Act.019:共鳴する情熱
その日の午後の時間全部を使ったクラブ勧誘の時間が終わると、そのまま下校となった。
もっとも、勧誘の熱気はまだ残っていて、詩織が校門を出るまで、まだ、あちこちで勧誘が行われていたが、詩織は、それを横目で見ながら真っ直ぐに家に帰った。
いつものボーイズ風ファッションに着替えた詩織は、一旦、眼鏡をはずしたが、思い直して、また、眼鏡を掛けた。初めての接客業で、近くで顔を見られることになる。心ばかりの変装である眼鏡を掛けていこうと思ったのだ。
ハムスターのペンタに「頑張るね!」と言い残してから、家を出て、自宅とは駅の反対側にある「カサブランカ」に歩いて行った。
午後五時に十分前に店内に入ると、レジカウンターには椎名が退屈そうに立っていた。
「こんばんは」
詩織の挨拶に、眠そうに片手を上げた椎名の前を通り過ぎ、詩織は奥のスタッフルームに入った。
今日は、オーナーはいなかったが、割当を受けたロッカーには「桐野」と手書きの名札が貼られていた。開けると一つだけハンガーがあり、そこに店名の入った黒いエプロンが吊り下げられていた。
「桐野」と綺麗に印刷された名札が安全ピンで留められているエプロンを掛けていると、同じエプロンを掛けた若い女性が入って来て、詩織に「お疲れ様です」と声を掛けた。
詩織の代わりに「上がる」バイトであろうその女性に、詩織も「お疲れ様です」と挨拶をしてからスタッフルームを出て、椎名が立っているレジカウンターに向かった。
店内には、ちらほらと客がいたが、レジには誰も並んでいなかった。
「椎名さん、今日からよろしくお願いします」
「ほい、よろしく。その眼鏡は?」
一昨日は掛けてなかった黒縁眼鏡を掛けていたことに気づいた椎名が訊いた。
「あ、あの、本当は少し目が悪いので」
「そうか」
椎名は興味なさそうに言った。それが返って詩織を安心させた。
少しでも昔の自分のことがばれないようにと、これからも、学校と同じように眼鏡を掛けてバイトをするつもりだったが、逆に言うと、学校の同級生が来店すると、すぐにばれることになる。しかし、バイトをしていることが学校にばれることよりも、昔の自分のことを知られて、大騒ぎになることの方が怖かった。
そんな詩織の心配をよそに、椎名が大きく欠伸をした。椎名は本当に眠そうだった。
「とりあえず、何をしたら良いですか?」
「商品の整理も原田さんが済ませてくれたから、とりあえず、今はすることはないかな」
「そ、そうですか」
その「原田」とおぼしき、先ほどスタッフルームで会った女性が「お先です!」と言いながら、レジカウンターの前を通り過ぎ、店を出て行った。
「とりあえず、俺の隣にでも立ってる? 暇なうちに、実際のレジを経験してみたら良いよ」
カウンターにレジは二つあって、二人が並んで立てるスペースは十分にあった。
「はい」
詩織が椎名の隣に立つと、詩織の頭は、背の高い椎名の肩の高さにあった。
椎名は両手をカウンターに着いて、すこし疲れているように、うつむき加減で前を向いていた。
はあ~とため息を吐いた椎名が、ハッと気がついたように詩織を見た。
「あっ、悪い。ちょっと、感じ悪かったか?」
「い、いえ。お疲れなんですか?」
「そうだな。三時間くらいしか眠ってなくて」
「何かお忙しいのですか?」
「別に飲むのに忙しかった訳じゃないぜ」
椎名は、詩織が疑惑の眼差しで見ていたことが分かったようだ。
「そ、そんなことは考えてなかった……ですけど」
「嘘吐け! 顔に出てたぜ」
「……」
「まあ、女子高生を虐めても仕方ねえな」
そう言った椎名は、自嘲気味な冷めた笑いを浮かべていた。
「実は、昨日、ずっと映像編集をしてたんだ」
「映像編集?」
「その顔だと『何だそれ?』って感じだな?」
「は、はい」
「まあ、平たく言うと、自分達で撮った映像にいろんな加工をするってことだよ。撮影した映像を編集したり特殊効果を付け足したりすることで、作成者が意図している衝撃や感動を視聴者に与えるには、どういうことが効果的かを考えたり、試しにやってみたりをずっと続けていたんだ」
「椎名さんって、普段はその関係のお仕事されているのですか?」
「仕事している人間がこんな所でバイトをするかよ?」
「ご、ごめんなさい」
見た目は物静かな椎名だが、二人きりで話してみると、かなり辛辣な物言いをする人だと分かった。詩織は自分が責められたものと思って、思わず謝った。
「あっ、いや、別に、桐野を責めている訳じゃねえから。俺は、こんな口の利き方しかできねえから軽くスルーしてくれ」
「は、はい」
「それで、さっきの質問の答えだけど、俺はまだ学生だよ。帝都芸術大学に行ってる」
