Act.016:夢を叶えるために!
次の日。
学校から真っ直ぐに帰った詩織は、午後五時半になると、バンドの準備をしてから、江木田駅の改札前に行った。
詩織がそれほど待つまでもなく、玲音と琉歌もやって来た。二人とも楽器を携えている。
今日は、正式にバンドを組んでから初めての練習日であった。
三人で一緒に電車に乗り、他愛のない話をしていると、すぐに池袋に着いた。
巨大ターミナル駅だけに電車を降りてから駅を出るまで三分ほど掛かり、そこから徒歩五分ほどでスタジオビートジャムがある。
これまで、ずっと一人で歩いて来たビートジャムへの道。人通りが多い繁華街である、その街のざわめきも、輝くネオンも、周りの景色のすべてが、詩織に「おめでとう」と言ってくれているような浮かれた気分になった。
午後六時に十分前、ビートジャムに入った。
「いらっしゃいませ!」
ミミの元気な声が出迎えてくれた。
「あれえ! おシオちゃん、今日、個人練習、入ってたっけ?」
スタジオの予約は玲音の名前で取っているはずで、ミミは、詩織がやって来たことで予約ミスがあったのかと、心配そうな顔を見せた。
「あ、あの、私、バンドに入ったので」
ミミをびっくりさせて申し訳ないという表情をして、詩織が言った。
「そうなんだ。玲音さんと一緒にやるんだ?」
ミミは、玲音と琉歌のことも、当然、知っていた。
「はい」
「おめでとう! 良かったね!」
「あ、ありがとうございます!」
詩織が黙々と個人練習を続けてきたことを知っているミミのさりげない一言が嬉しくてにやけている詩織の横で、玲音がカウンターにもたれ掛かるようにしてミミを見た。
「ミミちゃんさあ。こういう逸材がいるんなら、早く紹介してくんないかなあ」
「だって、ミミは、おシオちゃんの演奏は聴いたことはないし」
「おシオちゃん?」
ミミは詩織を指差して「おシオちゃん」と呼んだ。
「あははは、可愛い! ボクも『おシオちゃん』って呼ぼうかな~」
琉歌が嬉しそうに笑った。
スタジオに入った三人は、まず、肩慣らしに有名な洋楽ロックを演奏した。今日も詩織のボーカルとギターは自分でも納得できる音を響かせた。
「いや~、やっぱ、おシオちゃんのボーカル良いわあ」
「本当だよねえ~。おシオちゃんの歌に聴き惚れてしまって、危うく演奏を忘れちゃうところだったよ~」
玲音も琉歌も「おシオちゃん」という呼び方が気に入ったようだ。ミミから、ずっとそう呼ばれていたので、詩織自身もすんなりと受け入れることができた。
「でも、この曲、本当はギターが二本入ってるんです。だから、少し厳しかったです」
原曲は、ギターボーカルとギター、ベース、ドラムの四人組バンドの曲で、ギターも重ね録りがされていた。
「ああ、そんな感じだったね」
「玲音さん」
「うん?」
詩織が真剣な顔つきで玲音を見た。
「この三人でこれから活動するつもりですか? 三ピースでするなら、ギターのアレンジも少し変えなきゃいけないところもありますし」
「そうだねえ。確かに、このままじゃあ、おシオちゃんの負担が大きいかもね」
「負担ってこともないんですけど、これからの曲作りも楽器編成が決まらないと作りづらいですよね?」
「そうだな。……うん! もう一人、入れようか? ギターかキーボード」
「そうだね~。ボクは賛成~」
「おシオちゃんは?」
「賛成なんですけど」
詩織は、運命的な出会いとも思える玲音と琉歌との仲が、もう一人のメンバーが入ることで壊れてしまうかもしれないことを恐れた。しかし、それは、飽くまで、そのメンバーの人柄によるものであって、出会ってもいない人のことを心配しても始まらない。
「けど?」
「あっ、いえ。賛成です! でも、できれば女性の方が」
「男のメンバーを入れることは、今回のことで懲りたからね。絶対に女性限定にしようぜ」
「はい」
そもそも、詩織が名付けた「クレッシェンド・ガーリー・スタイル」という仮のバンド名もメンバーが女性であることが前提だ。
「おシオちゃんは、ギターかキーボードの知り合いはいない?」
「今まで一人で練習してきたくらいですから、いないです」
「だよね。まあ、アタシ達も同じだよ。いたら、今頃、メンバーになってもらっているよなあ」
「ですよね」
「帰りに、ミミちゃんにも訊いてみるか?」
「ボクもメン募サイトに募集記事を掲載してみるよ~」
「プロを目指している女性ミュージシャンって絶対数が少ないからなあ。でも、どちらかというと見つかる可能性が高いのはギターかな。そうすると、おシオちゃんにギタボをしてもらうことにして、リードができるギタリストを募集することになるな」
「でも、いろんな音楽をするのならキーボードだよね~」
「過去の経験から言うと、ロックしているキーボーディストって意外と少ないんだよな。上手い具合に見つかれば良いけどさ」
「玲音さん! 私、キーボードの人と一緒にしたいって、ずっと思っていたんです!」
玲音と琉歌が話している間に、詩織が唐突に割って入った。
