Act.014:初めてのアルバイト
玲音の跡について店に入ると、店内も明るく、一般的なレンタルDVD屋と同じ雰囲気で、玲音達が言った「マニアックな品揃え」ということから、詩織が勝手に想像していた薄暗く狭い店のイメージとはかけ離れていた。
店に入ってすぐ右にあるレジカウンターの中には、若い女性が一人立っていて、その女性に玲音が一言二言話し掛けてから、玲音は店の奥に向かった。
DVDを収納している高い棚で、店の中の全部は見渡せなかったが、そこそこ客はいるようであった。
「奥に事務所があってさ。そこで、オーナーが待ってくれてるって」
玲音は、店の奥まった場所にあった、「スタッフオンリー」と英語で書かれているドアをノックすると、返事も待たずにドアを開けた。
詩織が、玲音に続いて、その部屋に入ると、そこは倉庫兼事務所のような場所で、部屋の半分はロッカーや荷物棚に占領されていて、もう半分には簡単な応接セットがあり、その奥には事務机があり、そこに座っていた男性が、椅子を回転させて、こちらに向いた。
白髪を総髪のように後ろで束ねて、無精髭をはやした痩せた男性だった。
「やあ、玲音ちゃん。待ってたよ」
「こんばんは、オーナー! さっき、電話で話したバイトをしたいっての、この子なんだけど」
玲音は、詩織の背中を押して、オーナーの前に押し出した。
「あ、あの、桐野詩織です。よろしくお願いします」
深くお辞儀をして頭を上げた詩織の目に、オーナーの穏やかな笑顔が飛び込んできた。
「ふ~ん。ちゃんとお辞儀ができるなんて、最近では珍しい子だね」
「でしょ? 良い子なんだよ。アタシが保証するよ」
「ははは、玲音ちゃんの保証なら安心だね。桐野さんだったね?」
「は、はい!」
「玲音ちゃんから聞いたところでは、月曜日と木曜日以外なら大丈夫なんだよね?」
月曜日と木曜日はバンドの練習日として、さっき決まったばかりで、玲音があらかじめ、その曜日を避けるように言ってくれたのだろう。
「はい」
「ちょうど、火曜日と金曜日、そして日曜日の担当だったバイトさんが辞めてしまって募集していたんだ。時間は午後五時から午後九時までの四時間。時給は九百円。どうかな?」
アルバイトをしたことのない詩織は時給の相場のこともよく分からなかったが、週に三日勤務で月四週として、四万三千二百円の収入になることを頭の中で素早く計算して、練習スタジオ代を負担しても、なお余るという収入面からいえば納得できるものだった。
「はい、それでお受けしたいと思います。でも、私、バイトをしたことがないんですけど、大丈夫でしょうか?」
「最初は誰でも心配するけど、案外、大丈夫なもんだよ。時間があるんなら、ちょっと説明しようか?」
「はい! お願いします」
「この店は、常時、二人のバイトさんで回しているんだ。だから、店で独りぼっちにはならないから安心して」
「はい」
「それじゃあ、明後日からさっそくペアを組んでもらうバイト君が今日も来ているから、彼に紹介してもらうことにしようか」
詩織は「彼」と言う言葉に少し身構えた。
高校生になってからは、男性と話をする機会もほとんどなかった詩織は、ちゃんと話ができるだろうかということと、昔の自分のことに気づかれないだろうかということに不安を覚えた。
席を立ったオーナーが「ついてきて」と言い、事務所から出ていくと、詩織はその跡について行った。詩織の後には、玲音と琉歌も保護者のようについて来ていた。
オーナーが棚と棚の間の通路を確かめるようにして歩いていき、レジカウンターから一番遠い通路に入っていった。
そこには、スーパーで使用されているような買い物籠に入っているDVDを棚に戻す作業をしている男性がいた。
「椎名君! ちょっと良いかな」
店名入りの黒いエプロンを掛けた男性が振り向いた。
「はい、何でしょう?」
振り向いた男性は、耳が隠れるほどの長さの少しくせがある黒髪が細面の顔を更に小さく見せて、もともと高い背がいっそう高く見える青年だった。
「この子、広田さんの代わりに明後日から、火、金、日の午後五時から来てくれることになった桐野さんだよ」
オーナーが手のひらを上にして詩織を示した。
「き、桐野です! バイトは初めてなので、よろしくお願いします」
「こっちは、椎名君。桐野さんが働いてくれる火、金、日の全部、彼とペアになるけど、椎名君はもう二年以上ここで働いているウチの重鎮だから、分からないことは何でも彼に訊くと良いよ」
「椎名です」
椎名は、詩織に会釈をした。
なかなかにイケメンだったが、その顔に笑顔はなく、詩織は歓迎されていないのかと不安になった。
「まあ、椎名君は、初対面の人には愛想が悪く見えるかもしれないけど、怒ってる訳じゃないから安心して良いよ」
まるで詩織の心を読んだかのように、オーナーが釈明してくれた。
「あっ、いえ。そ、そういう訳では」
「良いよ。そう思ってたんだろ?」
「えっ?」
椎名は、表情を変えずに詩織に言った。
「とりあえず、明後日から一緒に仕事する訳だし、やってもらう仕事を教えるよ」
