Act.022:集まった四つのスタイル
奏は、風呂上がりにドレッサーの前に座り、肌のケアをしていた。
鏡に映るすっぴんの顔。シワもシミもない。肌の張りだってそれほど衰えていないと思っている。
童顔で、見た目は同年代の女性よりは若いと思っているが、楽器店に来る十代の女の子を見ると、自分がもうアラサーだということを思い知らされる。
頭に桐野詩織という女の子の顔が浮かぶ。奏を見つめる真剣な瞳が眩しかった。百合趣味がない奏も惹きつけられた。
彼女は何かを持っている。そう感じざるを得なかった。そうでなければ、前日に少しだけ言葉を交わしただけの女の子からの唐突なバンド参加の誘いなど無視したはずだ。奏を惹きつけてやまないその力は、バンドの大きな力になるはずだ。
後は彼女らのテクニックだ。単なる「可愛い」だけを売りにするバンドなどする気はなかった。というより、そんなバンドにアラサーの自分が入れば、どう考えても弄られキャラでしかない。
とりあえず、詩織の演奏や歌を聴いてみたかった。
ドレッサーの上に置いていたスマホが震えた。
見ると、詩織からメールが入っていた。
『明日の夜九時からメンバーの家でバンド結成のお祝いをする予定にしています。藤井さんは、まだメンバーと決まっている訳ではないですが、せっかく、メンバー全員が揃いますし、ミキサーを通してですが、楽器の音を揃って出すこともできます。次のスタジオリハは来週木曜日までできないのですが、早く藤井さんと音を合わせてみたいと、みんな思っていますので、ご都合がつけば、明日、いらっしゃってください。ピアノ講師もされている藤井さんの話もいろいろと聞いてみたいです。急なことで申し訳ありません。よろしくお願いします』
高校生とは思えない丁寧な文面だった。詩織がチャラチャラとした気持ちではなく、しっかりと自分の考えを持ってバンドに取り組んでいることが分かった。それだけでも、もう一度、詩織に会って、話をしてみたいと思った。
奏は、明日、出席すると返信をした。
次の日。土曜日の夜。
池袋にある自宅を出た奏は、三つ目の駅である江木田駅に降り立った。
帝都芸術大学を始め複数の大学のキャンパスがある学生街として有名であったが、奏は初めて訪れる街であった。
奏は、仕事が終わった後、一旦、家に帰り、仕事用のスカートスーツから、メルヘンチックなフリルが特徴的な長袖ワンピースに白タイツ、ストラップパンプスというお気に入りの服に着替えていた。山田楽器店の店員からは「ぶりっ子ファッション」との悪口も漏れ聞こえてきていたが、自分のスタイルを変えるつもりはなかった。
江木田駅北口を出ると、すぐに詩織が駆け寄って来た。
詩織は、チェック柄のシャツの上に紺色のパーカーを羽織り、ボトムは裾の折り返しがチェック柄になっているチノパン、足元はバスケットシューズという少年のような格好をしていた。
もっと女の子らしい格好も似合いそうなのにと奏は思ったが、バンドでロックをしているということで、あえて、そういう格好をしているのかもと考えた。
「藤井さん、わざわざお越しいただいて、ありがとうございます」
詩織は丁寧に頭を下げた。
「いえ、私も楽しみにしてました」
「本当ですか? 私もです!」
頭を上げた詩織から満面の笑顔を向けられて、それだけで奏も嬉しくなった。
「どうぞ、こちらです」
詩織と一緒にバンド仲間のマンションに行く道すがら、奏は詩織にいろいろと質問をして、詩織が池袋では有名なお嬢様学校である私立アルテミス女学院に通っている高校三年生であること、バンドをしていることは学校には内緒にしていることなどを聞いた。
マンションに着くと、エレベーターで二階に上がり、一番端の部屋に行った。
「ここはドラムさんの部屋なんです。その隣はベースさんの部屋で、二人は姉妹なんです」
以前、コーヒーショップで聡史と待ち合わせをしていた時に、詩織と一緒に隣のテーブルに座った女性達だろうが、詩織の記憶が鮮明に残っている一方で、後の二人の記憶は微かに残っている程度だった。
詩織が呼び鈴を鳴らすと、玄関のドアが開き、その二人が出迎えに出て来た。
「どうも! ベースをしてます、萩村玲音です」
「ドラムの萩村琉歌で~す」
姉妹というわりには、まったく似ていない二人だった。
玲音は、ワンサイズオーバーの黒いサマーセーターをゆったりと着て、ボトムはスリムなモノクロチェック柄のレギンスパンツというファッションで、見た目同様、クールなイメージなのに対して、琉歌は前回見た時と同じダブダブのオーバーオールジーンズにグレーのカーデガンを羽織っていて、どちらかというとふわふわとしたイメージであった。
