「桐野さん。今日、桜小路さんとお話をされていたようですけど、あまり親しくされない方がよろしいと思いますよ」

 優花達は詩織のことを心配して言ってくれているのだろうが、二人で話をしていた時の瞳の雰囲気からは、確かにお嬢様らしくはなかったが、普通に友人としてつきあうこともはばかられるほどに酷い人だとは思わなかった詩織であった。

 

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