つっけんどんとした態度で、愛想というものをどこかに忘れてきたかのような椎名だった。
「あっ、あの、お願いします」
「じゃあ、説明が終わったら、さっきの部屋まで戻ってくれるかな」
そう言うと、オーナーは、回れ右をした。
玲音と琉歌が詩織を心配そうに見ていた。
「詩織ちゃん、アタシ達もオーナーと一緒にいるから、何かあったら知らせてよ」
まるで椎名が詩織に何かをするような言いぶりだったが、椎名が表情を変えることはなかった。
玲音と琉歌も振り向いて、オーナーの跡を追った。
「オーナー」
玲音の呼び掛けに、オーナーはスタッフルームの扉の前で立ち止まった。
「何だい?」
「さっきの奴、ちょっと、クセがありそうなんだけど大丈夫?」
「まあ、無愛想なだけで、そんなに変な人じゃないよ。だって、僕がクビにしてないんだから」
オーナーの一言は、玲音と琉歌を納得させるだけの説得力があった。
詩織は椎名の近くに行き、いつもどおり丁寧にお辞儀をした。
「よろしくお願いします」
「ああ、よろしく。さっき、バイトは初めてって言ってたけど、それは、レンタルDVD屋でのバイトのこと? それともバイト自体?」
「バイト自体です」
「へえ~、そうか。高校生?」
「はい。高三です」
「受験は?」
「進学はしないで、バンドをしたいので」
「プロを目指してるのか?」
「はい」
「ふ~ん。まあ、頑張って」
「は、はい……。あ、ありがとうございます」
無愛想なりに応援の声も掛けてくれた椎名の印象が少しだけ良くなった。
「じゃあ、ここの仕事の説明な」
「はい」
「大きく二つに分けて、レジと商品の整理がある。レジは分かるよね? いくらバイトをしたことがなくても?」
「は、はい」
「レジの仕事は、後で教えるとして、もう一つは商品の整理。つまり、返却されたDVDを元あった場所に戻す作業だよ。この買い物籠の中に入ってるのが返却されたDVDなんだけど、ここを見て」
椎名が透明なケースに入ったDVDを詩織に差し出して示した。そのDVDには、「カサブランカ」という店名が書かれたステッカーが貼られていて、その店名の下にバーコードと、アルファベットと数字が書かれていた。
「このアルファベットが棚の列を現している記号で、その次の数字が向こうから数えて幾つ目の棚かを、ハイフォンの次の数字が上から何段目を現している。例えば、これは、この列に空箱があるはずだけど、どこにあるかな?」
椎名がそのDVDを詩織に手渡した。その場所を探しだしてみろということだと理解した詩織は、やや時間が掛かったが、該当する棚を探しだし、そこに本のように並んで棚に格納されているDVDのケースの中から該当する空き箱を探しだした。
「うむ。その空き箱に、このDVDが入った透明なケースを差し入れて、元に戻す。これだけだ」
今は時間が掛かったが、棚の列や位置を憶えれば、それほど苦労することはなさそうだ。
その後、入口付近にあるレジカウンターに行った。
カウンターにレジは二台あり、一台の前には、入って来た時からずっとレジの前にいる女性がそのまま立っていた。今日、椎名とペアを組んでいるバイトさんだろう。
もう一台の空いているレジを使って、椎名がレジの打ち方を教えてくれた。やはり、不愛想であったが、説明は分かりやすく、詩織もすぐに理解できた。明後日になっても、そのやり方を憶えている自信はなかったが、それほど難しいとは思わなかったから、やっているうちに慣れるだろう。
「説明は以上だ。何か質問は?」
「い、いえ、今は特にないです。でも仕事中にいろいろと訊くかもしれません」
「何でも遠慮なく訊いてくれ。ヘタに曖昧な記憶で間違ったやり方をやられると、それを元通りにするのに何倍もの労力を必要とする。いっそ、訊いてくれた方が楽だと思っている」
椎名の無愛想な態度に、遠慮なく質問できるだろうかと一抹の不安を感じたが、いきなり馴れ馴れしくしてくる男性よりは、ずっと良いと思った。
「じゃあ、スタッフルームに戻ろう」
椎名が相棒の女性バイトに声を掛けてから、早足でスタッフルームに向かった。
小走りに詩織が追いついた時には、椎名はスタッフルームの扉を開け、詩織が通り過ぎるまで扉を持って待っていてくれた。その紳士らしい態度に、また少しだけ椎名の印象が良くなった。
「オーナー! 一応、説明、終わりました」
来た時と同じように事務机に向かって座っていたオーナーは、椎名の言葉にくるりと椅子ごと回って、詩織を笑顔で見た。
「桐野さん、どうかな? できそうかな?」
「はい。頑張ります」
「うん。じゃあ、明後日の金曜日から早速頼むね。履歴書はその時に持ってきてくれたら良いから」
「はい」
説明を聞いて何となくできそうだという安心感も覚えたが、椎名と上手くやっていけるかとか、レジをやっていて、昔の自分のことがばれるのではないかという不安感は拭いきれなかった。
しかし、バンドのためには、物怖じしないで頑張るしかないという決意を新たにした詩織であった。