詩織の脳内バンドにはキーボードメンバーがいた。せっかく、こうやってバンドを結成することができたのだから、詩織は、とことん理想を追求したかった。
「そうなんだ。でも、どうして?」
「さっき、琉歌さんが言われたみたいに、音楽の幅が広がるからです。自分で曲を作っていて、ここはストリングスが欲しいとか、ピアノを入れたいとか思うことがいっぱいあって……。えっと……」
「ふふふ、分かったよ」
詩織は、まだまだ理由を述べ足りなかったのに、頭に適切な言葉が浮かんでこなくて、やきもきしてしまったが、玲音と琉歌が優しい笑顔でフォローしてくれた。
「だから、募集もとりあえず、キーボードの人に限定してもらって良いですか?」
「おシオちゃんがそこまで言うのならそうしようか。でも、応募がなければ、ギターで妥協しなければいけないかもしれないよ」
「はい。でも、拙速に決めてしまうと後悔しそうな気がするのです」
「言う時は言うねえ、おシオちゃん」
「あっ、す、すみません」
「いやいや、嬉しいよ。そういう風に自分の意見を遠慮なく言ってもらって、そのうち喧嘩もできるようになろうぜ。喧嘩するほど仲が良いらしいからさ」
「はい!」
「しかし、キーボードかあ。見つかるかなあ?」
「あっ!」
玲音の既に諦めかけた顔を見た詩織の頭に、何故か山田楽器店でデモ演奏をしていた女性の顔が浮かんだ。
「どうしたの、おシオちゃん?」
「い、いえ、昨日、山田楽器でデモ演奏していた人とか無理かなって思ったんです」
「無理だろ!」
一刀両断の玲音だった。
「楽器店でデモ演奏している人って、きっと、ピアノかエレクトーンの先生をしてる人だと思うんだけど、そういう人にとっての音楽はクラシックとかジャズであって、ロックなんて、お子ちゃまの音楽だと思ってるに決まってるよ」
会ったこともないのに、そうやって決めつける玲音に「そんなことはない」と言うだけの反論材料を詩織は持っていなかった。しかし、詩織が彼女にバンドのことを話した時、何となく嬉しそうな顔をしたことに、詩織は気づいていた。
「あ、あの、私から声を掛けるだけ掛けても良いですか?」
「積極的だねえ」
昔の自分に気づかれることが怖かった詩織は、これまで積極的に人に話し掛けることもしてこなかった。しかし、自分の夢が現実のものとなった今、それをもっと理想に近づけたかった。ギター二本だとロック色がかなり強くなるが、キーボードが入ることで演奏する音楽の幅が飛躍的に広がることは疑いようがない。
「まあ、承知してくれたら儲けものってくらいで期待してるよ」
玲音が言ったように、まだ、名前も知らない人をいきなりバンドに誘うことは無謀だと思われたが、詩織の決意は変わらなかった。
その後、詩織達は、これまで自分達が作ってきたオリジナル曲を披露しあった。
まず、詩織の作った曲を披露することになった。
詩織は、自分で作詞作曲した曲を人前で披露することが初めてで、少し恥ずかしかったが、演奏中に真剣な顔をして聴いてくれていた玲音と琉歌を見て、そんな気持ちは吹き飛んでしまった。
自分の声で、自分の言葉で歌いたいと思ってアイドルを辞めたのに、自分のその覚悟は恥ずかしさに耐えられない程度だったのかと、自分で自分に腹を立てた詩織は、曲の二番から堰が切れたかのように感情を爆発させて、それを思い切り吐き出した。
伴奏は自分のギターだけであったが、むしろ、それで詩織の声が圧倒的迫力を持ってスタジオ内に響いた。
曲が終わると、黙って聴いていた玲音と琉歌が拍手をした。義理ではないことは、その赤くなっている頬を見れば分かった。
「良い! おシオちゃん、良いよ!」
「感動しちゃったよ~」
「あ、ありがとうございます!」
心からの賛辞に詩織も嬉しくなって、笑顔で頭を下げた。
「でも、もう少し遅くして、バラード色を強めた方が良くないか?」
「うんうん。そっちの方がおシオちゃんの声が生きる気がするよね~」
玲音の提案に、すぐ琉歌が賛同をした。
「でも、そうすると、やっぱり、ピアノがあった方が良いよね~」
「そうだな。ギターのアルペジオでも良いけど、ここはピアノだろうなあ」
詩織のオリジナル曲を聴いて、玲音達もキーボードの参加を期待するようになったようだ。
続いて、玲音のオリジナル曲のうち、三曲が披露された。これも伴奏はギターだけで、玲音が詩織から借りたギターをかき鳴らしながら、低音に迫力がある歌を披露した。
玲音もボーカリストとしてかなりの実力者だと分かった。
「玲音さんのボーカルもすごいです! 歌わないともったいないですよ!」
「いやいや、やっぱり、うちのメインボーカルはおシオちゃんだって! でも、ライブの曲数が増えてきたら、おシオちゃんの喉を休ませるタイミングで二曲くらい入れても良いかな」
「はい! 絶対、入れましょう!」
「それには、まず、この曲を含めて、もっともっとオリジナル曲を増やさないとね」
このメンバーであれば、どんどんと曲もできそうだと楽観的に考えることができた詩織だった。




