Act.024:束ねられた未来
「みんなが羨ましいよ」
奏がぽつりと呟いた。
詩織は、その言葉に込められた気持ちが分からなかった。
まだ、奏のことは何も知らない。年齢だってはっきりと訊いていない。今はまだ、楽器店で詩織が思わず声を掛けて、ここに来てもらっているだけなのだ。
しかし、その奏が弾くピアノをバックに歌った時、詩織は体中のアドレナリンが染み出てくるほどの快感に満たされていた。
奏にバンドに入ってもらいたかった。詩織の歌を聴いて、バンドに入ってくれることは承諾してくれたが、昔の自分のことをバンド活動に利用しないのかと問われた。しかし、昔の自分のことを利用されるのは絶対に嫌だった。そのために今まで二年間、ずっと隠遁生活のような暮らしをしてきたのだ。
詩織は、この三人には自分のことを、ちゃんと知ってもらいたいと思った。
「藤井さん、玲音さん、琉歌さん、私のこと、桜井瑞希を辞めた桐野詩織のことを、ちゃんとお話したいです。良いですか?」
三人は無言でうなずいた。
「このまま立ちっぱなしってのも疲れるし、まだ、飲み物も料理もあるから、とりあえず、もう一度、座ろうぜ」
玲音に従って、四人はローテーブルを挟んで、クッションに腰を降ろした。
詩織は、頭の中で言いたいことを整理してから口を開いた。
「私の音楽好きは、趣味でバンドをしていた父親の影響なのは、以前、玲音さん達にお話ししたとおりです。小さい頃、父親のバンド練習について行った時、休憩時間などに伴奏付きで歌わせてもらいました。自分の声がマイクを通じてスタジオに流れることが楽しくて、歌が上手いって言われて嬉しくなって、歌うことが大好きになりました」
玲音、琉歌、そして奏は、無言のまま詩織を見つめていた。
「小学三年生の時に、地域ののど自慢大会で優勝した時から、母親が私を歌手にしようと言い出したのです。私もいっぱい歌えるって言われて、その気になりました。私が乗り気だったので、その時、父親は何も言いませんでした」
「……」
「その頃から、ボイストレーニングやダンスのレッスンを毎日するようになりましたけど、あのキラキラしたステージで歌えるんだって思うと、まったく苦になりませんでした。そして、私が中学生になる直前、母親がキューティーリンク第二期生の募集に応募したんです」
その頃は、女性アイドルグループの戦国時代と言われ、キューティーリンクは他のグループに押され、いまいち人気が出てなかった。そこでテコ入れとして新たなメンバー募集を掛けたのだ。
「オーデションに受かって研修所に入った私は、三か月後にはデビューをしました。それからの話はご存じですよね?」
「不振のキューティーリンクを救うべく、彗星のごとくデビューしたスーパー中学生! という記事は見たことあるわね。確か、参加してから三曲目くらいにはセンターを務めていたんじゃない?」
「藤井さん、意外とアイドルに詳しいっすね?」
「年下の生徒さんと話す機会がけっこうあるからです!」
玲音からジト目で見られた奏は焦ったように答えた。
「でもまあ、当時、バンドに夢中になっていたアタシらだって知っているほど、あの頃の桜井瑞希ちゃんって、すごい人気だったもんな」
「ボクらはそうでもなかったけど、友達とかは、みんなファンだったよね~」
「だよな。男子で瑞希ちゃんのファンじゃない奴なんていなかったんじゃね?」
昔を思い出していたのか、遠くを見つめているようにしていた玲音と琉歌が詩織に視線を戻してから、詩織は再び話し出した。
「最初の頃は、大好きな歌を歌うことでファンの皆さんに喜んでもらえて、毎日毎日、夢のようでした。でも、次第に、何かが違うって思うようになったんです」
「それは、何だったの?」と玲音が訊いた。
「しばらく、それが何か分からずに自分の中で悶々としていたんですが、ある時、テレビの歌番組でホットチェリーさんと共演することがあったんです」
「おシオちゃん、ホットチェリーが好きだって言ってたもんね~」