帝都芸術大学といえば、この江木田駅近くに本校キャンパスがあり、芸術の各分野で活躍しているトップアーティストを数多く輩出している有名芸大であった。高校三年生である詩織が学校から配られた受験情報にも偏差値の高い大学として掲載されていた。
「すごいですね」
「そんなに見えないか?」
「そ、そういう訳ではないです!」
椎名は、背も高く、顔も美形で、服装のセンスも良く、モデルをしていると言われても信じられるくらいにはイケメンだ。服装には無頓着で髪の毛をクシャクシャと掻きむしりながら「う~ん」と唸っている、詩織が勝手に思い描いている芸術家のイメージとはほど遠かった。
自分に興味がある分野の話題だからか、椎名は、楽しげな顔をして話を続けた。
「俺、大学で映画研究会を主催しててさ。昨日は、その映研で作製している映画の編集作業を家で夜通ししていたんだよ。その後、学校に行っても続きをやって、昼に三時間ほど眠っただけなんだ」
「自分達で映画を作られているんですか?」
「ああ、面白いぜ」
「では、将来は、そちらの道に進まれるんですか?」
「そうだな。監督とかプロデューサーとかが最終目標だけど、映画作製に関わる職業には、とりあえず就きたいな」
最近は、男性と面と向かって話をすることなどなかった詩織だったが、椎名の真剣な表情に、自分と同じ、何かを目指す情熱とかエネルギーを発していることが感じられ、詩織は椎名に少しシンパシーを感じた。
「普通にサラリーマンになって、そこそこの給料もらって、適当な時に結婚して、子供を二人くらい作って、住宅ローンを組んで家を買って、定年まで働いて、老後は孫に囲まれてのんびりって生活は、それはそれで素晴らしいことなんだろうけど、俺はそんな人生は送ろうと思わない」
「じゃあ、椎名さんの理想の人生って、どんな人生なんですか?」
「いつでも第一は映像作品だ。多くの映像作品を生みだして、それを多くの人に見てもらいたい。感動でも良い。違和感でも良い。観客が何かを感じる作品を、俺は作りたいんだ」
椎名の口調は冷静なままだったが、その熱い想いはしっかりと詩織に伝わってきた。
「できると良いですね」
「絶対に夢は叶えてやるって思ってる! 思えば必ず叶う! そう思わないか?」
「思います! 椎名さんの夢も絶対叶いますよ!」
ずっと想い続けてきた夢が叶った詩織は、心からそう思った。だからか、少し声が大きくなってしまった。
「桐野も、見た目は大人しいお嬢さんみたいだが、けっこう熱いな」
「私も、つい最近、バンドをやりたいという夢が叶ったので」
椎名の突っ込みに、詩織が体を小さくしながら言い訳をした。
「そう言えば、桐野はプロになりたいと言っていたな」
一昨日、初めて会った時に、詩織が大学を受験しない理由として、バンドでプロデビューを目指していると言ったことを、椎名はしっかりと憶えていたようだ。
「はい! 一昨日、一緒に来ていた人とバンドをすることになったんです」
「ふ~ん。しかし、桐野は、どうしてプロになろうと思ったんだ?」
「プロになろうと思ったのは……」
そこで詩織は言葉を切った。
自分がアイドルを辞めてまでバンドをしたくなった理由は、玲音や琉歌にも話してなかったと思いついたからだ。
もっとも、玲音や琉歌には自分がアイドルだったことを明かしていないし、玲音や琉歌は、詩織が父親の影響でギターを始めて、バンドもしてみたいと思うようになって、そしてその思いが高じてプロデビューをしたいと思い至ったと単純に考えているだろう。プロデビューを目指すための理由としては十分で、むしろ、詩織のように、アイドルという作られたイメージで歌うのではなく、自分自身の言葉で紡いだ曲を歌いたいという理由の方が珍しいだろう。
「ホットチェリーというバンドをご存じですか?」
「ああ、知ってるよ」
「ホットチェリーさんの演奏を直に聴く機会があって、その時に自分の言葉でメッセージを伝えられるのって、すごく素敵だなあって思ったんです」
「なるほど。誰かに作ってもらった曲を歌っているよりも、自作の曲を自分で演奏して歌うことが良いと思ったってことか?」
「はい! ……えっ?」
椎名のセリフは、詩織が以前に「誰かに作ってもらった曲」を歌っていたかのような言いぶりだった。
「昔の自分とは、まったく違う自分として歌いたい。そのためには、昔のことを表に出さずにデビューしたいってことなんだろ?」
「……」
詩織は言葉を発することもできずに、ただ椎名を見つめた。
椎名は、詩織を安心させようとしたのか、今まで見せたことのない優しい笑顔を見せた。
「心配するな。君が桜井瑞希だってことは誰にも言わないよ」




