Act.023:進むべき道
「大きな声は出せないだろうから、バラード系で桐野さんが歌える曲を何か教えて?」
「えっと、じゃあ、……『君の瞳に映る僕』を」
「ホットチェリーだね?」
「はい! 大好きなんです!」
この曲は、ピアノ教室の生徒からも弾き語りで演奏したいという希望が多い曲で、名曲との評判の高い曲だった。もちろん、奏も知っていた。
「キーは?」
「原曲どおりで良いです」
女性だとかなり厳しいのではないかと思ったが、詩織がはっきりと言い切ったことから、奏も原曲キーのまま、ピアノの音色でイントロを演奏しだした。
向かい合う詩織がすごく嬉しそうな顔をしたのが見えた。
「ぷっ」
その顔が可愛かった一方で、お菓子を前にした子供のように見えて、奏は思わず吹き出してしまった。
「ごめんなさい。桐野さんの顔がすごく嬉しそうだったので、おかしくなっちゃった」
「藤井さんのピアノを聴くと、自然と顔が緩んじゃうんです」
詩織の少し困ったような顔に、奏は気分を引き締めた。
「ごめんね。じゃあ、もう一回」
もう一度、奏はイントロを弾き出した。ボーカルが入る前に詩織の顔を見たが、その顔は既に奏を見ておらず、目を閉じていて、曲の中に入り込んでいるようであった。
詩織が歌い出した。
体が震えた。
ボイスエフェクトを重ねていない生声で、しかも大きな声が出せずに囁くように歌っているにもかかわらず、ここまで奥行きのある歌声は初めて聴いた。そして、音程がまったくブレてなかった。
天性の歌唱力を持っている人はいる。詩織もそうだろう。しかし、いくら原石が素晴らしくても、それをきちんと磨かなければ宝石にはならない。きっと、ちゃんとした先生について、ボイストレーニングを重ねてきているはずだ。
しかし、詩織のすごいところは、そんな小手先のところではなかった。奏は、歌詞に込められた気持ちが当たり前のように自分の心に入って来たことに驚いた。
詩織はこの曲が大好きだと言った。詩織がこの曲に抱いている想いが伝わって来たのだろう。詩織の歌には、気持ちを伝える力がある。奏はそう確信した。
奏は詩織と一緒にバンドをしたくなった。詩織は自分のキーボードで歌えることが幸せだと言ったが、むしろ、詩織の歌のバックで演奏することの方が幸せに違いないと思った。
曲が終わった。最後、美しいビブラートを残して、詩織の声が空気の中に溶けていった。
玲音と琉歌が立ち上がり、パチパチと拍手をした。
「おシオちゃんの歌声は、いつ聴いても感動するぜ」
「今度、マイク通して聴いてみたいよ~」
奏も自然と拍手をした。
「本当に素晴らしかったわ」
そして、奏は、詩織、玲音、琉歌の顔を順番に見つめた。
「次のスタジオ練習にも参加をさせてもらうわ」
「えっ! と言うことは?」
「ええ、あなた方のバンドに加入させてちょうだい。良いかしら?」
「もちろんです! 嬉しいです!」
詩織が、奏の手を取って、飛び跳ねながら喜んだ。
――あ~、もう本当に可愛い! いっそのこと百合に走っちゃおうかな!
冗談ではなく奏にそう思わせるほど、詩織のことが気になって仕方なかった。
――でも、……この笑顔って、どこかで見たことあるような。
以前から感じていた疑問が、近くで詩織の顔を見ている奏にわき上がってきた。
最近、出会ったばかりなのに、なぜか以前から知っているような気がしてならなかった。十歳も下の女の子との接点はあまりなく、あるとすれば、ピアノレッスンの生徒しか思い浮かばないが、こんな、アイドル並みに可愛い女の子に会っていたら、しっかりと記憶に残っているはずなのに、その記憶がない。
だとしたら、どこで会ったのだろう?