「はい。父親がやっていたバンドが同じような雰囲気のバンドだったので自然に好きになったのですが、目の前で本物の演奏と歌を聴いて、すごい衝撃を受けたんです。飾りたてることのない言葉をストレートにぶつけられて、目眩がしました」
「……」
「キューティーリンクで歌っている歌に、自分の気持ちは込められているのだろうかって疑問に思いました。可愛い振りと衣装で、ニコニコと微笑みながらテレビカメラのレンズを追い掛けて歌っている自分は、心から微笑んでいるんだろうかって思ったんです。絶対、違うって思いました。私達の歌を聴いて元気になってもらいたいって言いながら、どのポーズが可愛く見えるんだろうって考えている自分がいたんです。自分勝手で、人の幸せなんて祈ってなくて、自分が得になることしか考えていない、そんな女の子だったんです」
「おシオちゃん! それは、みんな、そうだと思うよ。おシオちゃんが格別に酷い人間って訳じゃないよ」
玲音が詩織を慰めるような優しい目をして言った。
「そうかもしれません。でも、私は、桜井瑞希と桐野詩織のギャップに耐えられなくなったんです。アイドルって、所詮は作られた人形なんだって、自分では割り切っていたつもりだったのですが駄目でした」
「それは、桐野さんがピュアだったからだと思う」と奏が言うと、玲音と琉歌も大きくうなずいた。
詩織はその言葉に照れてしまって、しばらく言葉を発することができなかった。
「だから、アイドルを辞めて、バンドをしたいと思ったってことかい?」
玲音が詩織の顔をのぞき込むようにして見た。
「はい! 作り物の自分じゃない本当の自分を吐き出したいと思いました! 何も飾りつけない自分の想いを歌にして歌いたいって思いました!」
詩織は、しっかりと、玲音、琉歌、そして奏を見た。
「私は、桐野詩織としてバンドをやりたいんです! 昔の自分のことを内緒にしているのは、そういうことなんです! 桜井瑞希のことは、もう、消し去りたいんです!」
しばらくの沈黙の後、奏がやれやれと顔を振りながら笑顔を見せた。
「分かった。私も桐野さんの歌を聴いて、一緒にバンドをしたいと思ったから、桐野さんが嫌だってことは言わないし、しない。約束する」
「藤井さん」
「それに、アイドルとはいえ、プロだった桐野さんから選ばれたって思うと、自分でも、ちょっと誇らしいしね」
「選んだんじゃないです! 藤井さんしかいないって思ったんです!」
「……ありがとう。嬉しい」
奏は、詩織に笑顔を返すと、玲音と琉歌に顔を向けた。
「ねえ、みんな、名前で呼び合っているんだから、私もみんなのことを名前で呼んで良いかな?」
「大歓迎すっよ!」
玲音が、待ってましたとばかりに体を乗り出した。
「じゃあ、藤井さんのことも名前で呼んじゃって良いすか?」
「ええ、もちろん」
奏が笑顔で玲音に返事をしてから、詩織の顔を見た。
「今度、スタジオで聴く詩織ちゃんの歌を楽しみにしてるね」
「はい!」
四人はお互いを見つめ合った。
生まれた所も、歩んできた人生も、まったく関係がなかったこの四人が、ひょんなことで出会い、そして、あっという間にバンドを結成することになった。運命の神様は、詩織のこれまでの苦労をちゃんと見ていてくれたのだろう。
「みなさん! あらためまして、よろしくお願いします!」
詩織は、自分の願いを叶えてくれるために集まってくれたとしか思えない素敵なメンバーに、座ったまま頭を下げた。
「こちらこそよろしく!」
玲音と琉歌、そして奏も頭を下げた。そして、同じタイミングで頭を上げた四人は、お互いの顔を見合って、思わず笑ってしまった。
「あ、あの、メンバーが確定したということで、バンド名も確定させたいって思うのですが、クレッシェンド・ガーリー・スタイルをそのまま使っても良いですか?」
自分でその名前を考えた詩織が訊いた。
「おシオちゃん、そのバンド名、気に入ってるんだもんね」
