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Act.020:今の自分だけを頼って

 詩織しおりは焦って、左右を見渡したが、レジカウンターの近くには、詩織と椎名しいなの二人の他には誰もいなかった。

 そして、椎名の顔をマジマジと見つめた。

「ど、どうして?」

 今の学校の同級生には椎名よりももっと近くで顔を見られているが、今まで誰にもばれたことがない。

 ひょっとして、見た目、クールな印象だが、椎名はアイドル好きなのだろうかと思ったが、椎名は、元アイドルが目の前にいるというのに、変に興奮したり、ゲスっぽい目をしたりはしなかった。

「確かに、あの頃からは印象が少し変わっている。まあ、俺の同級生の女も中学の時には野暮ったい奴だったのが、高校に行きだすと、いきなりケバく変身して面影がなくなった奴もいっぱいいたからな。女は中学高校で変わってしまう生き物なんだろう」

「……」

 椎名は、呆然としていた詩織に肩をすくめてみせた。

「種明かしをすると、以前に俺は君に会っている」

「私と?」

「ああ。大学一年生の時、バイトでプロのカメラマンのアシスタントをやっていた時期があってな。その時に、当時、超人気アイドルだったキューティーリンクのメンバーのグラビアを撮る仕事について行ったこともあるんだ。その時に君に会っている」

「そ、そうだったんですか」

 バイトを始めた途端に、昔の自分のことがばれてしまうとは思ってもいななかった詩織は落ち込んでしまって、目を伏せた。

「そんなに落ち込むなって」

「えっ?」

 うつむいていた詩織が顔を上げて椎名を見ると、優しい笑顔を湛えていた。

「俺はこう見えて口が固いんだぜ」

「……」

桜井さくらい瑞希みずきがなぜ突然引退したのか? 『一身上の都合』としか発表されなかったから、当時は、多忙すぎて精神を病んだんじゃないかとか、男性アイドルの子供を妊娠してしまったからだとか、心ない噂が広まっていたが、今の桐野きりのの話からすると、バンドをしたかったからということなのか?」

「は、はい」

「そして、それを知られたくないということは、昔の名声を利用することなく、自分の感性や実力だけで勝負をしたいと思っているからだろう?」

 バンドの話すら、まだ、椎名とはそれほどしていないにもかかわらず、自分の考えをここまで的確に言い当てられたことに驚いた。

「はい。でも、どうして、私の考えていることが分かったんですか?」

「俺も同じことを考えているからさ」

「同じことを?」

「ああ、俺も自分の実力でのし上がりたいって、いつも思っているんだ。俺の場合の桜井瑞希は俺の親父だ」

「椎名さんのお父さんが?」

「ああ。まあ、詳しく話すつもりはないが、俺の親父はけっこう金持ちでな。俺が頼めば、俺の活動資金くらいなどいくらでも出してくれるだろう。しかし、俺はそんな甘えた考えは嫌いなんだ」

 どうやら、椎名の家庭は裕福のようであるが、ここでアルバイトをしているということは、親からの援助を受けたくないし、実際に受けていないのだろう。

「なんて、格好良いことを言っているが、さすがに大学の授業料は出してもらっているから、大きな顔はできないんだけどな」

「でも、自分が目指していることは、誰にも頼らず、自分の力で何とかしたいということなのですよね?」

「まあな」

 その投げやりな態度とは裏腹に、椎名の熱い心意気が伝わってきた。

「しかし、驚いたぜ。まさか、こんなところで元アイドルに会えるなんてな」

 椎名は自分の発言が少し照れくさかったのか、詩織を弄くるように言った。

「あ、あの、誰にも言わないでくれませんか? お願いします!」

 詩織は深くお辞儀をした。

「だから、言わないって言ってるだろ! 信用しろって!」

「本当ですか?」

 顔を上げた詩織が見た椎名の顔は真剣だった。

「本当だよ。俺も、映画の撮影で、有名どころから無名まで数多く女優を見ているし、実際につき合った女もいる」

「そ、そうなんですか?」

 確かに、椎名の容姿だと女性にモテるだろう。

「ああ、だから、知り合いに元アイドルがいるって言いふらすほど、ミーハーじゃねえよ」

「あ、ありがとうございます!」

 また、詩織は深くお辞儀をした。

「そんなに何度も頭を下げるな。俺はそんなに偉い人間じゃない」

 頭を上げて椎名を見ると、鼻の頭を掻きながら少し照れているように見えた。

「俺は、桐野と同じレンタルDVD屋でバイトしている、しがない学生だ。そうだろ?」

「は、はい」

 詩織も思わず笑顔で答えた。

「ふむ。やはり、桐野の笑顔は破壊力抜群だな。さすが元アイドルだ」

「えっ?」

「ははは、冗談だよ。おっと、客が来たようだ」

 DVDケースを幾つか持った男性の客がレジカウンターにやって来た。

 椎名の指導を受けながら、詩織はレジの操作をした。

 客の会員証とDVDに貼られたバーコードを読みとり、貸し出し日数を入力するとレジに金額が表示される。そのお金を受け取って、釣り銭を渡し、DVDを貸し出し専用のビニールケースに入れて手渡す。