奏は、玲音達とキャッキャッと騒いでいる詩織の横顔を見ながら、いろんな記憶の引き出しを開け閉めしてみた。そして、「アイドル並みに可愛い」という詩織のイメージで見つけた引き出しから、見覚えのある記憶が出て来た。
自分が直に会った記憶ではないが、彼女達の曲もレッスンで習いたいという生徒がひっきりなしに来ていた。当時は、日本中のどこでも彼女の顔を見ない日はなかったと言って良いくらいの人気を誇っていて、アイドルに特段の興味がある訳でもなかった奏でも、その顔は知っていたし、記憶にも残っていた。
「藤井さん! 今度のバンド練習が楽しみです!」
詩織が、また、奏の前にやって来て、奏の手を取った。
「う、うん。私もすごく楽しみ」
「はい!」
「それで、桐野さん。このバンドはプロを目指しているんだよね?」
「はい!」
「桐野さんは自分の経歴を利用しないの?」
「えっ?」
詩織が一瞬で固まった。
「ど、どういう意味ですか?」
嘘が下手だと思った。でも、それが詩織の魅力に直結しているのだとも感じた。
「あなた、キューティーリンクの?」
「……!」
「そうなのね?」
「……」
「だったら、その経歴を利用しない手はないんじゃない?」
「藤井さん」
詩織の後から、玲音が奏に声を掛けた。
「その話はしないでくれますか?」
詩織も驚いた顔をして玲音の方に振り向いた。
しかし、玲音は奏を睨みながら言葉を続けた。
「ここにいるのは、桐野詩織っていう女子高生で、アタシらのバンドの素晴らしいギタボなんだ」
「キューティーリンクっていうアイドルグループなんて、全然、関係無いし~」
琉歌も玲音の隣に立った。
「玲音さん! 琉歌さん! ひょっとして、私のこと……」
「こんだけ近くで話していて、気づかない訳がないだろ!」
「いつから分かっていたんですか?」
「初めて会った時の夜さ。琉歌が気づいて、次に会った時にじっくり見てみたけど、やっぱりそうだって思ったんだよ」
「おシオちゃんの可愛さは普通じゃないもんね~。でも、ボクがおシオちゃんの昔のことに気づいたのは、やっぱり、歌を聴いてからだよ~」
「歌を、ですか?」
「やっぱり、おシオちゃんが歌っている時のオーラは半端なかったもんね~。それで~、こいつはただ者じゃねえなって思った訳なんよ~」
「そうだよな。アイドルグループと言ったって、センターを務めることができたのは、それだけの実力があったからだろうしね」
「……」
「ということで」
玲音が再び奏に厳しい視線を向けた。
「アタシらは歌と演奏で勝負すんだよ! 間違っても握手会なんてしないからな!」
「そう」
奏は玲音の剣幕に言葉少なく答えることしかできなかった。
「もし、藤井さんが、それでも、おシオちゃんの過去のことを前面に出して活動すべきだと考えるのなら、残念だけど、一緒にバンドをする話はなかったことにしてもらいたい」
奏は信じられなかった。今時、こんな考えを持つ人がいることを。
人は誰だって楽をしたいと考える。成功への近道があれば、それを通りたいと誰しも考えるはずだ。詩織がキューティーリンクの桜井瑞希だと言えば、マスコミはこぞって記事にしてくれるし、バンドのライブは毎回盛況だろう。
歌と演奏で勝負をすることは良い。しかし、それもこのバンドのことをみんなが知ってくれなければ、いつまで経っても場末のライブハウスでくすぶっているしかないのだ。その状態から抜け出すためには、地道にライブ活動をこなし、知名度をこまめに上げていくしかない。それは、ひどく迂遠な道だ。でも、この人達は、あえて、その道を歩もうとしている。
「あなた達……、面白いわね」
奏の口から思わずその言葉がこぼれた。
「面白いなんて初めて言われたな」
玲音は奏の真正面に進み出た。
「でも、人と変わってるって意味なら褒め言葉だな」
「……」
「アタシ達は自分達が信じる道を突っ走るだけ! 人に媚びたり、人の意見に流されたり、人の目を気にしたり、そんなことで道を曲げたくない! 昔のおシオちゃんを利用するってことは、その時点で、アタシ達は誰かに踊らされるだけの存在になると思う」
奏もそう思った。「桜井瑞希のバンド」という型にはめられ、その話題性だけで利用されるだけ利用されて、音楽に注目されることなく、注目度が下がれば、そのまま捨てられるだけだろう。
――自分の道を突っ走るだけか。
奏は、言い古されているが、そのとおりに実践している人はほとんどいない、その言葉が心のひだに引っ掛かった。
女は結婚してなんぼ、子供を産んで一人前などと親に言われ続け、弟の嫁に先を越されて、さらにその風当たりが強くなり、焦った挙げ句にハズレを引く。最近は、それの繰り返しだった。
確かに、結婚にはそれなりの価値があるだろう。しかし、自分の理想も夢も中途半端に放り捨てて、「親が勧めるから」、あるいは「みんながしているから」する結婚にどれだけの価値があるというのだろう?
――結局、私も親とか世間に踊らされていただけかあ。
奏は、それを認めざるを得なかった。
Act.024は明日更新します!