「藤井奏です。今日はよろしくお願いします」
玄関先で挨拶を交わした後、部屋に上がった。
玄関からすぐにワンルームの部屋で、かなり余裕がある造りだった。大きなパソコン机にデスクトップパソコンとディスプレイ、その側には電子ドラムがあって、今回の会場設営のためか、少し壁際に寄せているのが分かった。
部屋の中央にはローテーブルの周りに四つのクッションが置かれていて、テーブルの上には既にご馳走が並んでいた。一つは出来合いのオードブルと思われたが、鳥の唐揚げやサラダなどは手作りのようだった。
「この料理は?」
「玲音さんが作ってくれました。私は料理が苦手で」
詩織が少し照れくさそうに言った。
いつ結婚を申し込まれても大丈夫なように、料理の腕前も鍛えていた奏は、料理ができるということが女性の価値の一つだと考えていて、そう言う意味で、見た目は料理とかしそうにない玲音のことを見直した。
「じゃあ、会費は?」
「良いっすよ。今日、藤井さんはゲストなんすから」
奏は、バッグから財布を出したが、玲音は受け取ろうとしなかった。
「私の突然のメールにもかかわらず来ていただいて、もう、それだけで嬉しいんです」
詩織がそう言いながら、奏を席に案内した。
「とりあえず、お腹が空いたから早く食べようよ~」
琉歌が子供のように腕をブンブンと振り回しながら言った。
「そうだな。藤井さん、お口に合うかどうか分からないけど、どうぞ」
奏は、勧められるままに、ローテーブルの前に座った。
玲音が冷蔵庫から缶ビールや缶チューハイを持ってくると、奏の前にも置いた。
「藤井さん、お酒は飲みますか?」
「ええ、少し」
「じゃあ、飲みましょう! おシオちゃんだけ、これな」
詩織の前には缶ジュースが置かれた。
「じゃあ、とりあえず乾杯しよう!」
みんなが缶の蓋を開けると、玲音が高く掲げた。
「クレッシェンド・ガーリー・スタイル結成を祝して! そして藤井さんとの素敵な出会いに乾杯!」
四人で缶を軽くぶつけ合って乾杯をした。
奏は、今まで話をしたこともない人の家に上がり込んで、一緒にお酒を飲んでいる自分に不思議な感動を覚えていた。学生の頃には、友達の友達も皆友達という感覚で、初対面の人とも飲んだことはあったが、社会人になり会社という組織の中に組み込まれてしまった今、そんなことはほとんどなくなっていた。その人と一緒に飲むことで、会社における自分の地位とか立場が悪くならないかどうかを判断して選別するようになった。結果、飲むのは彼氏か、会社の同僚くらいになってしまった。会社の女子会に出ることもあったが、聞かされるのは会社への愚痴とか同僚の悪口くらいだった。そんなこととは無縁の目の前の三人と一緒にいることが奇跡だと思った。
「さっき、おシオちゃんって呼ばれていたけど?」
奏が左隣に座っている詩織に訊いた。
「私、池袋にあるビートジャムというスタジオを良く利用しているんですけど、そこの店員さんに付けられたあだ名です」
「重要な調味料の塩に掛けているのかしら?」
「いえ、単に私の名前からだと思います」
「そうなんだ」
「藤井さん」
正面に座っている玲音が奏を呼んだ。
「この前にスタジオで録った初練習の時の録音がありますけど聴きますか? 直録りなので音は悪いですけど」
「ぜひ」
琉歌が玲音から渡されたIC録音器をミニコンポに繋げて、再生を始めた。
生録なので雑音も入っているが、曲が始まると、奏も耳を奪われた。生録でここまで迫力のあるサウンドを出せるということは、この三人は相当なテクニックを持っているということだ。詩織のボーカルが入ってきた。話している時とは違って、パワフルに声が響いていて、高音の伸びや音域の幅の広さも素晴らしかった。
直に聴いてみたい。奏は切実にそう思った。
今、聞こえている音や声だけでも奏の心を震わせるパワーを持っていた。そのパワーの本当の姿を確かめてみたかった。
「桐野さん」
奏は、また隣の詩織を見た。
「桐野さんの生歌を聴いてみたい。ここで歌える?」
「えっ? アカペラでですか?」
「そのキーボードを借りて良いかしら?」
奏は部屋にセッティングされていたキーボードを指差した。
「どうぞ。藤井さんに弾いてほしくて持って来たんだから」
どうやら、玲音のキーボードのようだ。それほど良い機種ではないが、この場で鳴らすには十分だ。
奏が立ち上がり、キーボードの前に立つと、奏と向かいあうように、詩織もその前に立った。
GWということで、次回は4日(月)0時過ぎに更新します!