「ありがとうございました~」

 力のない言葉で、椎名が出ていく客に軽く頭を下げた。詩織も急いで一緒に頭を下げた。

「どうだ? 簡単だろ?」

「はい! 何とかできそうです」

「うむ。しかし、桐野と一緒の時は、できるだけ俺がレジをしようか? その代わり、桐野には商品の管理を頼むことになるが?」

 詩織ができるだけ客の視線に晒されないようにと、椎名が気遣って言ってくれていることが分かった。

「椎名さんが迷惑でなければ」

「ああ、俺は良いぜ。どっちかというと商品整理の方が体力を使うけど良いか?」

「はい!」

「まあ、今日のところはレジもやってもらって、レジも慣れておいてもらわないといけないけどな」

「はい」

 その後、詩織は主に商品整理の担当として、返却されたDVDを棚に戻す作業を行った。ふとカウンターを見ると、椎名が退屈そうに欠伸をしていて、これだけ見ると、自分はさぼって年下の女性にきつい仕事をさせているように見えなくもなかった。

 しかし、詩織にとっては、人と顔を合わせなくて済むということが、精神衛生上、何よりも好ましく、仕事も苦にはならなかった。



 午後九時になると、詩織の後のバイトがやって来た。

「桐野、そろそろ上がろうか?」

 椎名も九時で上がりだった。

「はい」

 椎名の跡について、スタッフルームに入ると、いつの間に来ていたのか、オーナーが事務机に座っていた。

 今日は、ずっと商品整理をしていて、棚の位置を憶えるのに必死で、オーナーが店にやって来たのに気づかなかったのだろう。

「ああ、桐野さん。お疲れ様。どうだった?」

「やっぱり最初ですから、少し疲れましたけど大丈夫です。棚の位置も何とか頭に入りました」

「それは頼もしい。じゃあ、また、よろしくね」

「はい。お先に失礼します」

「うん。椎名君もお疲れ様」

「はい。失礼します」

 ロッカーに店名入りエプロンを返すと、椎名と二人でスタッフルームを出て、後任のバイトに挨拶をしてから店を出た。

 カサブランカの前の道は、江木田駅から真っ直ぐ伸びる商店街の通りで、午後九時を回って、通り沿いの商店はほとんどシャッターが閉まっていたが、コンビニや牛丼屋など二十四時間営業の店には煌々と明かりが灯り、駅から歩いてくる人の数も多かった。

「桐野」

 椎名が隣を歩く詩織を呼んだ。

「は、はい」

 少し、びくついて返事をした詩織に、椎名が苦笑した。

「お互いのことを、まだ、全然知らないのに信用しろってのが無理かもしれないが、まあ、信用しろ」

 その椎名の照れたような話しぶりが少しおかしくて、詩織は顔をほころばせた。

「あっ、はい。信用してます」

「ははは、何か軽い言われようだな」

「そ、そうですか?」

「まあ、良いや。訊きたかったのは、桐野の名前だ。ちなみに俺は椎名しいなつばさという。未だもって羽ばたくことなどできないけどな」

 椎名の自虐ギャグにも少し慣れてきた詩織は「私は桐野詩織といいます」とすぐに答えた。

「ふ~ん、意外と普通の名前なんだな」

「それはそうですよ」

「その本名は公表してなかったのか?」

「はい。中学校は芸能関係者が多く通っている学校でしたけど、そこでも芸名の方で過ごしていましたから」

「それは徹底しているな。何か理由があったのか?」

「父親の希望です。桐野詩織と桜井瑞希は別人なんだと思いたかったのかもしれません」

「でも、そのお陰で、今の第二の人生に向けての隠遁生活ができている訳だな?」

「そうですね。本当に父には感謝しきれないくらいです」

「そうか」

 椎名は、なぜか寂しげな表情をした。

 詩織は、店で話していた椎名の父親のことに関係があるのだろうかと想像したが、椎名は、すぐにいつもの無愛想な顔に戻った。

「俺の家はこっちだ。桐野の家は?」

「はい?」

 詩織が少し警戒をした表情を見せて、椎名は少し焦ったようだ。

「い、いや、誤解をするな! 別に桐野にストーカーするようなことは考えていない。世間一般的に同僚の家の所在地を訊いただけだ」

 詩織は、椎名の慌てた様子が少し可愛く思えて、くすりと笑った。

「私は、駅の反対側です」

「そうか。では、ここで別れよう。今日はお疲れ様。これからもよろしくな」

「はい。椎名さんもお疲れ様でした。こちらこそよろしくお願いします」

 無愛想なりにちゃんと挨拶をして去って行く椎名の背中を見ながら、詩織は、引退後、初めて昔の自分のことを知った人が椎名で良かったと思った。そして、そんな椎名に少し興味を覚えた。


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