「い、一応、自分で『これしかない!』ってひらめいたので、心の中では、絶対、これにしようって思ってました」
「アタシと琉歌は異議無しだよ」
詩織の視線が奏に移ったが、奏も首を縦に振った。
「次第に強くなる女子のスタイル。私にもぴったりだと思うわ。私も異議無しよ」
「ありがとうございます!」
「でも、女子って、何歳までなんだろうな?」
バンド名でも自分の希望が叶った詩織が大喜びしている前で、玲音がぽつりと呟いた。
「女はいつまでも女子なんです! 女子会に年齢制限があるなんて聞いたことないわよ」
奏がしっかりと反論した。
「そうですよ! ずっと女子ですよ!」
詩織が後押ししてくれて、奏の顎が少し上がった。
「ほら、詩織ちゃんも言ってるでしょ?」
「別に奏のことを言った訳じゃねえし」
玲音がいきなりタメ口になった。
「ちょっと! 年上に向かって呼び捨てってどう言うこと?」
「奏って呼んでも良いって言ってくれたじゃん」
「そうは言ったけど、呼び捨てにしろなんて言った覚えはないわよ!」
「バンドメンバーであれば、年齢なんか関係ない! そう思わない?」
「そうはそうよ。でも、それはそれ、これはこれ」
「あ、あの、もう一度、乾杯しましょう!」
場を収めようと、詩織が間に入って提案をした。
「それもそうだな。奏が参加してくれることに乾杯だ!」
「だから、呼び捨ては」
「奏さん! 奏さんが音頭を取ってください!」
奏も、詩織には厳しい顔をすることができなかったようで、気を取り直したように缶を掲げた。
「分かった。じゃあ、クレッシェンド・ガーリー・スタイル正式結成に乾杯!」
四人は再び缶を合わせた。
「だから~、あんたらも油断をすると、あっという間に来るのよ! アラサーなんて呼ばれる時が」
「アタシは、アラサーになろうが、アラフォーになろうが、きっとバンドをしてる! 年齢なんて関係ねえし!」
「玲音! あんた、たまには良いこと言うじゃない! ちょっと見直したわよ」
「ははは、どうも! って、今日、初めて会って、たまにしか良いこと言わないって、どういうことだよ?」
「私もね、伊達に年齢を重ねてきた訳じゃないわよ! その人がどんな人かくらい一目見たら分かるから!」
「ちなみにアタシはどんな人間?」
「とてつもなく失礼で、とてつもなくいい加減で、とてつもなく変な奴よ!」
「何だよ~、それ!」
「どうでも良いけど、お姉ちゃん達、仲良いね?」
琉歌が眠そうにローテーブルに頬杖を突いて見る先には、玲音と奏が肩を組んで、グビグビと缶チューハイを空けていた。
「琉歌ちゃん、どうしたのよ! まだ宵のうちよ!」
「いやいや、琉歌はそんなに酒が強くないんだよ。その代わりにアタシが飲むから」
玲音が、奏の持っていた缶チューハイを奪うと、一気に飲み干した。
「おー! やるじゃない、玲音!」
「へへへ、奏も飲め! まだ、冷蔵庫にいっぱい入ってるから」
「よーし! って、呼び捨ては止めなさい!」
「良いじゃん、もうメンバーなんだからさあ」
「ねえねえ、おシオちゃん、もう寝ちゃったよ」
琉歌の言葉で、玲音と奏はすぐに取っ組み合いを止めた。そして、二人が詩織の座っていた場所を見ると、詩織は、体を丸めるように床に横になって、すやすやと眠っていた。
みんなが這い寄るようにして詩織の周りに集まった。
「おシオちゃんの寝顔も可愛い~」
琉歌の言葉に、玲音も奏もうなずいた。
親指の爪を噛むように手を口元に持ってきている詩織の横顔は、グラビアにしたいほどだった。
「可愛いだけじゃなくて、本当に熱くて、純粋で、変わった子だよね」
「まったくだよ」
奏に玲音が同意した。
「アタシらは、おシオちゃんが集めてくれたみたいなもんで、おシオちゃんがいなかったら、クレッシェンド・ガーリー・スタイルは存在することはなかった」
「そのとおりね」
三人は、可愛い妹を見るような表情で、詩織を見つめた。
GWの連投はこれで最後です。
次回からは、毎週土曜日に1話ずつのペースに戻ります。




